国枝史郎「大鵬のゆくえ」(15) (おおとりのゆくえ)

国枝史郎「大鵬のゆくえ」(15)

    正金で五十両

「やかましいやい! へぼ医者め!」
 振り返って睨んだ眼の凄さに専斎はペッタリ尻餅をついた。
「態《ざま》ア見やがれ!」
 と貧乏神は床の間へ上ると手を延ばし六歌仙の軸をひっ[#「ひっ」に傍点]握んだ。
 その時襖がサラリと開いて以前の覆面の老人が部屋の中へはいって来たが、「曲者《くせもの》!」
 と掛けた鋭い声は、武道で鍛えた人でなければ容易のことでは出せそうもない。
「ええ畜生、いめえましい!」身を飜《ひるがえ》すと貧乏神は庭へ向かって走り出した。
 ヒューッと小束が飛んで来る。パッと渋団扇で叩き落す。次の瞬間には貧乏神の姿は部屋の中には見られなかった。
「方々出合え! 賊でござるぞ!」
 忽ち入り乱れる足音が邸の四方から聞こえて来たが、庭の方へ崩《なだ》れて行く。
 障子を締め切った覆面の老人。
「驚かれたでござろうな」……打って代わって愛相よく、「寸志でござる。お納めくだされ」
 紙包みを前へ差し置いた。
「もはや用事はござりませぬ。……駕籠でお送り致しましょう。……さて最後に申し上げたいは、今夜のことご他言ご無用。もし口外なされる時は御身《おんみ》のためよくござらぬ」
 謝礼といって贈られたすっくり[#「すっくり」に傍点]重い金包みを膝の上へ置きながら専斎はうとうと睡りかけた。
 同じ駕籠に打ち乗せられ同じ人に附き添われ同じ夜道を同じ夜に自宅へ帰って行くところであった。
「今夜のことご他言無用。もし口外なされる時は御身のためよくござらぬ」と、いざお暇《いとま》という時に例の覆面の老人によって堅く口止めされたことを心から恐ろしく思いながらも、襲って来る睡魔はどうすることも出来ず、彼はうとうと睡ったらしい。
 こうして彼が目覚めた時には日が高く上っていた。自分の家の自分の寝間に弟子や家人に囲まれながら楽々と睡っていたものである。
「金包みはあるかな? 金包みは?」
 これが最初の言葉であった。
「はいはい金包みはございますよ」
「いくらあるかな? あけて見るがいい」
「はい、小判で五十両」
「木葉《こっぱ》であろう? 木葉《こっぱ》であろう?」狐に魅《つまま》れたと思っているのだ。
「なんのあなた、正《しょう》の金ですよ」
「どうも俺にはわからない」
「今朝方お帰りでございましたが、やはり昨夜は狩野様で?」
「いやいや違う。そうではない。狩野の邸なら知っている。昨夜の邸とはまるで違う」
「まあ不思議ではございませんか。どこへおいででございましたな?」
「それがさ、俺にも解らぬのだよ」
 ……で専斎は気味悪そうに渋面を作らざるを得なかった。
 こういうことのあったのは、この物語の主人公旗本の藪紋太郎が化鳥に吹矢を吹きかけた功で西丸書院番に召し出されたちょうどその日のことであったが、翌日紋太郎は扮装《みなり》を整え専斎のやしきへ挨拶に来た。
「専斎殿お喜びくだされ、意外のことから思いもよらず西丸詰めに召し出されましてな、ようやくお役米にありつきましてござるよ」
 こういってから多摩川における化鳥事件を物語った。
「で、今日では日本全国、その化鳥を発見《みつ》けたもの、ないしは死骸を探し出した者には、莫大なご褒美を授けるというお伝達《たっし》が出ているのでございますよ。……何んと世の中には不思議極まる大鳥があるものではござらぬかな」
 紋太郎はこう云って専斎を見た。いつもなら喜んでくれる筈のその専斎が今日に限って、あらぬことでも考えているようにとほん[#「とほん」に傍点]としてろくろく返辞さえしない。



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