クリスマス・カロル(ディケンズ)(13) (くりすますかろる)
クリスマス・カロル(ディケンズ)(13)
あらゆる鳥の中で鵞鳥を最も稀有なものと、諸君が思われたかも知れないような騒ぎが続いて起った。羽の生えた怪物、それに比べては、黒い白鳥も異とするに足りない――で、実際この家では鵞鳥がまずそれと同じようなものであった。クラチット夫人は肉汁(前以て小さな鍋に用意して置いた)をシューシュー煮立たせた。ピータア君はほとんど信じられないような力で馬鈴薯を突き潰した。ベリンダ嬢はアップル・ソースに甘味をつけた。マーサは(湯から出し立ての)熱い皿を拭いた。ボブはちび[#「ちび」に傍点]のティムを食卓の小さな片隅へ連れて行って、自分の傍に腰掛けさした。二人の小クラチットどもは衆皆《みんな》のために椅子を並べた。衆皆《みんな》と云う中にはもちろん自分達の事も忘れはしなかった。そして、自分の席について見張りをしながら、自分達の盛《よそ》って貰う順番が来ないうちに早く鵞鳥が欲しいなぞと我鳴り立ててはならないと思って、口の中一杯に匙を押込んでいた。到頭お皿が並べられた。食前のお祈りも済んだ。それからクラチット夫人が大庖丁を手に取って、ゆるゆるとそれを一遍並み見渡しながら、鵞鳥の胸に突き刺そうと身構えた時、一座は息を殺してぱたりと静かになった。が、それを突き刺した時には、そして、永い間待ち焦れていた詰め物がどっと迸り出た時には、食卓の周囲から喜悦の呟き声が一斉に挙がった。そして、ちび[#「ちび」に傍点]のティムでさえ二人の小クラチットどもに励まされて、自分の小刀の柄で食卓を叩いたり、弱々しい声で万歳! と叫んだりした。
こんな鵞鳥は決して有りっこがなかった。ボブはこんな鵞鳥がこれまで料理されたとは思われないなぞと云った。その軟かさと云い、香気と云い、大きさと云い、廉価なことと云い、皆一同の嘆称の題目であった。アップル・ソースと潰した馬鈴薯とで補えば、家中残らずで喰べるに十分の御馳走であった。まったくクラチット夫人が、(皿の上に残った小さな骨の破片をつくづく見遣りながら、)さも嬉しそうに云った通り、彼等はとうとうそれを喰べ切れなかったのだ! それでも各自は満腹した、別けても小さい者達は眼の上までサルビヤや葱に漬かっていた。ところが、今度はベリンダ嬢が皿を取り換えたので、クラチット夫人は肉饅頭を取り上げて持って来ようと、独りでその部屋を出て行った――肉饅頭を取り出すところを他の者に見られることなぞとても我慢が出来なかったほど、彼女は神経質になっていたのである。
仮りにそれが十分火が通っていなかったとしたら! 取り出す際に、それが壊れでもしたら! 仮りにまた一同の者が鵞鳥に夢中になっていた間に、何人かが裏庭の塀を乗りこえて、それを盗んで行ったとしたら――想像しただけで、二人の小クラチットどもが蒼白になってしまったような仮定である。あらゆる種類の恐怖が想像された。
やッ! 素晴らしい湯気だ! 肉饅頭は鍋から取り出された。洗濯日のような臭いがする! それは布片であった。互に隣り合せた料理屋とカステラ屋のまたその隣りに洗濯屋がくっついているような臭いだ! それが肉饅頭であった! 一分と経たないうちに、クラチット夫人は這入って来た――真赧になって、が、得意気ににこにこ笑いながら――火の点いた四半パイントの半分のブランディでぽっぽと燃え立っている、そして、その頂辺には聖降誕祭の柊を突き刺して飾り立てた、斑《ふ》入《い》りの砲弾のように、いかにも硬くかつしっかりした肉饅頭を持って這入って来た。
おお、素敵な肉饅頭だ! ボブ・クラチットは、しかも落着き払って、自分はそれを結婚以来クラチット夫人が遣り遂げた成功の最も大なるものと思う旨を述べた。クラチット夫人は、心の重荷が降りた今では、自分は実は粉の分量について懸念を抱いていたことをうち明けようと思うとも云った。各自それについて何とか彼とか云った。が、何人もそれが大人数の家庭に取っては、どう見ても小さな肉饅頭であるなぞと云うものもなければ、そう考えるものもなかった。そんな事を云おうものなら、それこそ頭から異端である。クラチットの家の者で、そんな事を暗示して顔を赧らめないような者は一人だってなかったろう。
とうとう御馳走がすっかり済んだ、食卓布は綺麗に片附けられた。煖炉も掃除されて、火が焚きつけられた。壺の調合物は味見をしたところ、申分なしとあって、林檎と蜜柑が食卓の上に、十能に一杯の栗が火の上に載せられた。それからクラチットの家族一同は、ボブ・クラチットの所謂団欒(円周)、実は半円のことであるが、それを成して、煖炉の周囲に集った。そして、ボブ・クラチットの肱の傍には家中の硝子器と云う硝子器が飾り立てられた――すなわち水飲みのコップ二個と、柄のないカスタード用コップ一個と。
これ等の容器は、それでも、黄金の大盃と同様に壺から熱い物をなみなみと受け入れた。ボブは晴れ晴れしい顔附きでそれを注いでしまった。その間火の上にかかった栗はジウジウ汁を出したり、パチパチ音を立てて割れた。それからボブは発議した。――
「さあ皆や、一同に聖降誕祭お目出とう。神様よ、私どもを祝福して下さいませ。」
家族の者一同はそれに和した。
「神様よ、私ども一同を祝福したまわんことを」と、皆の一番後からちび[#「ちび」に傍点]のティムが云った。
彼は阿父さんの傍にくっついて自分の小さい床几に腰掛けていた。ボブは彼の痩せこけた小さい手を自分の手に握っていた。あたかもこの子が可愛くて、しっかり自分の傍に引き附けて置きたい、誰か自分の手許から引き離しやしないかと気遣ってでもいるように。
「精霊殿!」と、スクルージは今までに覚えのない興味を感じながら云った。「ちび[#「ちび」に傍点]のティムは生きて行かれるでしょうか。」
「私にはあの貧しい炉辺に空いた席と、主のない撞木杖が大切に保存されてあるのが見えるよ。これ等の幻影が未来の手で一変されないで、このまま残っているものとすれば、あの子は死ぬだろうね。」
「いえ、いいえ」と、スクルージは云った。「おお、いえ、親切な精霊殿よ、あの子は助かると云って下さい。」
「ああ云う幻影が未来の手で変えられないで、そのまま残っているとすれば、俺の種族の者達はこれから先|何人《だれ》も」と、精霊は答えた、「あの子をここに見出さないだろうよ。で、それがどうしたと云うのだい? あの児が死にそうなら、いっそ死んだ方がいい。そして、過剰な人口を減らした方が好い。」
スクルージは精霊が自分の言葉を引用したのを聞いて、頭を垂れた。そして、後悔と悲嘆の情に圧倒された。
「人間よ」と、精霊は云った、「お前の心が石なら仕方ないが、少しでも人間らしい心を持っているなら、過剰とは何か、またどこにその過剰があるかを自分で見極めないうちは、あんな好くない口癖は慎んだが可いぞ。どんな人間が生くべきで、どんな人間が死ぬべきか、それをお前が決定しようと云うのかい。天の眼から見れば、この貧しい男の伜のような子供が何百万人あっても、それよりもまだお前の方が一層下らない、一層生きる値打ちのない者かも知れないのだぞ! おお神よ、草葉の上の虫けらのような奴が、塵芥の中に蠢いている饑餓に迫った兄弟どもの間に生命が多過ぎるなぞとほざくのを聞こうとは!」
スクルージは精霊の非難の前に頭を垂れた。そして、顫えながら地面の上に眼を落とした。が、自分の名が呼ばれるのを聞くと、急いでその眼を挙げた。
「スクルージさん!」と、ボブは云った。「今日の御馳走の寄附者であるスクルージさんよ、私はあなたのために祝盃を上げます。」
「御馳走の寄附者ですって、本当にねえ」と、クラチット夫人は真赧になりながら叫んだ。「本当に此辺へでもあの人がやって来て見るがいい、思いさま毒づいて御馳走してやるんだのにねえ! あの人のことだから、それでも美味しがって存分喰べることでしょうよ。」
「ねえ、お前」と、ボブは云った。「子供達が居るじゃないか! それに聖降誕祭だよ。」
「たしかに聖降誕祭に違いありませんわね」と、彼女は云った。「スクルージさんのような、憎らしい、けちん坊で、残酷で、情を知らない人のために祝盃を上げてやるんですから。貴方だってそう云う人だとは知っているじゃありませんか、ロバート。いいえ、何人だって貴方ほどよくそれを知っている者はありませんわ、可哀相に。」
「ねえ、お前」と、ボブは穏かに返辞をした。「基督降誕祭だよ。」
「私も貴方のために、また今日の好い日のためにあの人の健康を祝いましょうよ」と、クラチット夫人は云った。「あの人のためじゃないんですよ。彼に寿命長かれ! 聖降誕祭お目出度う、新年お目出度う! あの人はさぞ愉快で幸福でしょうよ、きっとねえ。」
子供達は彼女に倣って祝盃を挙げた。彼等のやったことに真実が籠っていなかったのは、これが始めてであった。ちび[#「ちび」に傍点]のティムも一番後から祝盃を挙げた。が、彼は少しもそれに気を留めていなかった。スクルージは実際この一家の食人鬼であった。彼の名前が口にされてからと云うもの、一座の上に暗い陰影が投げられた。そして、それは全《まる》五分間も消えずに残っていた。
その影が消えてしまうと、彼等はスクルージと云う毒虫の片が附いたと云う単なる安心からして、前よりは十倍も元気にはしゃいだ。ボブ・クラチットはピータア君のために一つの働き口の心当りがあることや、それが獲られたら、毎週五シリング半入ることなどを一同の者に話して聞かせた。二人の少年クラチットどもはピータアが実業家になるんだと云って散々に笑った。そして、ピータア自身は、その眩惑させるような収入を受取ったら、一つ何に投資してやろうかと考え込んででもいるように、カラーの間から煖炉の火を考え深く見詰めていた。それから婦人小間物商のつまらない奉公人であったマーサは、自分がどんな種類の仕事をしなければならないかとか、一気に何時間働かなければならないかとか、明日は休日で一日自宅に居るから、明日の朝はゆっくり骨休めをするために朝寝坊をするつもりだとか云うことを話した。また、彼女はこの間一人の伯爵夫人と一人の華族様とを見たが、その貴公子は「ちょうどピータア位の身丈《せい》恰好《かっこう》であった」とも話した。ピータアはそれを聞くと、たとい読者がその場に居合せたとしても、もう彼の頭を見ることは出来なかったほど、自分のカラーを高く引張り上げたものだ。その間栗と壺とは絶えずぐるぐると廻されていた。やがて一同はちび[#「ちび」に傍点]のティムが雪の中を旅して歩く迷児《まいご》のことを歌った歌を唄うのを聞いた。彼は悲しげな小さい声を持っていた。そして、それを大層上手に唄った。
これには別段取り立てて云うほどのことは何もなかった。彼等は固より立派な家族ではなかった。彼等は身綺麗にもしていなかった。彼等の靴は水が入らぬどころではなかった。彼等の衣服は乏しかった。ピータアは質屋の内部を知っていたかも知れない、どうも知っているらしかった。けれども、彼等は幸福であった、感謝の念に満ちていた、お互に仲が好かった、そして今日に満足していた。で、彼等の姿がぼんやりと淡くなって、しかも別れ際に精霊が例の松明から振り掛けてやった煌々たる滴りの中に一層晴れやかに見えた時、スクルージは眼を放たず一同の者を見ていた、特にちび[#「ちび」に傍点]のティムを最後まで見ていた。
その時分にはもう段々暗くなって、雪が可なりひどく降って来た。で、スクルージと精霊とが街上を歩いていた時、台所や、客間や、その他あらゆる種類の室々で音を立てて燃え盛っている煖炉の輝かしさと云ったら凄じかった。此方では、チラチラする焔が、煖炉の前で十分に焼かれている熱い御馳走の皿や、寒気と暗黒とを閉め出すために、一たびは開いても直ぐにまた引き下ろされようとしている深紅色の窓掛と一緒になって、小ぢんまりした愉快な晩餐の用意を表わしていた。彼方では、家中の子供達が自分達の結婚した姉だの、兄だの、従兄だの、伯父だの、叔母だのを出迎えて、自分こそ一番先に挨拶をしようと、雪の中に走り出していた。また彼方には、皆頭巾を被って毛皮の長靴を履いた一群の美しい娘さんが、一度にべちゃくちゃ饒舌りながら、軽々と足を運んで、近所の家に出掛けて行った。そこへ彼等がぽっと上気しながら這入って来るのを見た独身者は災禍《わざわい》なるかな――手管のある妖女どもよ、彼等はそれを知っているのである。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||