国枝史郎「大捕物仙人壺」(23) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(23)

23

 この時二階の一室では、最後の節が唄われていた。
 小堀義哉《こぼりよしや》の心の中は泉のように澄んでいた。
 なんの雑念も混じっていなかった。死に面接した瞬間に、人間の真価は現われる。驚くもの恐れるもの、もがく[#「もがく」に傍点]もの泣き叫ぶもの、そうして冷やかに傍観するもの、又突然悟入《ごにゅう》するもの、しかし義哉の心持は、いずれにもはまっていなかった。彼は三味線の芸術境に、没頭三昧することによって、すべてを忘れているのであった。
『山姥《やまうば》』の曲が終ると同時に、彼は死ななければならなかった。そうして殺し手が白刄を提《さ》げ、彼の背後に立っていた。
 時はズンズン経って行った。
 もう直ぐ曲は終わるのである。
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1-3-28]露《つゆ》にもぬれてしっぽりと、伏猪《ふすい》の床の菊がさね……
[#ここで字下げ終わり]
 彼は悠々と唄いつづけた。
 異風変相の浪士達にも、名人の至芸は解《わか》ると見えて、首を垂れて聞き惚れていた。
 独楽師に扮した一人の浪士は「旨い!」と思わず呟いた、居合抜に※[#「にんべん+肖」、第4水準2-1-52]《やつ》したもう一人の浪士は、「ウーン」と深い呻声を洩らし、商人に扮した二人の浪士は顔と顔とを見合わせた。
 一座の頭領と思われる、琵琶師風の一浪士は、刀の柄を握ったまま堅くその眼を閉じていた。
 時はズンズン経って行った。
 伊庭八郎とその同志は、勝安房守の指図の下に、毛脛屋敷の表戸を、踏み破ろうと待ち構えていた。
「まず待《ま》つがよい」
 と安房守は云った。「めったに聞けない名人の曲だ。唄い終えるまで待つとしよう」
 それで、一同は鳴りを静め、三味線の絶えるのを待っていた。
 さてそれから行なわれたのが、その当時の人が噂した所の「毛脛屋敷の大捕物」であり、そうして後になってその捕物が「仙人壺」というものに関係あり、と知り、改めて「大捕物仙人壺」と呼んだ、その風変りの捕物であった。
 何故この捕物が風変わりであり、何故有名になったかというに、先づ第一にそれを指揮した者が、勝海舟という大人物であり、捕物の衝《しょう》にあたった人物が、伊庭八郎とその門下という、これも高名の人々だったからで。……
 そうして捕えられた者共が、千代田城へ放火しようとした精悍な浪士の一群と、当時江戸を騒がせていた、鼬《いたち》使いの香具師《やし》一派という、風変わりの連中であったからである。
 しかし捕物そのものは、まことに簡単に行なわれた。
 即ち伊庭八郎一派の者が、三味線の音の絶えると同時に、毛脛屋敷へ乱入するや、浪士の群は狼狽し、逃げようとして犇《ひし》めくところを、あるいは斬り、あるいは捕縛し、その物音に驚いて、地下室にいた源太夫一味が、周章《あわ》てて遁がれようとするところを、これも斬ったり捕えたりして、一人のこさず狩取った迄であった。
 その結果お錦と小堀義哉とは、命を助かることが出来た。
 香具師の親方「釜無しの文」だけは、ちょうどそこに居なかったので、これも命を助かった。



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