国枝史郎「大捕物仙人壺」(13) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(13)

13

「その手箱なら手許にないよ」素気なく「爺つあん」は云い放った。
「嘘を云いねえ、ほんとにするものか」文は憎さげに笑ったが、「ではどうでも厭なのだな。ふん、厭なら止すがいい。その代り紫錦を連れて来て、もう今度は遠慮はいらねえ、何も彼もモミクチャにしてやるから」
 これを聞くと「爺つあん」の顔は、不安のために歪んだが、
「文! 紫錦にゃ罪はねえ! そんな事はよしてくれ!」
「じゃ、手箱を渡すがいい」
「ないのだないのだ! 手許には!」
「じゃ一体どこにあるのだ?」
「そいつあ云えねえ。勘弁してくれ」
「云えなけりゃそれまでよ。……そろそろ料理に取りかかるかな」
 文は部屋から出ようとした。
「オイ待ってくれ、釜無しの!」と「爺つあん」は周章《あわ》てて呼びとめた。
「何か用かな? え、「爺つあん」?」相手の苦痛を味わうかのように文はゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]とこう云った。
「ほんとに紫錦をいじめる気か?」
「二枚の舌は使わねえよ」
「ほんとに居場所を知ってるのか? え、紫錦の居り場所を?」
「二枚の舌は使わねえよ」
「それじゃどうも仕方がねえ」じっ[#「じっ」に傍点]と「爺つあん」は考え込んだが、
「云うとしよう、在り場所をな」
「おお云うか、それはそれは」文はニタリと北叟笑《ほくそえ》みをしたが、「どこにあるんだ、え、手箱は」
「その代り手箱を手に入れたら、きっと紫錦からは手を引くだろうな」
「云うにゃ及ぶだ、手を引くとも。元々あの娘を抑えたのは、その手箱が欲しかったからさ。いわば人質に取ったんだからな。……で、手箱はどこにあるな?」
「よく聞きねえよ、その手箱はな……」
「おっと、云っちゃいけねえ!」突然こう云う声がした。
 驚く二人の眼の前へ、襖をあけて現われたのは、他でもないトン公であったが、頭を白布で巻いているのは、傷を結《いわ》えたからであろう。
「おお親方、久し振りだね」まず文へ挨拶をした。
「や、手前、トン公じゃねえか!」文は憎さげに怒鳴《どな》り声をあげ「福助の出る幕じゃあねえ、引っ込んでろ!」
「そいつはいけねえ、いけねえとも、お生憎さまだが引っ込めねえ」負けずにトン公はやり返した。
「と云うなあお前さんが、あんまり嘘を云うからさ」
「ナニ嘘を云う? 嘘とはなんだ!」
「嘘じゃねえかよ、ねえ親方、なんのお前さんや源公が、紫錦さんの居場所を知ってるものか。大嘘吐きのコンコンチキさね。こっちはちゃあんと[#「ちゃあんと」に傍点]見透しだあ」トン公は小気味よく喝破してから、「ねえ親方、嘘だと思うなら、荒筋を摘まんで話してもいい。聞きなさるか、え、親方《おやかた》?」
 文は返辞をしなかった。
「まずこうだ、しかも今日、お前さんとそうして源公とが、観音堂の横っちょ[#「っちょ」に傍点]で、エテ物を踊らせていたってものだ。するとそこへ遣って来たのが、令嬢姿の紫錦さんよ。で、早速源公が後をつけ[#「つけ」に傍点]たというものだ。そうさ、ここまでは成功だ。だが、後が面白くねえ、そうさ、途中でまかれ[#「まかれ」に傍点]たんだからな。アッハハハ、いい面の皮さ。……だから親方にしろ源公にしろ、紫錦さんの居り場所なんか、知ってるはずはねえじゃあねえか。へん、この通り、見透しだあね」
 文は返辞をしなかった。事実は返辞が出来なかった。それというのもトン公の言葉が一々胸にあたるからであった。
「トン公!」ととうとう喚くように云った。「昔の親方の恩を忘れ、襟元へ付こうって云うんだな。覚えていろよ、いい事アねえぞ」
「覚えているとも」とトン公は笑い、「悪いことは云わねえ帰った方がいい。そうだ足下の明るいうちにね」
 云い捲くられた釜無しの文は、縹緻《きりょう》を下げて帰ることになった。
 足音が門口から消えた時、「爺つあん」は深い溜息をした。
「……すんでに瞞される所だった。トン公、ほんとに有難うよ」
「ナーニ」と云ったがトン公は、頭の繃帯を手でさぐり、「どうもいけねえ、まだ痛えや。……だがね「爺つあん」実の所はね、紫錦さんは浮雲《あぶね》えんだよ」
「え、どうしてだい? どうして浮雲えな?」
「源公の野郎ヤケになって、江戸中探しているらしいんだ。それで今夜もぶつかったって訳さ。この頭の傷だって、つまり何だ、その時の土産《みやげ》さ。……あれいけねえ、まだ痛えや!」怨めしそうな顔をした。



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