有島武郎「惜みなく愛は奪う」(07) (おしみなくあいはうばう)

有島武郎「惜みなく愛は奪う」(07)

        七

 私の個性は更に私に告げてこう云う。
 お前の個性なる私は、私に即して行くべき道のいかなるものであるかを説こうか。
 先ず何よりも先に、私がお前に要求することは、お前が凡《すべ》ての外界の標準から眼をそむけて、私に帰って来なければならぬという一事だ。恐らくはそれがお前には頼りなげに思われるだろう。外界の標準というものは、古い人類の歴史――その中には凡ての偉人と凡ての聖人とを含み、凡ての哲学と科学、凡ての文化と進歩とを蓄えた宏大もない貯蔵場だ――と、現代の人類活動の諸相との集成から成り立っている。それからお前が全く眼を退けて、私だけに注意するというのは、便《たよ》りなくも心細くも思われることに違いない。然し私はお前に云う。躊躇《ちゅうちょ》するな。お前が外界に向けて拡げていた鬚根《しゅこん》の凡てを抜き取って、先を揃《そろ》えて私の中に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》し入れるがいい。お前の個性なる私は、多くの人の個性に比べて見たら、卑しく劣ったものであろうけれども、お前にとっては、私の外により[#「より」に傍点]完全なものはないのだ。
 かくてようやく私に帰って来たお前は、これまでお前が外界に対してし慣れていたように、私を勝手次第に切りこまざいてはならぬ。お前が外界と交渉していた時のように、善悪美醜というような見方で、強《し》いて私を理解しようとしてはならぬ。私の要求をその統合のままに受け入れねばならぬ。お前が私の全要求に応じた時に於てのみ私は生長を遂げるであろう。私はお前が従う為めに結果される思想なり言説なり行為なりが、仮りに外界の伝説、習慣、教訓と衝突矛盾を惹《ひ》き起すことがあろうとも、お前は決して心を乱して、私を疑うようなことをしてはならぬ。急がず、躊《ため》らわず、お前の個性の生長と完成とを心がけるがいい。然しここにくれぐれもお前に注意しておかねばならぬのは、今までお前が外面的の、約束された、習俗的な考え方で、個性の働きを解釈したり、助成したりしてはならぬという事だ。例えば個性の要求の結果が一見肉に属する慾の遂行のように思われる時があっても、それをお前が今まで考えていたように、簡単に肉慾の遂行とのみ見てはならぬ。同様に、その要求が一見霊に属するもののように思われても、それを全然肉から離して考えるということは、個性の本然性に背《そむ》いた考え方だ。私達の肉と霊とは哲学者や宗教家が概念的に考えているように、ものの二極端を現わしているものでないのは勿論《もちろん》、それは差別の出来ない一体となってのみ個性の中には生きているのだ。水を考えようとする場合に、それを水素と酸素とに分解して、どれ程綿密に二つの元素を研究したところが、何の役にも立たないだろう。水は水そのものを考えることによってのみ理解される。だから私がお前に望むところは、私の要求を、お前が外界の標準によって、支離滅裂にすることなく、その全体をそのまま摂受して、そこにお前の満足を見出す外《ほか》にない。これだけの用意が出来上ったら、もう何の躊躇もなく驀進《ばくしん》すべき準備が整ったのだ。私の誇りかなる時は誇りかとなり、私の謙遜《けんそん》な時は謙遜となり、私の愛する時愛し、私の憎む時憎み、私の欲するところを欲し、私の厭《いと》うところを厭えばいいのである。
 かくしてお前は、始めてお前自身に立ち帰ることが出来るだろう。この世に生れ出て、産衣《うぶぎ》を着せられると同時に、今日までにわたって加えられた外界の圧迫から、お前は今始めて自由になることが出来る。これまでお前が、自分を或る外界の型に篏《は》める必要から、強いて不用のものと見て、切り捨ててしまったお前の部分は、今は本当の価値を回復して、お前に取ってはやはり必要欠くべからざる要素となった。お前の凡ての枝は、等しく日光に向って、喜んで若芽を吹くべき運命に逢《あ》い得たのだ。その時お前は永遠の否定を後ろにし、無関心の谷間を通り越して、初めて永遠の肯定の門口に立つことが出来るようになった。
 お前の実生活にもその影響がない訳ではない。これからのお前は必然によって動いて、無理算段をして動くことはない。お前の個性が生長して今までのお前を打ち破って、更に新しいお前を造り出すまで、お前は外界の圧迫に余儀なくされて、無理算段をしてまでもお前が動く必然を見なくなる。例えばお前が外界に即した生活を営んでいた時、お前は控え目という道徳を実行していたろう。お前は心にもなく善行をし過すことを恐れて、控目に善行をしていたろう。然しお前は自分の欠点を隠すことに於《おい》ては、中々控目には隠していなかった。寧《むし》ろ恐ろしい大胆さを以て、お前の心の醜い秘密を人に知られまいとしたではないか。お前は人の前では、秘《ひそ》かに自任しているよりも、低く自分の徳を披露《ひろう》して、控目という徳性を満足させておきながら、欲念というような実際の弱点は、一寸見《ちょっとみ》には見つからない程、綿密に上手に隠しおおせていたではないか。そういう態度を私は無理算段と呼ぶのだ。然し私に即した生活にあっては、そんな無理算段はいらないことだ。いかなる欲念も、畢竟《ひっきょう》お前の個性の生長の糧《かて》となるのであるが故に、お前はそれに対して臆病であるべき必要がなくなるだろう。即ち、お前は、私の生長の必然性のためにのみ変化して、外界に対しての顧慮から伸び縮みする必要は絶対になくなるべき筈《はず》だ。何事もそれからのことだ。
 お前はまた私に帰って来る前に、お前が全く外界の標準から眼を退けて、私を唯一無二の力と頼む前に、人類に対するお前の立場の調和について迷ったかも知れない。驀地《まっしぐら》にお前が私と一緒になって進んで行くことが、人類に対して迷惑となり、その為めに人間の進歩を妨げ、従って生活の秩序を破り、節度を壊すような結果を多少なりとも惹《ひ》き起しはしまいか。そうお前は迷ったろう。
 それは外界にのみ執着しなれたお前に取っては考えられそうなことだ。然しお前がこの問題に対して真剣になればなる程、そうした外部的な顧慮は、お前には考えようとしても考えられなくなって来るだろう。水に溺《おぼ》れて死のうとする人が、世界の何処かの隅《すみ》で、小さな幸福を得た人のあるのを想像して、それに祝福を送るというようなことがとてもあり得ないと同様に、お前がまことに緊張して私に来る時には、それから結果される影響などは考えてはいられない筈だ。自分の罪に苦しんで、荊棘《いばら》の中に身をころがして、悶《もだ》えなやんだ聖者フランシスが、その悔悟の結果が、人類にどういう影響を及ぼすだろうかと考えていたかなどと想像するようなものは、人の心の正しい尊さを、露程も味ったことのない憐《あわ》れな人といわなければならないだろう。
 お前にいって聞かす。そういう問いを発し、そういう疑いになやむ間は、お前は本当に私の所に帰って来る資格は持ってはいないのだ。お前はまだ徹底的に体裁ばかりで動いている人間だ。それを捨てろ。それを捨てなければならぬ程に今までの誤謬《ごびゅう》に眼を開け。私は前後を顧慮しないではいられない程、緩慢な歩き方はしていない。自分の生命が脅かされているくせに、外界に対してなお閑葛藤《かんかっとう》を繋《つな》いでいるようなお前に対しては、恐らく私は無慈悲な傍観者であるに過ぎまい。私は冷然としてお前の惨死を見守ってこそいるだろうが、一臂《いっぴ》の力にも恐らくなってはやらないだろう。
 又お前は、前にもいったことだが、単に専門家になったことだけでは満足が出来なくなる。一体人は自分の到る処《ところ》に自分の主《あるじ》でなければならぬ。然《しか》るに専門家となるということは、自分を人間生活の或る一部門に売り渡すことでもある。多かれ少かれ外界の要求の犠牲となることである。完全な人間――個性の輪廓《りんかく》のはっきりまとまった人間となりたいと思わないものが何処《どこ》にあろう。然るにお前はよくこの第一義の要求を忘れてしまって、外聞という誘惑や、もう少し進んだところで、社会一般の進歩を促し進めるというような、柄にもない非望に駆られて、お前は甘んじて一つしかないお前の全生命を片輪にしてしまいたがるのだ。然しながら私の所に帰って来たお前は、そんな危険な火山頂上の舞踏はしていない。お前の手は、お前の頭は、お前の職業は、いかに分業的な事柄にわたって行こうとも、お前は常にそれをお前の個性なる私に繋いでいるからだ。お前は大抵の分業にたずさわっても自分自身であることが出来る。しかのみならず、若《も》しお前のしている仕事が、到底お前の個性を満足し得ない時には、お前は個性の満足の為めに仕事を投げ捨てることを意としないであろう。少くともかかる理不尽な生活を無くなすように、お前の個性の要求を申出すだろう。お前のかくすることは、無事ということにのみ執着したがる人間の生活には、不都合を来《きた》す結果になるかも知れない。又表面的な進歩ばかりをめやすにしている社会には不便を起すことがあるかも知れない。然しお前はそれを気にするには及ばない。私は明かに知っている。人間生活の本当の要求は無事ということでもなく、表面だけの進歩ということでもないことを。その本当の要求は、一箇の人間の要求と同じく生長であることを。だからお前は安んじて、確信をもって、お前の道を選べばいいのだ。精神と物質とを、個性と仕事とを互に切り放した文明がどれ程進歩しようとも、それは無限の沙漠《さばく》に流れこむ一条の河に過ぎない。それはいつか細って枯れはててしまう。
 私はこれ以上をもうお前にいうまい。私は老婆親切の饒舌《じょうぜつ》の為めに既に余りに疲れた。然しお前は少し動かされたようだな。選ぶべき道に迷い果てたお前の眼には、故郷を望み得たような光が私に対して浮んでいる。憐れな偽善者よ。強さとの平均から常に破れて、或る時は稍※[#二の字点、1-2-22]《やや》強く、或る時は強さを羨《うらや》む外にない弱さに陥る偽善者よ。お前の強さと弱さとが平均していないのはまだしもの幸だった。お前は多分そこから救い出されるだろう。その不平均の撞着《どうちゃく》の間から僅《わず》かばかりなりともお前の誠実を拾い出すだろう。その誠実を取り逃すな。若しそれが純であるならば、誠実は微量であっても事足りる。本当をいうと不純な誠実というものはない。又量定さるべき誠実というものはない。誠実がある。そこには純粋と凡てとがあるのだ。だからお前は誠実を見出《みいだ》したところに勇み立つがいい、恐れることはない。
 起て。そこにお前の眼の前には新たな視野が開けるだろう。それをお前は私に代って言い現わすがいい。
 お前は私にこの長い言葉を無駄に云わせてはならない。私は暖かい手を拡げて、お前の来るのを待っているぞよ。
 私の個性は私にかく告げてしずかに口をつぐんだ。




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