有島武郎「惜みなく愛は奪う」(26) (おしみなくあいはうばう)

有島武郎「惜みなく愛は奪う」(26)

        二四

 もう私は私の饒舌《じょうぜつ》から沈黙すべき時が来た。若し私のこの感想が読者によって考えられるならば、部分的に於てでなく、全体に於て考えられんことを望む。殊《こと》に本能的生活の要求を現実の生活にあてはめて私が申出た言葉に於てそうだ。社会生活はその総量に於て常に顧慮されなければならぬ。その一部門だけに対する凝視は、往々にして人を迷路に導き込むだろう。
 私もまた部分的考察に走り過ぎた嫌《きら》いがないとはいえない。私は人間に現われた本能即ち愛の本能をもっと委《くわ》しく語ってやむべきであったかも知れない。然しもう云われたことは云われてしまったのだ。
 願わくは一人の人をもあやまることなくこの感想は行け。

        二五

 あまりに明かであって、しかも往々顧みられない事実は、一つの思想が体験的の検察なしに受取られるということだ。それは思想の提供者を空《むな》しく働かせ、享受者を空しく苦しめる。

        二六

 ニイチェが「私は自分が主張を固執するために焼き殺される場合があったら、それを避けよう。主張の固執は私の生命に値いするほど重大なものではない。然し主張を変じたが故に焼き殺されねばならぬというのなら、私は甘んじて焼かれよう。それは死に値いする」という意味のことをいったそうだ。この逆説《パラドックス》は正しいと私は思う。生命の向上は思想の変化を結果する。思想の変化は主張の変化を予想する。生きんとするものは、既成の主張を以て自己を金縛《かなしば》りにしてはなるまい。

        二七

 思想は一つの実行である。私はそれを忘れてはいない。

        二八

 私の発表したこの思想に、最も直接な示唆を与えてくれたのは阪田泰雄《やすお》氏である。この機会を以て私は君に感謝する。その他、内面的経験に関《かかわ》りを持った人と物との凡てに対して私は深い感謝の意を捧げる。

        二九

 これは哲学の素養もなく、社会学の造詣《ぞうけい》もなく、科学に暗く宗教を知らない一人の平凡な偽善者の僅《わず》かばかりな誠実が叫び出した訴えに過ぎない。この訴えから些《いささ》かでもよいものを聴き分けるよい耳の持主があったならば、そしてその人が彼の為めによき環境を準備してくれたならば、彼もまた偽善者たるの苦しみから救われることが出来るであろう。
 凡てのよきものの上に饒《ゆた》かなる幸あれ。




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