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九鬼周造「「いき」の構造」(10) (いきのこうぞう)

九鬼周造「「いき」の構造」(10)

 なお一般に顔の粧《よそお》いに関しては、薄化粧[#「薄化粧」に傍点]が「いき」の表現と考えられる。江戸時代には京阪の女は濃艶な厚化粧《あつげしょう》を施したが、江戸ではそれを野暮と卑《いや》しんだ。江戸の遊女や芸者が「婀娜《あだ》」といって貴《たっと》んだのも薄化粧のことである。「あらひ粉にて磨きあげたる貌《かお》へ、仙女香をすりこみし薄化粧は、ことさらに奥ゆかし」と春水もいっている。また西沢李叟《にしざわりそう》は江戸の化粧に関して「上方《かみがた》の如く白粉《おしろい》べたべたと塗る事なく、至つて薄く目立たぬをよしとす、元来女は男めきたる気性ある所の故《ゆえ》なるべし」といっている。「いき」の質料因と形相因とが、化粧を施すという媚態の言表と、その化粧を暗示に止《とど》めるという理想性の措定《そてい》とに表われている。
 髪は略式のもの[#「髪は略式のもの」に傍点]が「いき」を表現する。文化文政には正式な髪《かみ》は丸髷《まるまげ》と島田髷《しまだまげ》とであった。かつ島田髷としてはほとんど文金高髷《ぶんきんたかまげ》に限られた。これに反して、「いき」と見られた結振《ゆいぶ》りは銀杏髷《いちょうまげ》、楽屋結《がくやゆい》など略式の髪か、さもなくば島田でも潰《つぶ》し島田、投げ島田など正形の崩れたものであった。また特に粋を標榜《ひょうぼう》していた深川の辰巳風俗としては、油を用いない水髪が喜ばれた。「後ろを引詰《ひっつ》め、たぼは上の方へあげて水髪にふつくりと少し出し」た姿は、「他所《よそ》へ出してもあたま許《ばか》りで辰巳仕入と見えたり」と『船頭深話《せんどうしんわ》』はいっている。正式な平衡を破って、髪の形を崩すところに異性へ向って動く二元的「媚態」が表われてくる。またその崩し方が軽妙である点に「垢抜」が表現される。「結ひそそくれしおくれ髪」や「ゆふべほつるる鬢《びん》の毛」がもつ「いき」も同じ理由から来ている。しかるにメリサンドが長い髪を窓外のペレアスに投げかける所作《しょさ》には「いき」なところは少しもない。また一般にブロンドの髪のけばけばしい黄金色よりは、黒髪のみどりの方が「いき」の表現に適合性をもっている。
 なお「いき」なものとしては抜き衣紋[#「抜き衣紋」に傍点]が江戸時代から屋敷方以外で一般に流行した。襟足《えりあし》を見せるところに媚態がある。喜田川守貞《きたがわもりさだ》の『近世風俗志』に「首筋に白粉ぬること一本足と号《い》つて、際立《きわだ》たす」といい、また特に遊女、町芸者の白粉について「頸《くび》は極《きわめ》て濃粧す」といっている。そうして首筋の濃粧は主として抜《ぬ》き衣紋《えもん》の媚態を強調するためであった。この抜き衣紋が「いき」の表現となる理由は、衣紋の平衡を軽く崩し、異性に対して肌への通路をほのかに暗示する点に存している。また、西洋のデコルテのように、肩から胸部と背部との一帯を露出する野暮に陥らないところは、抜き衣紋の「いき」としての味があるのである。
 左褄[#「左褄」に傍点]を取ることも「いき」の表現である。「歩く拍子《ひょうし》に紅《もみ》のはつちと浅黄縮緬《あさぎちりめん》の下帯《したおび》がひらりひらりと見え」とか「肌の雪と白き浴衣《ゆかた》の間にちらつく緋縮緬の湯もじを蹴出《けだ》すうつくしさ」とかは、確かに「いき」の条件に適《かな》っているに相違ない。『春告鳥《はるつげどり》』の中で「入り来《きた》る婀娜者《あだもの》」は「褄《つま》をとつて白き足を見せ」ている。浮世絵師も種々の方法によって脛《はぎ》を露出させている。そうして、およそ裾《すそ》さばきのもつ媚態をほのかな形で象徴化したものがすなわち左褄《ひだりづま》である。西洋近来の流行が、一方には裾を短くしてほとんど膝《ひざ》まで出し、他方には肉色の靴下をはいて錯覚の効果を予期しているのに比して、「ちよいと手がるく褄をとり」というのは、遙《はる》かに媚態としての繊巧《せんこう》を示している。
 素足[#「素足」に傍点]もまた「いき」の表現となる場合がある。「素足《すあし》も、野暮な足袋《たび》ほしき、寒さもつらや」といいながら、江戸芸者は冬も素足を習《ならい》とした。粋者《すいしゃ》の間にはそれを真似《まね》て足袋を履《は》かない者も多かったという。着物に包んだ全身に対して足だけを露出させるのは、確かに媚態の二元性を表わしている。しかし、この着物と素足との関係は、全身を裸にして足だけに靴下または靴を履く西洋風の露骨さと反対の方向を採《と》っている。そこにまた素足の「いき」たる所以《ゆえん》がある。
 手は媚態と深い関係をもっている。「いき」の無関心な遊戯が男を魅惑する「手管《てくだ》」は、単に「手附《てつき》」に存する場合も決して少なくない。「いき」な手附は手を軽く反らせることや曲げること[#「手を軽く反らせることや曲げること」に傍点]のニュアンスのうちに見られる。歌麿の絵のうちには、全体の重心が手一つに置かれているのがある。しかし、更に一歩を進めて、手は顔に次いで、個人の性格を表わし、過去の体験を語るものである。我々はロダンが何故《なにゆえ》にしばしば手だけを作ったかを考えてみなければならぬ。手判断は決して無意味なものではない。指先まで響いている余韻によって魂そのものを判断するのは不可能ではない。そうして、手が「いき」の表現となり得る可能性も畢竟《ひっきょう》この一点に懸《かか》っている。
 以上、「いき」の身体的発表{3}を、特にその視覚的発表を、全身、顔面、頭部、頸《くび》、脛《はぎ》、足、手について考察した。およそ意識現象としての「いき」は、異性に対する二元的措定《そてい》としての媚態が、理想主義的非現実性によって完成されたものであった。その客観的表現である自然形式の要点は、一元的平衡を軽妙に打破して二元性を暗示するという形を採《と》るものとして闡明《せんめい》された。そうして、平衡を打破して二元性を措定する点に「いき」の質料因たる媚態が表現され、打破の仕方のもつ性格に形相因たる理想主義的非現実性が認められた。

 {1}この問題に関しては、Utitz, Grundlegung der allgemeinen Kunstwissenschaft, 1914, I, S. 74ff. および Volkelt, System der Aesthetik, 1925, III, S. 3f. 参照。
 {2}味覚、嗅覚《きゅうかく》、触覚に関する「いき」は、「いき」の構造を理解するために相当の重要性をもっている。味覚としての「いき」については、次のことがいえる。第一に、「いき」な味とは、味覚が味覚だけで独立したような単純なものではない。米八が『春色《しゅんしょく》恵《めぐみ》の花《はな》』のうちで「そんな色気のないものをたべて」と貶《けな》した「附焼団子《つけやきだんご》」は味覚の効果をほとんど味覚だけに限っている。「いき」な味とは、味覚の上に、例えば「きのめ」や柚《ゆず》の嗅覚や、山椒《さんしょ》や山葵《わさび》の触覚のようなものの加わった、刺戟《しげき》の強い、複雑なものである。第二の点として、「いき」な味は、濃厚なものではない。淡白なものである。味覚としての「いき」は「けもの店《だな》の山鯨《やまくじら》」よりも「永代《えいたい》の白魚《しらうお》」の方向に、「あなごの天麩羅《てんぷら》」よりも「目川《めがわ》の田楽《でんがく》」の方向に索《もと》めて行かなければならない。要するに「いき」な味とは、味覚のほかに嗅覚や触覚も共に働いて有機体に強い刺戟を与えるもの、しかも、あっさりした淡白なものである。しかしながら、味覚、嗅覚、触覚などは身体的発表として「いき」の表現となるのではない。「象徴的感情移入」によって一種の自然象徴が現出されるに過ぎない。身体的発表としての「いき」の自然形式は、聴覚と視覚に関するものと考えて差支ないであろう。そうして視覚に関してはアリストテレスが『形而上学《けいじじょうがく》』の巻頭にいっている言葉がここにも妥当する。曰《いわ》く「この感覚は他の感覚よりも我々にものを最もよく認識させ、また多くの差異を示す」(Aristoteles, Metaphysica A 1, 980a)
 {3}「いき」の身体的発表はおのずから舞踊へ移って行く。その推移には何らの作為も無理もない。舞踊となったときに初めて芸術と名付けて、身振と舞踊との間に境界を立てることにかえって作為と無理とがある。アルベール・メーボンはその著『日本の演劇』のうちで、日本の芸者が「装飾的および叙述的身振に巧妙である」ことを語った後に、日本の舞踊に関して次のようにいっている。「身振によって思想および感情を翻訳することについては日本派のもっている知識は無尽蔵である。……足と脛《はぎ》とは拍子の主調を明らかにし、かつ保つ役をする。躯幹《くかん》、肩、頸、首、腕、手、指は心的表現の道具である」(Albert Maybon, 〔Le the'a^tre japonais〕, 1925, pp. 75-76)。我々はいま便宜上、「いき」の身体的発表を自然形式と見て、舞踊から離して取扱った。しかし、なおこの上に舞踊のうちにあらわれている「いき」の芸術形式を考察することは、おそらく「いき」の自然形式の考察を繰返すことに終るか、またはそれに些少《さしょう》の変更を加えるに止《とど》まるであろう。
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