国枝史郎「大鵬のゆくえ」(02) (おおとりのゆくえ)

国枝史郎「大鵬のゆくえ」(2)

    不思議な願い

「ははあそれでは絵のご用か」
「仰せの通りにござります」
「よろしゅうござる。何んでも描きましょう」
 信輔すぐに承引《しょういん》した。氏長者《うじのちょうじゃ》の依頼《たのみ》であろうとポンポン断る信輔が、こう早速に引き受けたのはハテ面妖というべきであるが、そこには蓋もあれば底もあり、実は信輔この吉備彦に借金をしているのであった。あえて信輔ばかりでなくこの時代の公卿という公卿は、おおかた吉備彦に借りがあった。それで頭が上がらなかった。恐るべきは金と女! もう間もなくその女も物語の中へ現われよう。
「ところでどういう図柄かな?」
「はい」
 といって吉備彦は懐中から紙を取り出した。「どうぞご覧くださいますよう」
「どれ」
 と信輔は受け取った。
「おおこれは……」
 というところを、吉備彦は急いで手で抑えた。
「壁にも耳がござります。……何事も内密に内密に」
「別に変わった図柄でもないが?」
「他に註文がござります」
「うむ、さようか。云って見るがいい」
「お耳を」と云いながら膝行《いざ》り寄った。
 何か吉備彦は囁《ささや》いた。
 この吉備彦の囁きたるや前代未聞の奇怪事で、これがすなわちこの物語のいわゆる大切のタネなのである。
「これは変わった註文じゃの」
 信輔も酷《ひど》く驚いたらしい。
「それに致してもどういうところからそういう心になったのじゃな?」
「別に訳とてはござりませぬがただ私めはそう致した方が子孫のためかと存じまして」
「子孫のためだと? これはおかしい。そっくり財宝《たから》を譲った方がどんなにか子供達は喜ぶかしれぬ」
「仰せの通りにござります。恐らく子供達は喜びましょう。それがいけないのでござります」
「はてな? 麿《まろ》には解らぬが」
「家財を受け継いだ子供達は、その家財を無駄に使い、世を害するに相違ござりませぬ。必ず他人《ひと》にも怨まれましょう。破滅の基でござります。それに第一私一代でこの商法は止めに致したく考えおります次第でもあり」
「それではいよいよそうするか」
「是非お願い致します」
「しかしどうもそれにしても変な絵巻を頼まれたものじゃ。まるでこれでは判じ絵だからの。……よしよし他ならぬお前の依頼《たのみ》じゃ。大いに腕を揮《ふる》うとしようぞ」
「そこでいつ頃出来ましょうか?」
「一人を仕上げるに一月はかかろう?」
「では六ヵ月後に参ります」
「六人描くのだから六ヵ月後だな」
「何分お願い申し上げます。その間に私めも家財の方を処分致す意《つもり》にござります」
 馬飼吉備彦は帰って行った。
(かくて月日に関守《せきもり》なく五月あまり一月の日はあわただしくも過ぎにけらし)と昔の文章なら書くところである……吉備彦は宇治から京へ出た。
「おお吉備彦か、よく参った。約束通り描いておいたぞ」
 信輔卿は一巻の絵巻を吉備彦の前へ押し拡げた。
 それは六歌仙の絵であった。……在原業平《ありわらのなりひら》、僧正遍昭《そうじょうへんじょう》、喜撰法師《きせんほうし》、文屋康秀《ふんやのやすひで》、大友黒主《おおとものくろぬし》、小野小町《おののこまち》……六人の姿が描かれてある。



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