国枝史郎「大捕物仙人壺」(26) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(26)

26

「そうでねえ」と友蔵は云った。彼は岡っ引という商売柄、こういうものには興味があった。そうして恐らくこの地図には、秘密があろうと考えた。
「うむ、こいつあ甲州の地図だ。……ははあ、こいつが釜無川だな。……おおここに記号《しるし》がある」
 釜無川の川岸に朱で二重丸が入れてあった。
 で、友蔵は腕を組み、じっと何かを考え込んだ。

 さてその翌日の早朝であったが、甲州街道を足早に、甲府の方へ下る者があった。他ならぬ岡っ引の友蔵で、厳重に旅の装いをしていた。
 すると、その後から見え隠れに、一人の旅人が尾行《つ》けて行った。それを友蔵は知らないらしい。
 道中三日を費やして、友蔵は甲府の城下へ着いた。
 旅籠へ泊った友蔵は、両掛《りょうがけ》からこっそり[#「こっそり」に傍点]地図を出し、あらためて仔細に調べ出した。
 すると、隣室の間の襖が、あるかなしかに細目に開き、そこから鋭い眼が見覗《みのぞ》いた。様子を窺っているのであった。
 翌日早朝友蔵は、釜無の方へ出かけて行った。忍野郷《しのぶのごう》を出外れるともう釜無の岸であった。土手に腰かけて一吹《いっぷく》した。それから四辺《あたり》を見廻したが、人の居るらしい気勢《けはい》もなかった。用意して来た鍬を提《ひっさ》げ地図を見い見い歩いて行ったのは、川の岸寄りの中洲であった。
 彼は熱心に掘り出した。やがて何か鍬の先に、カチリとあたる[#「あたる」に傍点]音がした。どうやら小石ではないらしい。手を差入れて引き出して見た。土にまみれ[#「まみれ」に傍点]た小さい壺が、その指先につつまれていた[#「つつまれていた」に傍点]。
「なんだえこれは壺じゃアねえか。呆れもしねえ莫迦にしていやがる。小判の箱かと思ったに。天道様も聞こえませぬ。一体どおしてくれるんだい。旅費を使って江戸くんだりから、わざわざ甲府へ来たんじゃアねえか。巫山戯《ふざけ》ているなあ、え、本当に。……だが待てよ、そうも云えねえ。これに秘密があるのかもしれねえ。形は小さい壺ながら、忽然化けて千両箱となる。なあんて奇蹟が行なわれるかもしれねえ。よしよしともかく宿へ帰り、仔細に調べることにしよう」
 で、鍬を川へ投げ捨て、壺に着いている土を払うと、懐中へ納めて歩き出した。
 夕飯を食べ風呂へ入り、床を取らせると女中を退けた。
 それから壺を取り出した。ためつすがめつ[#「ためつすがめつ」に傍点]調べたが、何の変った所もなかった。丈三寸、周囲三寸、掌に載る小壺であった。焼にも変った所がない。ただし厳重に蓋が冠せてあって、取ろうとしてもなかなか取れない。
「つまらねえなあ。虻蜂《あぶはち》とらずだ」
 小言を云いながら振って見たが、中には何にも入っていないと見え、コトリとも音はしなかった。
「一世一代の失敗かな。友蔵親分丸損かな。ほんとにほんとに莫迦にしていやがら」
 しかしどんなに悪口を云っても、それに答えるものさえない。自分自身が悪口を云い、自分自身が聞くばかりであった。
 夜は次第に更けまさり、家の内外ひっそり[#「ひっそり」に傍点]とした。
「考えていたって仕様がねえ。こんな晩は寝た方がいい。明日は早速ご出立だ。お花の畜生め覚えていやがれ。彼奴《あいつ》さえあんな物を持って来なけれりゃあ、こんなへマは見ねえんだ。江戸へ帰ったらあいつ[#「あいつ」に傍点]を呼び付け、みっしり[#「みっしり」に傍点]叱ってやらなけりゃならねえ」
 夜具を冠って寝てしまった。
 いわゆる丑満の時刻になった。
 と、間《あい》の襖《ふすま》が開き、何かチロチロと入って来た。それは一匹の大鼬《いたち》であって、颯《さっ》と床間《とこのま》へ駈け上ると、壺と地図とを両手で抱え、それから後足で立ち上り、静かに隣部屋へ引返した。
 友蔵は勿論知らなかった。しかし翌日発見した。発見はしたが驚かなかった。「へん、間抜けな泥棒め、盗むものに事をかき、あんなつまらねえ物を盗みやがった」
 それで、却ってサバサバして、江戸をさして引返して行った。



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