クリスマス・カロル(ディケンズ)(17) (くりすますかろる)

クリスマス・カロル(ディケンズ)(17)

 二人はその繁劇な場面を捨てて、市中の余り人にも知られない方面へ這入り込んで行った。スクルージも兼てそこの見当も、またこの好くない噂も聞いてはいたが、今までまだ一度も足を踏み入れたことはなかった。その往来は不潔で狭かった。店も住宅もみすぼらしいものであった。人々は半ば裸体で、酔払って、だらしなく、醜くかった。路地や拱門路からは、それだけの数の下肥溜めがあると同じように、疎らに家の立っている街上へ、胸の悪くなるような臭気と、塵埃と、生物とを吐き出していた。そして、その一廓全体が罪悪と汚臭と不幸とでぷんぷん臭っていた。
 このいかがわしい罪悪の巣窟の奥の方に、葺卸屋根の下に、軒の低い、廂の出張った店があって、そこでは鉄物や、古襤褸や、空壜、骨類、脂のべとべとした腸屑(わたくず)などを買入れていた。内部の床の上には、銹ついた鍵だの、釘だの、鎖だの、蝶番いだの、鑪だの、秤皿だの、分銅だの、その他あらゆる種類の鉄の廃物が山の様に積まれてあった。何人も精査することを好まないような秘密が醜い襤褸の山や、腐った脂身の塊りや、骨の墓場の中に育まれかつ隠されていた。古煉瓦で造った炭煖炉を傍にして、七十歳に近いかとも思われる白髪の悪漢が自分の売買する代物の間に坐り込んでいた。この男は一本の綱の上に懸け渡した種々雑多な襤褸布を穢《むさ》くるしい幕にして、戸外の冷たい風を防いでいた。そして、穏やかな隠居所にぬくぬく暖まりながら、呑気に烟草を喫《ふ》かしていた。
 スクルージと精霊とがこの男の前に来ると、ちょうどその時一人の女が大きな包みを持って店の中へこそこそと這入り込んで来た。が、その女がまだ這入ったか這入り切らぬうちに、もう一人の女が同じように包みを抱えて這入って来た。そして、この女のすぐ後から褪《は》げた黒い服を来た一人の男が随いて這入った。二人の女も互に顔見合せて吃驚したものだが、この男は二人を見て同じように吃驚した。暫時は、煙管を啣えた老爺までが一緒になって、ぽかんとあきれ返っていたが、やがて三人一緒にどっと笑い出した。
「打捨《うっちゃ》って置いても、どうせ日傭い女は一番に来るのだ」と、最初に這入って来た女は叫んだ。「どうせ二番目には洗濯婆さんが来るのだ、それから三番目にはどうせ葬儀屋さんがやって来るのさ。ちょっ[#「ちょっ」に傍点]と、老爺さん、これが物の拍子と云うものだよ。ああ三人が揃いも揃って云い合せたようにここで出喰わすとはねえ!」
「お前方は一番好い場所で出会ったのさ」と、老ジョーは口から煙管《パイプ》を離しながら云った。「さあ居間へ通らっしゃい。お前はもうずっと以前から一々断らないでもそこへ通られるようになっているんだ。それから自余《あと》の二人も満更知らぬ顔ではない。まあ待て、俺が店の戸を閉めるまでよ。ああ、何と云うきしむ[#「きしむ」に傍点]戸だい! この店にも店自身に緊着《くっつ》いてるこの蝶番いのように錆びた鉄っ片れは他にありゃしねえよ、本当にさ。それにまた俺の骨ほど古びた骨はここにもないからね。ははは! 俺達は皆この職業《しょうばい》に似合ってるさ、まったく似合いの夫婦と云うものだね。さあ居間へお這入り。さあ居間へ!」
 居間というのは襤褸の帷幄《カーテン》の背後になっている空間であった。その老爺は階段の絨緞を抑えて置く古い鉄棒で火を掻き集めた。そして、持っていた煙管《パイプ》の羅宇《らう》で燻っている洋灯の心を直しながら(もう夜になっていたので、)再びその煙管を口へ持って行った。
 彼がこんな事をしている間に、既にもう饒舌ったことのある女は床の上に自分の包みを抛り出して、これ見よがしの様子をしながら床几の上に腰を下ろした――両腕を膝の上で組み合せて、他の二人を馬鹿にしたようにしゃあしゃあ[#「しゃあしゃあ」に傍点]と見やりながら。
「で、どうしたと云うんだね! 何がどうしたと云うんだえ、ええディルバアのお主婦さん?」と、その女は云った。「誰だって自分のためを思ってする権利はあるのさ。あの人[#「あの人」に傍点]なんざ始終そうだったんだよ。」
「そりゃそうだとも、実際!」と、洗濯婆は云った。「何人《だれ》もあの人以上にそうしたものはないよ。」
「じゃ、まあそう可怖《おっかな》そうにきょろきょろ[#「きょろきょろ」に傍点]立っていなくとも好う御座んさあね、お婆さん、誰が知ってるもんですか。それに此方《こちとら》だってお互に何も弱点《あら》の拾いっこをしようと云うんじゃないでしょう、そうじゃないかね。」
「そうじゃないともさ!」と、ディルバーの主婦さんとその男とは一緒に云った。「もちろんそんな積りはないとも。」
「それなら結構だよ」と、その女は呶鳴った。「それでもう沢山なのさ。これ位僅かな物を失くしたとて、誰が困るものかね。まさか死んだ人が困りもしないだろうしねえ。」
「まったくそうだよ」と、ディルバーの主婦さんは笑いながら云った。
「死んでからも、これが身に着けていたかったら、あの因業親爺がさ」と、例の女は言葉を続けた。「生きている時に、何故人間並にしていなかったんだい? 人間並にさえしてりゃ、お前、いくら死病に取り憑かれたからとて、誰かあの人の世話位する者はある筈だよ、ああして一人ぽっちであそこに寝たまま、最後の息を引き取らなくたってねえ。」
「まったくそりゃ本当の話だよ」と、ディルバーの主婦さんは云った。「あの人に罰が当ったんだねえ」
「もう少し酷い罰が当てて貰いたかったねえ」と、例の女は答えた。「なに、もっと他の品に手が着けられたら、大丈夫お前さん、もう少し酷い罰を当てて遣ったんだよ。その包みを解いておくれな、ジョー爺さんや。そして、値段をつけて見ておくれな。なに、明白《はっきり》と云うが可いのさ。私ゃ一番先だって構やしないし、また皆さんに見ていられたって別段|怖《こわ》かないんだよ。私達はここで出会わさない前から、お互様に他人《ひと》の物をくすねていたことは好く承知しているんだからねえ。別段罪にゃならないやね。さあ包みをお開けよ、ジョー。」
 が、二人の仲間にも侠気があって、仲々そうはさせて置かなかった。禿げちょろの黒の服を着けた男が真先駆けに砦の裂目を攀じ登って、自分の分捕品を持ち出した。それは量高《かさだか》の物ではなかった。印刻が一つ二つ、鉛筆入れが一個、袖口《カフス》ボタンが一組、それに安物の襟留めと、これだけであった。品物はジョー爺さんの手で一々検められ、値踏みされた。爺さんはそれぞれの品に対して自分がこれだけなら出してもいいと云う値段を壁の上に白墨で記した。そしていよいよこれだけで、後にはもう何もないと見ると、その総額を締め合せた。
「これがお前さんの分だよ」と、ジョーは云った。「釜で煮られるからと云っても、この上は六ペンスだって出せないよ。さ、お次は誰だい?」
 ディルバーの主婦さんがその次であった。上敷とタウェルの類、少し許りの衣裳、旧式の銀の茶匙二本、一挺の角砂糖挟み、それに長靴二三足。彼女の勘定も前と同じように壁の上に記された。
「俺は婦人にはいつも余計に出し過ぎてね。これが俺の悪い癖さ。またそれがために損ばかりしているのさ」と、ジョー老爺は云った。「これがお前さんの勘定だよ。この上一文でも増せなどと云って、まだこれを決着しないものにする気なら、俺は折角奮発したのを後悔して、半クラウン位差引く積りだよ。」
「さあ、今夜は私の荷物をお解きよ、ジョーさん。」と、最初の女が云った。
 ジョーはその包みを開き好いように両膝を突いて、幾つも幾つもの結び目を解いてからに、大きな重そうな巻き物になった何だか黒っぽい布片《きれ》を引き摺り出した。
「こりゃ何だね?」と、ジョーは云った。「寝台の帷幄《カーテン》かい。」
「ああ!」と、例の女は腕組みをしたまま、前へ屈身《こご》むようにして、笑いながら返辞をした、「寝台の帷幄だよ。」
「お前さんもまさかあの人をあそこに寝かしたまま、環ぐるみそっくりこれを引っ外して来たと云う積りじゃなかろうね。」と、ジョーは云った。
「そうだよ、そう云う積りなんだよ」と、その女は答えた。「だって、いけないかね。」
「お前さんは身代造りに生れついてるんだねえ」と、ジョーは云った。「今にきっと一身代造るよ。」
「そうさ、私も手を伸ばすだけで何がしでもその中に握れるような場合に、あの爺さんのようなあんな奴のためにその手を引っ込めるような、そんな遠慮はしない積りだよ、ジョーさん、お前さんに約束して置いても可いがね」と、例の女は冷やかに返答した。「その油を毛布の上へ垂らさないようにしておくれよ。」
「あの人の毛布かね」と、ジョーは訊ねた。
「あの人のでなけりゃ、誰のだと云うんだよ」と、女は答えた。「あの人も(ああなっては)毛布がなくたって風邪を引きもしまいじゃないか、本当の話がさ。」
「まさか伝染病で死んだんじゃあるまいね、ええ?」と、老ジョーは仕事の手を止めて、(相手を)見上げながら云った。
「そんな事はびくびくしないでも可いよ」と、女は云い返した。「そんな事でもありゃ、いくら私だってこんな物のためにいつまでも彼奴の周りをうろついているほど、彼奴のお相手が好きじゃないんだからね。ああ! その襯衣《シャツ》が見たけりゃ、お前さんの眼が痛くなるまで好く御覧なさいだ。だが、いくら見ても、穴一つ見附ける訳にゃ行かないだろうよ、擦り切れ一つだってさ。これが彼奴の持っていた一番上等のだからね。また実際好い物だよ。私でもこれを手に入れなかろうものなら、他の奴等はむざむざと打捨《うっちゃ》ってしまうところなんだよ。」
「打捨《うっちゃ》るってどう云うことなんだい?」と、老ジョーは訊ねた。
「彼奴に着せたまま一緒に埋めてやるのに極まってらあね」と、その女は笑いながら答えた。「誰か知らんが、そんな真似をする馬鹿野郎があったのさ。でも、(良い按排に)私が(それを見附けて、)もう一度脱がして持って来ちまったんだよ。そんな目的には(キャリコで沢山さ。)キャリコで間に合わなかったら、キャリコなんてえものは何にだって役に立ちはしないよ。死骸には(麻の襯衣)同様しっくり似合うものね。彼奴があの(麻の)襯衣を着ていた時見っともなく見えたよりも、見っともなく見える筈はないよ。」
 スクルージは慄然としながらこの対話に耳を傾けていた。例の老爺さんの洋灯から出る乏しい光の下に、銘々の分捕品を取り捲いて、彼等が坐っていた時、彼はたとい、彼等が死骸其者を売買する醜怪な悪鬼どもであったとしても、よもこれより烈しくはあるまいと思われるほどの憎悪と嫌忌の情を以てそれを見やったものだ。





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