クリスマス・カロル(ディケンズ)(03) (くりすますかろる)
クリスマス・カロル(ディケンズ)(03)
自分達の主旨を押して追求したところで、とても無駄だと明白に看て取ったので、紳士達は引き下がった。スクルージは急に自分が偉くなったように感じながら、平生の彼よりはずっと気軽な気持で、再び仕事に取り掛った。
その間にも霧と闇とはいよいよ深くなったので、人々は馬車馬の前に立って、途中その馬を案内する御用を承わりたいと申し出でながら、ゆらゆら燃える松明を持って歩き廻った。年数を経た教会の塔は――その銅鑼声の古い鐘はいつも壁の中のゴシック型の窓から何喰わぬ顔してスクルージを見下ろしていたものだが、その塔も見えなくなった。そして、あの高い所にあるあの凍った頭の中で歯ががちがち噛み合ってでもいるように、後に顫えるような震声を曳いて、雲の中で一時間目毎、十五分目毎の鐘を打った。寒さはいよいよ厳しくなった。大通りでは、路地の隅で、二三の労働者が瓦斯管の修繕をして居た。そして、火鉢の中に火を沢山燃して置いて、その周囲に襤褸を来た男達と子供達の一団が夢中になって手を煖めたり、火焔の前に眼をぱちつかせたりしながらむらがっていた。水道の栓はひとり打遣って置かれたので、その溢れ出る水は急に凍って、厭世的な氷になってしまった。柊の小枝や果実が窓の中の洋灯の熱にパチパチ弾けている店々の明るさは、通りがかりの人々の蒼い顔を真赧にした。家禽屋だの食料品屋だのの商売は素晴らしい戯談になってしまった。すなわち取引とか売買とかいうような面白くもない原則がこれと何かの関係があろうとは、到底信じられないような、華やかな観世物になってしまったのであった。市長閣下は堂々とした官邸の城砦の中で、何十人という料理番と膳部係とに、市長家として恥ずかしくないような、聖降誕祭の用意をするように吩咐けた。また前週の月曜日酒に酔って、血腥い真似をしたと云うかどで市長から五シリングの罰金に処せられた詰らない仕立屋すら、痩せた女房と赤ん坊とが牛肉を買いに駆け出して行った間に、屋根裏の部屋で明日のプディングを掻き廻していた。
いよいよ霧は深く、寒さも加わって来た。突き刺すような、身に徹えるような、噛みつくような寒さであった。聖ダンスタンがいつもの武器を使う代りに、こんなお天気で一と撫でして、悪魔の鼻をちょいと痺れさせてやったら、その時こそ実際悪魔は大声挙げて咆吼したことでもあろう。骨が犬に咬まれるように、飢えた寒さに咬みつかれ、もぐもぐ噛じられた、一つの尖った若い鼻の持ち主がスクルージの鍵の穴から覗き込んで、聖降誕祭の頌歌を彼に振舞おうとした。が、
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神は貴方がたを祝福したまわん、愉快そうな紳士方よ、
貴方がたを狼狽せしむる者は一としてなからん!
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と初めの文句を歌い出した刹那に、スクルージは非常に猛烈な勢いで簿記棒を引掴んだ。それがために歌唄いは仰天して、その鍵の穴を霧と、それよりももっと主人と性の合った霜とに任せて置いたまま遁げ出した。
とうとう事務所の閉じる時刻がやって来た。厭々ながらスクルージはその腰掛から降りて、大桶の中に待ち構えていた書記に、黙ってその事実の承認を与えた。書記は早速蝋燭を消して帽子を被った。
「明日は丸一日欲しいんだろうね?」とスクルージは云った。
「ご都合が宜しければ、貴方。」
「都合は宜しくないさ」と、スクルージは云った。「また公平な事でもないさ。で、そのために半クラウンを差引こうと云い出したら、君は酷い目に遭ったと思うだろう、きっとそうだろうな!」
書記は微かに笑った。
「しかもだ」と、スクルージは云った、「君の方じゃ仕事もしないのに一日の給料を払わせられる俺を酷い目に遭わせたとは考えないのだ。」
書記は一年にたった一度のことだと云った。
「毎年十二月二十五日に人の懐中物を掏《す》り取るにしちゃ、まずい言い訳だ」と、スクルージは大きな外套の顎までボタンを掛けながら云った。「だが、どうしたって丸一日休まずには置かないのだろう。明くる朝はその代りに一層早く出て来なさいよ。」
書記はそうしましょうと云うことを約束した。スクルージはぶつぶつ云いながら出て行った。事務所は瞬く間に閉じられてしまった。そして、書記は白い襟巻の長い両端を腰の下でぶらぶらさせながら、(と云うのは彼は外套を持っていなかったからで。)聖降誕祭前夜のお祝いに、子供達の列の端に附いて、コーンヒルの大通りの氷った辷り易い道の上を幾度となく往復した。それから目隠し遊びをしようと思って、全速力でカムデン・タウンの自宅へ駆け出して行った。
スクルージは行きつけの陰気な居酒屋で、陰気な食事を済ました。そこにあった新聞をすっかり読んでしまって、あとは退屈凌ぎに銀行の通帳をいじくっていたが、やがて寝に帰った。彼はかつて死んだ仲間の所有であった部屋に住っていた。それは中庭の突き当りの陰気な一構えの建物の中にある薄暗い一組の室であった。この建物は、少年の頃に他の家々と一緒に隠れん坊の遊びをしながら、そこへ走り込んだまま、元の出口を忘れてしまったものに違いないと想像せずにはいられなかったほど、ここにある必要のないものであった。今はすっかり古びて、随分物凄いものになっていた。何しろ他の室は皆事務所に貸してあって、スクルージの外には誰も住んで居ないのだから。中庭は真暗で、その石の一つ一つをも知っている筈のスクルージですら、已むを得ず手探りで這入って行った位であった。霧と霜とは、その家の真黒な古い玄関の辺りにまごまごしていたが、ちょうどそれは天気の神がじっと悲しげに考え込みながら、閾の上に坐っているのかと思われる位であった。
ところで、入口の戸敲きには、それは非常に大きなものであったと云う外に、別段変ったことはなかった。それは事実である。またスクルージは、そこに住っている間、朝に晩にそれを見ていたと云うことも事実である。またスクルージは、倫敦《ロンドン》市民の何人《だれ》とも、市の行政団体、市参事会、組合員などを引っ包めても――引っ包めてもと云うのは少し大胆だが、倫敦市中の何人《だれ》とも同じように、所謂想像力なるものを余り持っていなかったと云うことも事実その通りである。またスクルージは、この日の午後七年前に死んだ仲間のことを口にした切りで、それ以来少しもマアレイの上に思いを致さなかったと云うことも心に留めて置いて貰いたい。で、そうした上で、スクルージが、戸の錠前に鍵を押し込んでから、それがいつの間にどうして変ったと云うこともないのに、その戸敲きを戸敲きと見ないで、マアレイの顔と見たと云うことは、一体どうしたことであろうか、それを説明の出来る人があったら、誰でもいいから説明して貰いたい。
マアレイの顔。それは中庭にある外の物体のように、見透かせない闇の中にあるのではなく、真暗なあなぐらの中にある腐敗した海老のように、気味の悪い光を身の周りに持っていた。それは怒ってもいなければ、猛々しい顔でもない。その昔マアレイが物を見る時の容子そっくりの容子をして、すなわちその幽霊然たる額に幽霊然たる眼鏡を掻き上げて、じっとスクルージを見遣った。頭髪は息か熱した空気でも吹きかけられているように、へんてこに動いていた。そして眼はぱっちり開いていたが、まるで動かなかった。その眼とどす黒い顔の色とはその顔をぞっと怖毛《おじけ》の立つような気味の悪いものにした。が、その顔の気味悪さは顔とは全然無関係で、顔の表情の一部分というよりも、むしろその支配を超脱しているように思われた。
スクルージがこの現象を眼を凝らして見ると、それはまた一つの戸敲きであった。彼はどきりともしなかった、または彼の血は赤児の時から恐ろしいというような感じは知らないで通して来たが、今もその感じを意識しなかったなぞと云えば、それは嘘だ。が、しかし彼は一たび放した鍵に手を掛けて、頑強にそれを廻わした。それから中へ這入って蝋燭を点けた。
彼は戸を閉める前に、一寸躊躇して手を控えた。そして、廊下の方へ出っ張っているマアレイの弁髪を見て脅かされることだろうと、半ばそれを待ち設けてでもいるように、先ずその戸の背後を用心深く見廻わした。が、その戸の裏には、戸敲きを留めてあった螺旋と女螺旋との外には何もなかった。そこで彼は「ぷっ! ぷっ!」と云った。そして、その戸をぴっしゃり閉めてしまった。
その響は雷鳴のように家の中に響き渡った。階上のどの室も、酒商の借りている地下のあなぐらの中のどの樽も、それぞれ特有の反響を立てて高鳴りをしたように思われた。スクルージは反響なぞにおびえるような男ではなかった。彼はしっかり戸締りをして、廊下を横切って、階段を上って行った。しかも緩やかに。歩いている間に蝋燭の心を切りながら。
読者諸君は、六馬立ての馬車を駆って古い階子段を駆け上がるとか、または、新に議会を通過した法令の穴を潜って馬車を駆るとか云うようなことを漠然と話していても宜しい。だが、私は誰でもあの階段の上に棺車を引き上げようと思えば上げられる、しかも壁の方に横木をやり、欄干の方へ扉を向けて、それを横にして引き上げることも出来る、しかもそれを容易くすることが出来ると云うことを云いたいのだ。そうするだけの広さは十分にあって、まだ余地がある位であった。それが恐らくスクルージの薄暗がりの中で自分の前を自動棺車が上って行くのを見たように思った原因でがなあろう。街上からは五六個の瓦斯灯の光りが射しても、十分にこの入口を照らしはしなかったろう。それだもの、スクルージの蝋燭ではかなり暗かったとは、誰にも想像がつこう。
スクルージは、そんなことには少しも頓着しないで、上って行った。暗闇は廉《やす》いものだ。そして、スクルージはそれが好きであった。が、彼はその重い戸を閉める前に、何事もなかったか検めようとして、室々を通り抜けた。彼もそうして見たくなる位には、十分その顔の追憶を持っていたのだ。
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