有島武郎「惜みなく愛は奪う」(03) (おしみなくあいはうばう)

有島武郎「惜みなく愛は奪う」(03)

        三

 神を知ったと思っていた私は、神を知ったと思っていたことを知った。私の動乱はそこから芽生《めば》えはじめた。
 或る人は私を偽善者ではないかと疑った。どうしてそこに疑いの余地などがあろう。私は明かに偽善者だ。明かに私は偽善者である。そう言明するのが、どれ程偽善的な行為であるぞとの非難が、当然喚《よ》び起されるのを知らない私ではない。それにもかかわらず私は明かに偽善者であると言明せねばならぬ。私は屡※[#二の字点、1-2-22]《しばしば》私自身に顧慮する以上に外界に顧慮しているからだ。それは悲しい事には私が弱いからだ。私は弱い者の有らゆる窮策によく通じている。僅《わず》かな原因ですぐ陥った一つの小さな虚偽の為《た》めに、二つ三つ四つ五つと虚偽を重ねて行かねばならぬ、その苦痛をも知っている。弱いが故に強《し》いて自分を強く見せようとして、いつでも胸の中を戦慄《せんりつ》させていねばならぬ不安も知っている。苦肉の策から、自分の弱味を殊更《ことさら》に捨て鉢に人の前にあらわに取り出して、不意に乗じて一種の尊敬を、そうでなければ一種の憐憫《れんびん》を、搾《しぼ》り取ろうとする自涜《じとく》も知っている。弱さは真に醜さだ。それを私はよく知っている。
 然し偽善者とは弱いということばかりがその本質ではない。本当に弱いものは、その弱さから来る自分の醜さをも悲惨さをも意識しないが故に、その人はそのままの境地に満足することが出来よう。偽善者は不幸にしてただ弱いばかりでなく、その反面に多少の強さを持っている。彼は自分の弱味によって惹《ひ》き起した醜さ悲惨さを意識し得る強さをも持っているのだ。そしてその弱さを強さによって弥縫《びほう》しようとするのだ。
 強者がその強味を知らず、弱味を知らない間に、偽善者はよくその強味と弱味とを知っている。人はいうだろう、偽善者の本質は、強味を以《もっ》て弱味を弥縫するばかりでなく、その弥縫に無恥な安住を敢《あえ》てする点にあると。だから偽善者は救わるることが出来ないのだと。こう云って聞かされると私は偽善者の為めに弁解をしないではいられない心持になる。私自身が偽善者であるが故に自分自身の為めに弁解しようとするだけではない。偽善者そのものになり代って、偽善者の一人なる私が、義人に申し出たいと思わずにはいられないのだ。
 何事にも例外はある。その例外を殊更に色濃く描くのをひかえて見て貰ったら、偽善者というものが、強味を以て弱味を弥縫するところに無恥な安住をしているというのは、少しさばけ過ぎた見方だとは云われまいか。私は義人が次の点に於て偽善者を信じていただきたいと思う。それは偽善者もまた心窃《ひそ》かに苦しんでいるという一事だ。考えて見てもほしい。多少の強さと弱さとを同時に持ち合わしているものが、二つの力の矛盾を感じないでいられようか。矛盾を感じながら平然としてそこに無恥の安住をのみ続けていることが出来ようか。
 偽善者よ、お前は全くひどい目に遇わされた。それは当然な事だ。お前は本当に不愉快な人間だから。お前はいつでも然り然り否々といい切ることが出来ないから。毎時《いつ》でもお前には陰険なわけへだてが附きまつわっているから。お前は憎まれていい。辱《はずか》しめられていい。悪魔視されていい。然しお前の心の隅の人知れぬ苦痛をそっと眺《なが》めてやる人はないのか。お前が人並に見られたい為めに、お前自身にさえ隠そうと企てているその人知れぬ苦痛を一寸《ちょっと》でも暖かく触《さわ》ろうという人はないのか。偽善者よ、私は自身偽善者であるが故によくそれを知っている。義人のすぐ隣に住むと考えられている罪人《つみびと》(己れの罪を知ってそれを悲しむ人)は自分の強味と弱味との矛盾を声高く叫び得る幸福な人達なのだ。罪人の持つものも偽善者の持つものも畢竟は同じなのだ。ただ罪人は叫ぶ。それを神が聞く。偽善者は叫ぼうとする程に強さを持ち合わしていない。故に神は聞かない。それだけの差だと私には思える。よきサマリヤ人と悪《あ》しきサドカイ人とは、隣り合せに住んでいるのではないか。偽善者なる私は屡※[#二の字点、1-2-22]他人を偽善者と呼んだ。今にして私はそれを悲しく思う。何故に私は人と人との距《へだ》てをこんなに大きくしようとはしたろう。
 こう云ったとて私は、世の義人に偽善者を裁《さば》く手心をゆるめて貰いたいと歎願するのではない。偽善者は何といっても義人からきびしく裁かれるふしだらさを持っている。私はただ偽善者もその心の片隅には人に示すのを敢てしない苦痛を持っているという事を知って貰えばいいのだ。それが私の弁解なのだ。
 私もその苦痛は持っていた。人の前に私を私以上に立派に見せようとする虚妄《きょもう》な心は有り余るほど持っていたけれども、そこに埋めることの出来ない苦痛をも全く失ってはいなかった。そして或る時には、烏《からす》が鵜《う》の真似《まね》をするように、罪人らしく自分の罪を上辷《うわすべ》りに人と神との前に披露《ひろう》もした。私は私らしく神を求めた。どれ程完全な罪人の形に於て私はそれをなしたろう。恐らく私は誰の眼からも立派な罪人のように見えたに違いない。私は断食もした、不眠にも陥った、痩《や》せもした。一人の女の肉をも犯さなかった。或る時は神を見出だし得んためには、自分の生命を好んで断つのを意としなかった。
 他人眼《よそめ》から見て相当の精進《しょうじん》と思われるべき私の生活が幾百日か続いた後、私は或る決心を以て神の懐《ふところ》に飛び入ったと実感のように空想した。弱さの醜さよ。私はこの大事を見事に空想的に実行していた。
 そして私は完全にせよ、不完全にせよ、甦生《そせい》していたろうか。復活していたろうか。神によって罪の根から切り放された約束を与えられたろうか。
 神の懐に飛び入ったと空想した瞬間から、私が格段に瑕瑾《かきん》の少い生活に入ったことはそれは確かだ。私が隣人から模範的の青年として取り扱われたことは、私の誇りとしてではなく、私のみじめな懺悔《ざんげ》としていうことが出来る。
 けれども私は本当は神を知ってはいなかったのだ。神を知り神によりすがると宣言した手前、強いて私の言行をその宣言にあてはめていたに過ぎなかったのだ。それらが如何に弱さの生み出す空想によって色濃く彩《いろど》られていたかは、私が見事に人の眼をくらましていたのでも察することが出来る。
 この時若《も》し私に人の眼の前に罪を犯すだけの強さがあったなら、即ち私の顧慮の対象なる外界と私とを絶縁すべき事件が起ったら、私は偽善者から一躍して正しき意味の罪人になっていたかも知れない。私は自分の罪を真剣に叫び出したかも知れない。そしてそれが恐らくは神に聞かれたろう。然し私はそうなるには余りに弱かった。人はこの場合の私を余り強過ぎたからだといおうとするかも知れない。若しそういう人があるなら、私は明かにそれが誤謬であるのを自分の経験から断言することが出来る。本当に罪人となり切る為めには、自分の凡《すべ》てを捧《ささ》げ果てる為めには、私の想像し得られないような強さが必要とせられるのだ。このパラドックスとも見れば見える申し出《い》では決して虚妄でない。罪人のあの柔和なレシグネーションの中に、昂然《こうぜん》として何物にも屈しまいとする強さを私は明かに見て取ることが出来る。神の信仰とは強者のみが与《あず》かり得る貴族の団欒《だんらん》だ。私は羨《うらやま》しくそれを眺めやる。然し私には、その入場券は与えられていない。私は単にその埓外《らちがい》にいて貴族の物真似《ミミクリー》をしていたに過ぎないのだ。
 基督《キリスト》の教会に於て、私は明かに偽善者の一群に属すべきものであるのを見出してしまった。
 砂礫《しゃれき》のみが砂礫を知る。金のみが金を知る。これは悲しい事実だ。偽善者なる私の眼には、自ら教会の中の偽善の分子が見え透いてしまった。こんな事を書き進むのは、殆《ほとん》ど私の堪《た》え得ないところだ。私は余りに自分を裸にし過ぎる。然しこれを書き抜かないと、私のこの拙い感想の筆は放《な》げ棄てられなければならない。本当は私も強い人になりたい。そして教会の中に強さが生み出した真の生命の多くを尊く拾い上げたい。私は近頃或る尊敬すべき老学者の感想を読んだが、その中に宗教に身をおいたものが、それを捨てるというようなことをするのは、如何にその人の性格の高貴さが足らないかを現わすに過ぎないということが強い語調で書かれているのを見た。私はその老学者に深い尊敬を払っているが故に、そして氏の生得の高貴な性格を知っているが故に、その言葉の空《むな》しい罵詈《ばり》でないのを感じて私自身の卑陋《ひろう》を悲しまねばならなかった。氏が凡ての虚偽と堕落とに飽満した基督旧教の中にありながら、根ざし深く潜在する尊い要素に自分のけだかさを化合させて、巌《いわお》のように堅く立つその態度は、私を驚かせ羨ませる。私は全くそれと反対なことをしていたようだ。私は自分が卑陋であるが故に、多くの卑陋なものを見てしまった。私はそれを悲しまねばならない。
 然し私は自分の卑陋から、周囲に卑陋なものを見出しておきながら、高貴な性格の人があるように、それを見ないでいることはさすがに出来なかった。卑陋なものを見出しながら、しらじらしく見ない振りをして、寛大にかまえていることは出来なかった。その程度までの偽善者になるには、私の強味が弱味より多過ぎたのかも知れない。そして私は、自分の偽善が私の属する団体を汚さんことを恐れて、そして団体の悪い方の分子が私の心を苦しめるのを厭《いと》って、その団体から逃げ出してしまった。私の卑陋はここでも私に卑陋な行いをさせた。私の属していた団体の言葉を借りていえば、私の行《おこない》の根柢《こんてい》には大それた高慢が働いていたと云える。
 けれども私は小さな声で私にだけ囁《ささや》きたい。心の奥底では、私はどうかして私を偽善者から更に偽善者に導こうとする誘因を避けたい気持がないではなかったということを。それを突き破るだけの強さを持たない私はせめてはそれを避けたいと念じていたのだ。前にもいったように外界に支配され易《やす》い私は、手厳しい外界に囲まれていればいる程、自分すら思いもかけぬ偽善を重ねて行くのに気づき、そしてそれを心から恐れるようになってはいたのだ。だから私は私の属していた団体を退くと共に、それまで指導を受けていた先輩達との直接の接触からも遠ざかり始めた。
 偽善者であらぬようになりたい。これは私として過分な欲求であると見られるかも知れないけれども、偽善者は凡て、偽善者でなかったらよかろうという心持を何処かの隅《すみ》に隠しながら持っているのだ。私も少しそれを持っていたばかりだ。
 義人、偽善者、罪人、そうした名称が可なり判然区別されて、それがびしびしと人にあてはめられる社会から私が離れて行ったのは、結局悪いことではなかったと私は今でも思っている。
 神を知ったと思っていた私は、神を知ったと思っていたことを知った。私の動乱はそこから芽生えはじめた。その動乱の中を私はそろそろと自分の方へと帰って行った。目指す故郷はいつの間にか遙《はるか》に距《へだた》ってしまい、そして私は屡※[#二の字点、1-2-22]蹉《つまず》いたけれども、それでも動乱に動乱を重ねながらそろそろと故郷の方へと帰って行った。





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