国枝史郎「大捕物仙人壺」(29) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(29)

29

 家へ帰って来た延太夫は、早速女房のお錦を呼んだ。
 そうして勝家《かつけ》での話しをした。
「恐ろしい壺でございますことね。で、その壺はどうなさいました」
「伯爵様がお壊《こわ》しなされた。別に変事も起らなかった。ところで地図はどうしたえ?」
「壺に附いていた地図ですね。……ええここにございますわ」お錦は手文庫から取り出した。
「こんな物は焼いた方がいい」
 延太夫は火をつけた。すると、火熱に暖められた地図の面《おもて》へ文字《もんじ》が浮かんだ。
 そこで急いで火を吹き消した。
 こう紙面には記されてあった。
「紫錦《しきん》よ、わし[#「わし」に傍点]は「爺《とっ》つあん」だ。これはお前への遺言だ。そうしてお前はわし[#「わし」に傍点]の子だ。わし[#「わし」に傍点]の本名は藤九郎だ。その頃わし[#「わし」に傍点]は悪党だった。わし[#「わし」に傍点]は宝壺を盗み出した。だが、ちっとも幸福ではなかった。その後釜無《かまなし》の中洲へ埋めた。そこで改めてお前へ云う、お前はわし[#「わし」に傍点]の実の子だと。女房お半の産んだ子だと。その頃わし[#「わし」に傍点]は諏訪にいた。伊丹屋の借家に住んでいた。その時伊丹屋でも女の子を産んだ。そこで俺は考えた。ひとつ子供を取り代えてやろうと。これは親の愛からだ。お前がわし[#「わし」に傍点]の子である以上は、一生出世はしないだろう。しかし伊丹屋の子となったら、どんな栄華にでも耽ることが出来る。そこで、わし[#「わし」に傍点]は取り代えた。勿論伊丹屋では気が付かず、お染と名を付けて寵愛した。そうして本当の伊丹屋の子は、わし[#「わし」に傍点]らの手で育てようとした。ところが二日目に死んでしまった。さて万事旨く行った。ところが神様の罰があたり、わし[#「わし」に傍点]は迂闊《うっか》りその秘密を「釜無《かまなし》の文《ぶん》」めに話してしまった。文は宝壺をよこせと云った。だがわし[#「わし」に傍点]は承知しなかった。そこで文めは仇をした。お前――即ち伊丹屋のお染を、鼬《いたち》を使って盗み出し、そうしてお前を女太夫に仕込み、そうしてわし[#「わし」に傍点]から身を隠した。わし[#「わし」に傍点]はどんなに探したろう。だが容易に目付《めつ》からなかった。長い年月が過ぎ去った。と、偶然お前に会った。するとどうだろうわし[#「わし」に傍点]の子は、また伊丹屋の養女となって立派に暮らしているではないか。わし[#「わし」に傍点]はすっかり満足した。もうわし[#「わし」に傍点]は死んでもいい。どうぞ立派に暮らしておくれ。……さて例の宝壺だが、これは吉凶《きっきょう》両面の壺だ。悪人が持てば祟《たた》りがあるが、だが善人が持つ時は、福徳円満を得るそうだ。可愛い可愛いわし[#「わし」に傍点]の娘よ、どうぞ心を綺麗に持って、よい暮らしをしておくれ。そうして地図を手頼《たよ》りにして、釜無川の中洲へ行き、宝壺を掘り出すがいい」
 読んでしまうと二人の者は、互に顔を見合わせた。意外な事実に驚いたのである。
「それでは気味の悪かったお爺さんは、妾《わたし》の実の親だったのかねえ?」
 お錦の感慨は深かった。
「そのお父さんはどうしたろう?」
 そのお父さんはとうの昔に、病気でこの世を去っていた。
 そうして現在の二人にとっては、宝壺などは不必要であった。
 なぜというに今の二人は、充分幸福だからである。



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