有島武郎「惜みなく愛は奪う」(02) (おしみなくあいはうばう)

有島武郎「惜みなく愛は奪う」(02)

        二

 私の言おうとする事が読者に十分の理解を与え得なくはないかと恐れる。人が人自身を言い現わすのは一番容易なことであらねばならぬ。何となれば、それはその人自身が最もよく知り抜いている筈《はず》の事柄だから。
 実際は然しそうではない。私達の用いている言葉は謂《い》わば狼穽《ろうせい》のようなものだ。それは獲物を取るには役立つけれども、私達自身に向っては妨げにこそなれ、役には立たない。或《あるい》は拡大鏡のようなものだ。私達はそれによって身外を見得るけれども、私達自身の顔を見ることは出来ない。或は又精巧な機械といってもよい。私達はそれによって有らゆるものを造り出し得るとしても、遂に私達自身を造り出すことは出来ない。
 言葉は意味を表わす為めに案じ出された。然しそれは当初の目的から段々に堕落した。心の要求が言葉を創《つく》った。然し今は物がそれを占有する。吃《ども》る事なしには私達は自分の心を語る事が出来ない。恋人の耳にささやかれる言葉はいつでも流暢《りゅうちょう》であるためしがない。心から心に通う為めには、何んという不完全な乗り物に私達は乗らねばならぬのだろう。
 のみならず言葉は不従順な僕《しもべ》である。私達は屡※[#二の字点、1-2-22]言葉の為めに裏切られる。私達の発した言葉は私達が針ほどの誤謬《ごびゅう》を犯すや否や、すぐに刃《やいば》を反《か》えして私達に切ってかかる。私達は自分の言葉故に人の前に高慢となり、卑屈となり、狡智《こうち》となり、魯鈍《ろどん》となる。
 かかる言葉に依頼して私はどうして私自身を誤りなく云い現わすことが出来よう。私は已《や》むを得ず言葉に潜む暗示により多くの頼みをかけなければならない。言葉は私を言い現わしてくれないとしても、その後につつましやかに隠れているあの睿智《えいち》の独子《ひとりご》なる暗示こそは、裏切る事なく私を求める者に伝えてくれるだろう。
 暗示こそは人に与えられた子等の中、最も優《すぐ》れた娘の一人だ。然し彼女が慎み深く、穏かで、かつ容易にその面紗《ヴェール》を顔からかきのけない為めに、人は屡※[#二の字点、1-2-22]この気高く美しい娘の存在を忘れようとする。殊《こと》に近代の科学は何の容赦もなく、如何《いか》なる場合にも抵抗しない彼女を、幽閉の憂目にさえ遇《あ》わせようとした。抵抗しないという美徳を逆用して人は彼女を無視しようとする。
 人間がどうしてか程優れた娘を生み出したかと私は驚くばかりだ。彼女は自分の美徳を認めるものが現われ出るまで、それを沽《う》ろうと企てたことが嘗《かつ》てない。沽ろうとした瞬間に美徳が美徳でなくなるという第一義的な真理を本能の如く知っているのは彼女だ。又正しく彼女を取り扱うことの出来ないものが、仮初《かりそめ》にも彼女に近づけば、彼女は見る見るそのやさしい存在から萎《しお》れて行く。そんな人が彼女を捕え得たと思った時には、必ず美しい死を遂げたその亡骸《なきがら》を抱くのみだ。粘土から創り上げられた人間が、どうしてかかる気高い娘を生み得たろう。
 私は私自身を言い現わす為めに彼女に優しい助力を乞おう。私は自分の生長が彼女の柔らかな胸の中に抱かれることによって成就したのを経験しているから。しかし人間そのものの向上がどれ程彼女――人間の不断の無視にかかわらず――によって運ばれたかを知っているから。
 けれども私は暗示に私を託するに当って私自身を恥じねばならぬ。私を最もよく知るものは私自身であるとは思うけれども、私の知りかたは余りに乱雑で不秩序だ。そして私は言葉の正当な使い道すらも十分には心得ていない。その言葉の後ろに安んじて巣喰うべき暗示の座が成り立つだろうかとそれを私は恐れる。
 然し私は行こう。私に取って已み難き要求なる個性の表現の為めに、あらゆる有縁《うえん》の個性と私のそれとを結び付けようとする厳《きび》しい欲求の為めに、私は敢《あ》えて私から出発して歩み出して行こう。
 私が餓えているように、或る人々は餓えている。それらの人々に私は私を与えよう。そしてそれらの人々から私も受取ろう。その為めには仮りに自分の引込思案を捨ててかかろう。許されるかぎりに於て大胆になろう。
 私が知り得る可能性を存分に申し出して見よう。唯《ただ》この貧しい言葉の中から暗示が姿を隠してしまわない事を私は祈る。




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