国枝史郎「大捕物仙人壺」(16) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(16)

16

 左と右は板壁で、出入口らしいものは一つもなく。[#「。」はママ]ただ正面に古びた家が、戸口を向けて立っていた。
「ああ、あの家へ入り込んだな」
 こう思った彼は走り寄ると、躊躇なく表戸へ手を掛けた。すると意外にもスルリと開いた。内へ入って見廻すと、空家と見えて人影もなく、家具類さえ[#「さえ」は底本では「さへ」]見あたらない。
 裏にも一つの出入口があって、その戸がなかば[#「なかば」に傍点]開いていた。
「うん、あそこから抜け出したのだな」
 で、彼はその口から、急いで外へ出ようとした。すると、その戸がにわかに閉じ、閂《かんぬき》を下す音がした。
「しまった!」と叫ぶと身を翻えし、入って来た口から出ようとした。するとその戸も外から閉ざされ、閂のかかる音がした。
 もう出ることは出来なかった。彼は監禁されてしまった。
 こんな場合の彼の心に、よくあてはまる[#「あてはまる」に傍点]形容詞といえば「茫然」という文字だろう。実際彼は茫然として、暗黒の家内に突立っていた。
 しかしいつまでも茫然として、突立っていることは出来なかった。抜け出さなければならなかったし、追っかけなければならなかった。いやいやそれよりこうなってみれば、先ず何より自分自身の、安全を計らなければならなかった。
「戸を破るより仕方がない」そこで彼は全力を集め、裏戸へ体をぶっつけた[#「ぶっつけた」に傍点][#「ぶっつけた」は底本では「ぶつっけた」]。
 途端に人声が聞こえてきた。
「こっちでござる。お入りなされ」
 ギョッとして四辺《あたり》を見廻すと、一筋の火光が天井から、斜に足許へ射していた。二階から来た燈火《あかり》である。ぼんやりと梯子段も見えている。その梯子段の行き詰まりに、がんじょうな戸が立ててあり、それが細目にあけられた隙から火光が幽《かすか》に洩れていた。
「それでは空家ではなかったのか」こう思うと彼は心強くなった。それと同時に案内も乞わず、他人の家へ入り込んだことが、申し訳なくも思われた。
「こちらへ」
 という声が聞こえた。
 そこで彼は階段を上った。
 思わず彼はあっ[#「あっ」に傍点]と云った。二階の部屋の光景が不思議を極めていたからであった。そこには十人の男がいた。一人は按摩、一人は瞽女《ごぜ》、もう一人は琵琶師、もう一人は飴屋、更に、居合抜に扮したもの、更に独楽師《こまし》に扮したもの、又は大工又は屑屋、後の二人は商人風に、縞の衣裳を着ていたが、いずれも鋭い眼光や、刀を左右に引き付けている様子で、武士であることが見て取られた。
 そうして彼らの真中に一葉の図面が置かれてあったが、他ならぬ千代田城の図面であった。
「これは浪士だ! 浪士の密会だ!」早くも察した小堀義哉は戦慄せざるを得なかった。
 浪士達の方でも驚いたらしく、互に顔を見合わせたが、
「これは人違いだ。本庄《ほんじょう》氏ではない」琵琶師に扮した一人が云った。
「貴殿は一体何者かな?」
「拙者は旗本、小堀と申すもの、人を迫っ駆けて参ったものでござる」義哉は正直に打ち明けた。
「実は空家と存じましてな」
「左様、ここは空家でござる。……幽霊屋敷で通っている。外桜田の毛脛《けずね》屋敷でござる」
 これを聞くと小堀義哉[#「義哉」は底本では「直哉」]は、「ああそうか」と思わず云った。天井から毛脛が下がって来て悪戯をするという所から、外桜田[#「外桜田」は底本では「下桜田」]の毛脛[#「毛脛」は底本では「下脛」]屋敷と呼ばれ、いつまで経っても住手のない家が、一軒あるという噂は、既に以前に聞いていた。「はああそれでは浪士どもが、集会の用に立てようため、そんな気味の悪い噂を立て、人を付近に近寄せないのだな」こう考えて来ていよいよ義哉は身の危険に戦慄《おのの》いた。
 その時浪士たちは顔を寄せ合い、しばらくヒソヒソ相談したが、
「さて小堀義哉氏とやら、我々を何と覚しめすな?」琵琶師風の一人がやがて云った。
「姿はさまざまに※[#「にんべん+肖」、第4水準2-1-52]《やつ》しては居れど、浪士方と存ぜられます」
「いかにも左様、浪士でござる。……何の為の会合とおぼしめすな?」
「それはトント存じませんな」
「この図面、ご存知かな?」
 琵琶師は図面を指差した。
「千代田の城の図面でござろう」
 すると浪士は頷いたが、
「実は我ら千代田城へ、火を掛けようと存じましてな。それで会合をして居るのでござる」
 家常茶飯事でも話すように、こう浪士はスラスラと云った。そうしてじっと[#「じっと」に傍点]眼を据えて、義哉の顔を見守った。



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