国枝史郎「大捕物仙人壺」(14) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(14)

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※[#歌記号、1-3-28]よし足引の山めぐり、四季のながめも面白や、梅が笑えば柳が招く、風のまにまに早蕨《さわらび》の、手を引きそうて弥生《やよい》山……
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 その翌日の午後であったが、小堀義哉《こぼりよしや》は裏座敷で、清元《きよもと》の『山姥《やまうば》』をさら[#「さら」に傍点]っていた。
 と、襖がつつましく[#「つつましく」に傍点]開いて、小間使いのお花が顔を出した。
「あの、お客様でございます」
「お客様? どなただな?」
「伊丹屋《いたみや》の娘だと仰有《おっしゃ》いまして、眼の醒《さめ》るようなお美しい方が、駕籠でお見えでございます」
「ああそうか、通すがよい」
 間もなく部屋へ現われたのは、盛装をしたお錦であった。
「お錦殿か、よく見えられたな」義哉は愛想よく声を掛けた。
「昨夜はお助け下されまして、お蔭をもちまして危難を遁がれ、何とお礼を申してよいやら」
 お錦は手をついて辞儀をしたが、「お礼にあがりましてござります」
 其処へ小間使いが現われて、頂戴物の披露をした。
「それはそれはご丁寧に。そんな心配には及ばなかったものを」義哉はかえって気の毒そうにした。
 一人は美男の若侍、一人は妖艶な町娘、それに男は武士とは云っても、清元の名手で寧ろ芸人そうして女は其昔は女軽業の太夫である。それが春の日の閑静な部屋に、二人だけで向かい合っているのであった。
 二人はしばらく黙っていた。蒸されるような沈黙であった。
「おおそうそう、杉の手箱をお預かりしてあったはず、お持ち帰りになられるかな」やがて義哉はこう云って、ものしずかに立ち上りかけた。
「ハイ」と云ったが、周章《あわ》てて止め、「ご迷惑でないようでございましたら、その手箱はもう少々お預かりなされて下さいますよう」
「ははあ左様か、よろしゅうござる」
 この手箱がありさえしたら、これから度々この娘が、訪ねて来ないものではない。何と云っても美しい娘で、美人を見るということは、悪い気持のものではない。……これが義哉の心持だった。それで、承知したのであった。話の口が切れたので、すぐに義哉は追っかけて訊いた。
「由《よし》ありそうな杉の手箱、何が入れてありますかな?」
「さあ何でございましょうか」お錦は一向平気で云った。「戴いたものでございますの」
「ほほう左様で、誰人《どなた》からな?」
「ハイ、見知らぬ老人から」
「見知らぬ老人から? これは不思議」
「ほんとに不思議でございますの。……昨夜あれから参りました、瓦町《かわらまち》の古家で、気味の悪い老人から、戴いたものでございます」
「ふうむ」と云ったが小堀義哉は、にわかに興味に捉えられた。
 で、立ち上って隣室へ行き、袋戸棚の戸をあけて、杉の手箱を取り出して来た。それから仔細に調べたが、
「この箱は杉ではない」先づこう云って首を傾げた。
「杉でないと仰有《おっしゃ》いますと?」
「杉材としては持ち重りがする。鐡で作った箱の表皮へ、杉の板を張り付けたもので、しかも日本の細工ではない。支那製か南蛮製だ」
「マアさようでございますか」お錦も興味を感じてきた。
「ひとつ、開けて見ましょうかな。おおここに鍵穴がある。さて鍵だがお持ちかな?」
「ハイ、うち[#「うち」に傍点]にならございます」
「では明日にでも持って来て、ともかくも開けて見ましょうかな」
「そういうことに致しましょう」
 ここで話がちょっと切れた。
 もう夕暮《ゆうやみ》に近かった。庭の築山では吉野桜が、微風にもつれて[#「もつれて」に傍点]散っていた。パチッ、パチッと音のするのは、泉水で鯉が躍ねるのであった。
 何気なくお錦は庭を見た。往来と境の黒板塀にかなり大きな節穴があったが、そこから誰か覗いていると見えてギラギラ光る眼が見えた。
「あれ!」とお錦の叫んだ時には、もうその眼は消えていた。



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