国枝史郎「大鵬のゆくえ」(03) (おおとりのゆくえ)

国枝史郎「大鵬のゆくえ」(3)

    この謎語なんと解こう

 馬飼吉備彦の財産がどのくらいあったかというようなことは僕といえども明瞭には知らぬ。とまれ素晴らしい額であり紀文、奈良茂、三井、三菱、ないし藤田、鈴木などよりもっともっと輪をかけた富豪であったということである。しかし当時の記録にも古文書などにも吉備彦の事はなんら一行も書いてない。で意地の悪い読者の中にはこの事実を楯に取って吉備彦などと云う人間は存在しなかったとおっしゃるかもしれない。よろしい、僕はそういう人にはこういうことを云ってやろうと思う。
 藤原時代の歴史たるや悉く貴族の歴史であって民衆の歴史ではなかったからだと。
 吉備彦は富豪ではあったけれど貴族ではなくて賤民であった。綽名《あだな》を牛丸というだけあって彼の職業は牛飼いであった。姓を馬飼《うまかい》と云いながら牛を飼うとはコレいかに? と、皮肉な読者は突っ込むかも知れないが、事実彼の商売は卑しい卑しい牛飼いであった。無論傍ら金貸しもした。
 そういう卑しい賤民のことが貴族歴史へ載る筈があろうか。
 さて、吉備彦は家へ帰ると六人の子供を呼び集めた。県《あがた》、赤魚《あかえ》、月丸《つきまる》、鯖《さば》、小次郎《こじろう》、お小夜《さよ》の六人である。お小夜だけが女である。
「ここに六歌仙の絵巻がある。お前達六人にこれをくれる。大事にかけて持っているがいい。……俺は今無財産だ? 俺は家財を棄ててしまった。いやある所へ隠したのだ。俺からお前達へ譲るものといえばこの絵巻一巻だけだ。大事にかけて持っているがいい。……ところで俺は旅へ出るから家を出た日を命日と思って時々線香でもあげてくれ」
 これが吉備彦の遺訓であった。
 吉備彦は翌日家を出た。
 鈴鹿峠までやって来ると山賊どもに襲われた。山賊に斬られて呼吸《いき》を引き取る時こういったということである。
「道標《みちしるべ》、畑の中。お日様は西だ。影がうつる? 影がうつる? 影がうつる?」
 まことに変な言葉ではある。
 山賊の頭は世に轟いた明神太郎という豪の者であったが、ひどくこの言葉を面白がって、時々真似をして喜んだそうだ。で、手下どももいつの間にかお頭《かしら》の口真似をするようになり、それがだんだん拡がって日本全国の盗賊達までその口真似をするようになった。
「道標《みちしるべ》。畑の中。お日様は西だ。影がうつる? 影がうつる? 影がうつる?」
 この暗示的な謎のような言葉は爾来代々の盗賊によっていい伝えられ語り継がれて来て、源平時代、北条時代、足利時代、戦国時代、豊臣時代を経過してとうとう徳川も幕末に近い文政時代まで伝わって来た。
 そうして文政の某年に至って一つの事件を産むことになったが、その事件を語る前に例の六歌仙の絵巻について少しくお喋舌《しゃべ》りをすることにしよう。
 絵巻を貰った六人の子は、ひどく憤慨したものである。
「いったい何んでえこの態《ざま》は!」まず長男の県丸《あがたまる》が口穢く罵った。「六歌仙がどうしたというのだろう! 小町が物を云いもしめえ。とかく浮世は色と金だ。その金を隠したとは呆れたものだ」
「いいや俺は呆れもしねえ」次男の赤魚《あかえ》がベソを掻きながら、「明日から俺《おい》らはどうするんだ。一文なしじゃ食うことも出来ねえ」
「待ったり待ったり」
 と云ったのは小利口の三男月丸であった。
「これには訳がありそうだ。……ううむ秘密はここにあるのだ。この絵巻の六歌仙にな」
「私達は六人、絵巻も六人、ちょうど一枚ずつ分けられる。六歌仙を分けようじゃありませんか」
 四男の鯖丸《さばまる》が意見を云う。
「よかろう」
 と云ったのは五男の小次郎で、
「妾《わたし》は女のことですから小野小町が欲しゅうござんす」
 お小夜《さよ》が最後にこう云ったが、これはもっともの希望《のぞみ》というので小町はお小夜が取ることになった。



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