国枝史郎「大捕物仙人壺」(28) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(28)

28

 ある日延太夫《えんだゆう》は常時《いつも》のように、海舟の屋敷に招かれた。
「時に先生、不思議なことがあります」こう云うと延太夫は懐中から小さい壺を取り出した。「実は小石川の古道具屋で、手に入れたものでございますが、奇怪なことには深夜になると、音を発するのでございます。それが、しかも音楽なので。……」
「ほほう、そいつは不思議だな」こう云いながら海舟は、小さい壺を手に執《と》った。
「別に変った壺でもないが」
 すると座に居た尚古堂《しょうこどう》が「拝見」と云って受け取った。
 尚古堂は本姓を本居信久《もとおりのぶひさ》、当時一流の好事家で、海舟の屋敷へ出入りをしていた。
 じっと壺に見入ったが、
「や、これは仙人壺だ!」驚いたように声を上げた。
「仙人壺だって? 妙な名だな。古事来歴を話してくれ」海舟はこう云って微笑した。
「宋朝古渡りの素焼壺で、吉凶共に著《いちじる》しいもの、容易ならぬ器でございます」尚古堂は気味悪そうに云った。夜な夜な音を発するのは、焼の加減でございまして、質の密度が夜気の変化で動揺するからでございます。これは不思議でございません。ちょうど茶釜が火に掛けられると、松風の音を立てるのと、全く同じでございます。……が、この壺には世にも怪《あや》しい、一つの伝説がまつわって[#「まつわって」に傍点]居ります。よろしければお話し致しましょう」
「聞きたいものだ、話してくれ」海舟も延太夫も膝を進めた。
「では、お話し致しましょう」
 尚古堂は話し出した。

 戦国時代の物語である。
 甲州には武田家が威を揮《ふる》っていた。その頃金兵衛という商人があった。いわゆる今日のブローカーであった。永禄《えいろく》四年の夏のことであったが、小諸《こもろ》の町へ出ようとして、四阿《あずま》山の峠へ差しかかった。そうして計らずも道に迷った。と、木の陰に四五人の樵夫《きこり》が、何か大声で喚《わめ》いていた。近寄って見ると彼らの中《うち》に、一人の老人が雑っていた。襤褸《ぼろ》を纏った乞食風ではあったが、風貌は高朗《こうろう》と気高かった。その老人がこんなことを云った。
「ここに小さな壺がある。が、普通の壺ではない。摩訶不思議《まかふしぎ》の仙人壺だ。そうして俺は仙人だ、嘘だと思うなら見ているがいい。この壺の中へ飛び込んで見せる」
 それから老人は立ち上り、一丈《じょう》あまりも飛び上った。と、体が細まりくびれ[#「くびれ」に傍点]、煙のように朦朧となり、やがてあたかも尾を引くように、壺の中に入って行った。
「見事々々!」と樵夫どもは、手を叩いて喝采したが、物慾の少ない彼らだったので、そのままそこを立ち去った。
 よろこんだのは金兵衛で「こいつを香具師《やし》に売ってやろう。うん、一釜《ひとかま》起こせるかもしれねえ」壺を抱えて山を下った。
 さてその晩旅籠《はたご》へ泊まると、早速怪奇が行なわれた。壺が音楽を奏したのである。金兵衛はとうとう発狂した。旅籠の主人は仰天し、この壺を役人へ手渡した。それを聞いたのが勝頼《かつより》で「面白い壺だ、持って来るがいい」
 で、その壺は勝頼の手で大事に保管されることになった。大豪《たいごう》の武田勝頼には、仙人壺も祟《たた》らなかったらしい。いやいや決してそうではなかった。壺は大いに祟ったのである。ある夜壺は音楽を奏した。これが勝頼にはこんなように聞こえた。
「天目山《てんもくざん》へ埋めろ! 天目山へ埋めろ!」
 さすがの勝頼も気味悪くなり、侍臣《じしん》をして天目山へ埋めさせた。
 しかし祟りはそればかりではなかった。
 天正《てんしょう》十年三月における、武田と織田との合戦で、勝頼は散々に敗北した。で止むを得ず僅《わずか》の部下と共に天目山へ立籠った。すると、にわかに鳴動が起こり、壺が地中から舞い上り、同時に天地は晦冥《かいめい》となった。
 勝頼はその間に切腹し、全く武田家は亡びてしまった。
「と、こういう伝説でございますので。……その後手に入れた綱吉《つなよし》公が、将軍職になりましたし、柳沢侯が出世しましたので、幸福の象徴となりましたが、しかし将軍綱吉侯は――大きな声では云えませんが、奥方の寝室《ねや》の中で暗殺され、つづいて柳沢侯は失脚しました。やはりこの壺はそういう意味から云うと、悪運の壺なのでございます」[#「でございます」」は底本では「でございます」]



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