国枝史郎「大捕物仙人壺」(21) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(21)

21

 安房守《あわのかみ》[#ルビの「あわのかみ」は底本では「あはのかみ」]はじっと耳を澄ました。
 空では星がまばたい[#「まばたい」に傍点]ていた。ふと[#「ふと」に傍点]小銃の音がしたが、しかしたった[#「たった」に傍点]一発だけであった。
 清元《きよもと》の唄はなお聞えた。
「ああいいなあ。名人の至芸《しげい》だ」安房守は嘆息した。それから大声でやり出した。「俺はもとからの江戸っ子だ。俺の好きなのは平民だ。勝麟太郎《かつりんたろう》、これでいいのだ。つめて云うと勝麟だ。従五位も無用なら安房守も無用だ。勝麟々々これでいいのだ。だがそう云ってはいられない。勝麟では済まされない。世間の奴らが酔っていて、俺一人醒めているからよ。そこで救世と出かけたのだ。厭な役廻りだがしかたがない。扶桑《ふそう》第一の智者と称し、安房の国の旋陀羅《せんだら》の子、聖日蓮《セントにちれん》[#「日蓮」は底本では「日連」]は迫害を覚悟で、世の荒波へ飛び出して、済民《さいみん》の法を説いたではないか。現代第一の智者と云えば、この俺の他にはない。つまり俺は日蓮なのだ。つまり俺は祖師《そし》なのだ。その祖師様を殺そうとは、とんでもない不届者だ。すぐに仏罰を蒙ろうぞ。……ああ、だが、本当に、いい音色だなあ。……」
 春の夜風がそよぎ[#「そよぎ」に傍点]出した。
 手近の木立で小鳥が啼いたが、きっと夢でも見たのだろう。
 なまめかしい春の夜の、甘い空気を顫わせて、艶な肉声と三味線の音とは、なおあざやかに聞こえていた。
 刺客は頭をうな[#「うな」に傍点]垂れた。柄を握っていた右の手は、いつかダラリと下っている。と、一足しりぞいた。それからグルリとむき[#「むき」に傍点]を変えると、もと来た方へ引っ返した。
 その時、安房守は振り返った。
「これちょっと待て、伊庭《いば》八郎!」
「はっ」と云うとその刺客は、足を止めて振り返った。うら若い美貌の武士であり、それは伊庭八郎であった。八郎は父軍兵衛《ぐんべい》と共に、この時代の大剣豪、斉藤弥九郎《さいとうやくろう》、千葉周作、桃井春蔵《ももいしゅんぞう》、近藤勇、山岡鐡舟、榊原健吉《さかきはらけんきち》、これらの人々と並称されている。身、幕臣でありながら、道場をかまえて門下を養い、心形刀流を伝えたが、直門二千名に及んだという。
 幕臣も幕臣、奥詰めだったので、親衛隊の魁《さきがけ》であり、伏見鳥羽の戦いにも出て、幾百人となく敵を斬った。
 その彼は直情の性格から、同じ幕臣の勝安房守が、いわゆる恭順派の総師として、薩長の士と交渉することを、徳川家のために歯掻く思い、獅子身中の虫と感じ、いっそ暗殺して害をのぞこうと、日頃から画策していたのであったが、この夜いよいよ断行すべく、門下の壮士九人を率い勝安房守の後をつけ、剣を揮おうとしたのであった。
「どうだ、少しは解《わか》ったかな?」安房守は微笑した。
 しかし八郎は黙っていた。
「ないない」と安房守は穏やかに云った。「勿論全部は解らないだろう。だがこの俺を殺すことの、理不尽だという事は解ったらしいな」
「はい、さようにございます」伊庭八郎は一礼した。「見損ないましてございます」
「世の中は近々平和になるよ。だが今後とも小ぜりあい[#「ぜりあい」に傍点]はあろう。幕臣たる者は油断してはならない。八郎、お前、久能山《くのうざん》へ行け! 函嶺《かんれい》の険《けん》を扼《やく》してくれ!」
「それは、何故でございますな?」
「二三日中に西郷と逢う。そうして俺は談判する。俺の言葉を入れればよし、もし不幸にして入れなかったら、幕府の軍艦を一手に集め、東海道の薩長軍を、海上から俺は殲滅して見せる。函根《はこね》、久能山は大事な要害だ。敵に取られては面白くない。……まあ八郎聞くがいい、どうだ冴え切った三味線ではないか」
「よい音色でございますな」
 思わず八郎も耳を澄した。
 遠くで二つバンが鳴っていた。
 どこかに火事でもあると見える。
 しめやかに三味線はなお聞えた。
 にわかに八郎は呻くように云って、
「これは不思議! 剣気がござる!」
「ナニ剣気? ほんとかな?」安房守は眼を見張った。
「これは只事ではございません」
「お前は剣道では奥義の把持者《はじしゃ》だ。俺などよりずっと[#「ずっと」に傍点]上だ。お前がそう云うならそうかもしれない」
「これは危険がせまって居ります」
「ふうむ、そうかな。そうかもしれない」
「これは助けなければなりません」
 八郎は背後を振り返り、手を上げて門下を呼んだ。
 曲は終りに近づいてきた。

 毛脛《けずね》屋敷の床の下に、大きな地下室が出来ていた。
 この屋敷が建てられたのは、正保《しょうほ》年間のことであって、慶安謀反の一方の将軍、金井半兵衛正国《かないはんべえまさくに》がずっと[#「ずっと」に傍点]住んでいたということであった。で、恐らく地下室は、その時分に造られたものであろう。素行山鹿甚五右衛門《やまがじんごえもん》の高弟、望月作兵衛《もちづきさくべえ》もそこに住み著述をしたということであるが、爾来幾度か住人が変わり、建物も幾度か手を入れられたが、天保《てんぽう》になって一世の剣豪、千葉周作政成の高弟、宇崎三郎が住んだことがあったが、この時代から怪異があったと、翁双紙《おきなぞうし》などに記されてある。本所七不思議のその中にも、毛脛屋敷というのがあるが、それとこれとは別物なのである。
 百目蝋燭が地下の部屋の、一所に点っていた。
 黄色い光がチラチラとだだっ[#「だだっ」に傍点]広い部屋を照らしている。
 幽《かすか》ではあったが三味線の音が、天井の方から聞えてきた。
 十四五人の人間がいる。
 そうして気絶した美しい紫錦が、床の上に仆《たお》れていた。



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