国枝史郎「大捕物仙人壺」(17) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(17)

17

 主君も主君将軍家の城を、焼打ちにしようというのであるから、これが普通の幕臣なら、カッと逆上《のぼせ》るに違いない。
 勿論義哉もカッとなった。しかし義哉は芸人であって、忍耐性に富んでいた。それで、別に顔色をかえず、冷やかに相手を見返した。
「小堀氏、何と思われるな?」
 琵琶師風の浪士は嘲笑うように「さぞ憤慨に堪えられますまいな」
「破壊、放火、殺人というような殺伐なことは大嫌いでござる。こういう意味から云う時は、勿論貴所《きしょ》方の計画を、快く思うことは出来ませんな」義哉は憚らず思う所を云った。
「将軍に対する反逆については?」
「それとてよくはござらぬな。しかし、大勢というものは、多数の意嚮《いこう》に帰するものでござる。天下は一人の天下ではなく、即ち天下の天下でござる、いや、帝の天下でござる」
「しかし、貴殿は旗本とのこと、すれば将軍は直接の主君、それに反抗するこの我々をさぞ憎く覚し召さりょうな?」
「さようでござる、普通にはな」義哉は敢て興奮もせず「しかしそれより実の所は、勤王、左幕の衝突の結果、世間がいつ迄もおちつかず[#「おちつかず」に傍点]、その為芸道の廃れを見るのが、拙者にとっては残念でござるよ」
「ナニ、芸道とな? 何の芸道?」
「清元、常磐津《ときわづ》、長唄、新内、その他一般の三味線学でござる。日本古来よりの芸道でござる」
 これを聞くと浪士達は、一度にドッと笑い出した。それから口々に罵った。
「アッハハハ、沙汰の限りだ。こういう武士があればこそ、徳川の天下は亡びるのだ」
「両刀をたばさむ[#「たばさむ」に傍点]武士たるものが、遊芸音曲に味方するとは、さてさて武士道もすたれたものでござるな」
「諸君、そういったものでもない」こう静かに止めたのは、例の琵琶師風の浪士であった。どうやら一座の頭目らしい。グイと義哉の方へ膝を進めたが、
「いや仰せごもっともでござる。武道であれ遊芸であれ、人の世に必要があればこそ、産れもし繁栄も致すので、この世に用のないものなら、産れもせねば繁昌もしまい。せっかく栄えた遊芸道が、衰退に向うということは、それを愛する人々にとり、遺憾であるに相違ござらぬ。……がそれはともかくとして、たとえ偶然であろうとも、我らが集会へ突然参られ、一切の秘密を知ったからは、お気の毒ながら安穏に、お帰しすることは出来ませんでな」
 さも笑止だというように、こう云うとその浪士は微笑した。
 どうせ無事ではあるまいと、ひそかに覚悟はしていたものの、いよいよこのように明かされてみれば、義哉としても恐ろしかった。彼は下俯向き、黙って唇を噛みしめた。
「しかし貴殿はたった一人、それに反して我らは十人、一度にかかっては後の人に、卑怯の譏りを受けるでござろう。そこで一人ずつの真剣勝負、最初に拙者がお相手致す、お立合い下さることなりますまいかな」
 言葉は丁寧ではあったけれど、語韻に云われぬ殺気があって、義哉の心をおびやかした。
「その立合いなら無駄でござる」やがて義哉は冷やかに云った。
「ほほう、それは何故でござるな?」
「なぜと申して、立ち合ったが最後、負けるに相違ござらぬからな」
「ふうむ、それで、厭とおっしゃるか」さも案外だと云うように、
「しかし、それでは卑怯でござるぞ」
「負けると知って剣を合わせ、万一の僥倖を期する者こそ、即ち卑怯と申すもの。拙者はそれとは反対でござる」
「なるほど」と浪士はそれを聞くと、どうやら感心したらしかった。「と申してこのままお帰ししては、秘密の洩れるおそれがある。いよいよお立合い下さらぬとあっては、お気の毒ながら一刀の下に……」
「よろしゅうござる、お斬りなされ」
 いよいよ不可《いけ》ないと知ってからは、却って捨身の度胸が定《き》まり、義哉の心は澄み返った。そこで、膝へ両手を重ね、頸をグイと前へ延ばした。
 それと見てとると例の浪士は、やおら立ち上って太刀を抜いたが、「神妙のお覚悟感じ入ってござる、何か遺言はござらぬかな」
「左様」と云って首をかしげたが「ちょっと三味線をお貸し下され」
 ここに至って浪士どもは、唖然たらざるを得なかった。
「何になさるな?」と例の浪士が訊いた。
「中途で弾き止めた清元の『山姥《やまうば》』、今生《こんじょう》の思い出に了《お》えとうござる」
「ははあ」と云うと例の浪士は、仲間の者と眼を見合わせたが、やがて頤で合図をした。瞽女《ごぜ》に扮した浪士の一人が、そこで三味線を押しやった。
 艶《えん》に床《ゆか》しい三味線の音色が、毛脛屋敷から洩れたのは、それから間もなくのことであった。



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