有島武郎「惜みなく愛は奪う」(24) (おしみなくあいはうばう)

有島武郎「惜みなく愛は奪う」(24)

        二三

 私は更に愛を出発点として男女の関係と家族生活とを考えて見たい。
 今男女の関係は或る狂いを持っている。男女は往々にして争闘の状態におかれている。かかる僻事《ひがごと》はあるべからざることだ。
 どれ程長い時間の間に馴致《じゅんち》されたことであるか分らない。然しながら人間の生活途上に於て女性は男性の奴隷となった。それは確かに筋肉労働の世界に奴隷が生じた時よりも古いことに相違ない。
 性の殊別は生殖の結果を健全にし確固たらしめんがために自然が案出した妙算であるのは疑うべき余地のないことだ。その変体が色々な形を取って起り、或る時はその本務的な目的から全く切り放されたプラトニック・ラヴともなり、又かかる関係の中に、人類が思いもかけぬよき収得をする場合もないではない。私はかかる現象の出現をも十分に許すことが出来る。然しそれは決して性的任務の常道ではない。だから私が男女関係の或る狂いといったのは、男女が分担すべき生殖現象の狂いを指すことになる。男女のその他の関係がいかに都合よく運ばれていても、若しこの点が狂っているなら、結局男女の関係は狂っているのである。
 既に業《すで》に多くの科学者や思想家が申し出たように、女性は産児と哺育《ほいく》との負担からして、実生活の活動を男性に依託せねばならなかった。男性は野の獣があるように、始めは甘んじて、勇んでこの分業に従事した。けれども長い歳月の間に、男性はその活動によって益※[#二の字点、1-2-22]《ますます》その心身の能力を発達せしめ、女性の能力は或る退縮を結果すると共に、益※[#二の字点、1-2-22]活動の範囲を狭《せば》めて行って、遂にはその活動を全く稼穡《かしょく》の事にのみ限るようになった。こうなると男性は女性の分をも負担して活動せねばならぬ故に、生活の荷は苦痛として男性の肩上にかかって来た。男性はかくてこの苦痛の不満を癒《いや》すべき報償を女性に要求するに至った。女性は然しこの時に於ては、実生活の仕事の上で男性に何物をか提供すべき能力を失い果てていた。女性には単に彼女の肉体があるばかりだった。そしてその点から prostitution は始まったのだ。女性は忍んで彼女の肉体を男性に提供することを余儀なくされたのだ。かくて女性は遂に男性の奴隷となり終った。そして女性は自らが在《あ》る以上に自分を肉慾的にする必要を感じた。女性に殊《こと》に著しい美的扮装《ふんそう》(これは極《きわ》めて外面的の。女性は屡※[#二の字点、1-2-22]《しばしば》練絹《ねりぎぬ》の外衣の下に襤褸《つづれ》の肉衣を着る)、本能の如き嬌態《きょうたい》、女性間の嫉視《しっし》反目(姑《しゅうとめ》と嫁、妻と小姑の関係はいうまでもあるまい。私はよく婦人から同性中に心を許し合うことの出来る友人のないことを聞かされる)はそこから生れ出る。男性は女性からのこの提供物を受取ったことによって、又自分自らを罰せなければならなかった。彼は先《ま》ず自分の家の中に暴虐性を植えつけた。専制政治の濫觴《らんしょう》をここに造り上げた。そして更に悪いことには、その生んだ子に於て、彼等以上の肉慾性を発揮するものを見出さねばならなかった。
 これは私がいわないでも多くの読者は知ってそして肯《がえ》んずる事実であろうと思う。私はここでこの男女関係の狂いが何故最も悪い狂いであるかをいいたい。この堕落の過程に於て最も悪いことは、人間がその本能的要求を智的要求にまで引き下げたという点にあるのだ。男女の愛は本能の表現として純粋に近くかつ全体的なものである。同性間の愛にあっては本能は分裂して、精神的(若し同性間に異性関係の仮想が成立しなければ)という一方面にのみ表現される。親子の愛にしても、兄弟の愛にしても皆等しい。然し男女の愛に於て、本能は甫《はじ》めてその全体的な面目を現わして来る。愛する男女のみが真実なる生命を創造する。だから生殖の事は全然本能の全要求によってのみ遂げられなければならぬのだ。これが男女関係の純一無上の要件である。然るに女性は必要に逼《せまら》れるままに、誤ってこの本能的欲求を智的生活の要求に妥協させてしまった。即ち本能の欲求以外の欲求、即ち単なる生活慾の道具に使った。そして男性は卑しくもそれをそのまま使用した。これが最も悪いことだったと私は云うのだ。これより悪いことが多く他にあろうか。
 楽園は既に失われた。男女はその腰に木の葉をまとわねばならなくなった。女性は男性を恨み、男性は女性を侮りはじめた。恋愛の領土には数限りもなく仮想的恋愛が出現するので、真の恋愛をたずねあてるためには、女性は極度の警戒を、男性は極度の冒険をなさねばならなくなった。野の獣にも生殖を営むべき時期は一年の中に定まって来るのに、人間ばかりは已む時なく肉慾の為めにさいなまれなければならぬ。しかも更に悪いことには、人間はこの運命の狂いを悔いることなく、殆《ほと》んど捨鉢《すてばち》な態度で、この狂いを潤色し、美化し、享楽しようとさえしているのだ。
 私達は幸いにして肉体の力のみが主として生活の手段である時期を通過した。頭脳もまた生活の大きな原動力となり得《う》べき時代に到達した。女性は多くを失ったとしても、体力に失ったほどには脳力に失っていない。これが女性のその故郷への帰還の第一程となることを私は祈る。この男女関係の堕落はどれ程の長い時間の間に馴致されたか、それは殆んど計ることが出来ない。然しそれが堕落である以上は、それに気がついた時から、私達は楽園への帰還を企図せねばならぬ。一人でも二人でも、そこに気付いた人は一人でも二人でも忍耐によってのみ成就される長い旅に上らなければならない。
 私はよくそれが如何に不可能事に近いとさえ思われる困難な道であるかを知る。私もまたその狂いの中に生れて育って来た憐《あわ》れな一人の男性に過ぎない。私は跌《つまず》きどおしに跌いている。然し私の本能のかすかな声は私をそこから立ち上らせるに十分だ。私はその声に推し進められて行く。その旅路は長い耽溺《たんでき》の過去を持った私を寂しく思わせないではない。然しそれにもかかわらず私は行かざるを得ない。




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