国枝史郎「大鵬のゆくえ」(18) (おおとりのゆくえ)

国枝史郎「大鵬のゆくえ」(18)

    隣家の誼みも今日限り

「みんなこの私のさせる業《わざ》じゃ」
「ははア、さようでござりましたかな」
「どうも彼奴は乱暴で困る」
「さして乱暴とも見えませぬが……」
「私を泥棒じゃと吐《ぬか》しおる」
「なるほど、それは不届き千万」
「今私は追われている」
「それはお困りでござりましょうな」
「で、どうぞ隠《かくま》ってくだされ」
「いと易いこと。どうぞこちらへ」
 ――で、紋太郎は先に立ち自分の部屋へはいって行った。
 おりから玄関に訪《おと》なう声。
「藪殿藪殿! 御意《ぎょい》得たい! 専斎でござる。隣家の専斎で」
「これはこれは専斎殿、その大声は何用でござるな?」
 悠々と紋太郎は玄関へ出た。
「賊でござる! 賊がはいってござる!」
 医師専斎は血相を変え、弟子や家の者を背後《うしろ》に従え玄関先で怒鳴るのであった。
「拙者の邸へ賊がはいった? それはそれは一大事。ようこそお知らせくだされた。はてさて何を盗んだことやら」
「そうではござらぬ! そうではござらぬ!」
 専斎はいよいよ狼狽し、
「賊のはいったは愚老の邸。盗んだものは六歌仙の軸……」
「アッハハハ」とそれを聞くと紋太郎はにわかに哄笑した。「専斎殿、年甲斐もない、何をキョトキョト周章《あわ》てなさる。貴殿の邸へはいった賊をここへ探しに参られたとて、何んで賊が出ましょうぞ」
「いや」と専斉は歯痒そうに、「賊はこちらへ逃げ込んだのでござるよ!」
「ほほう、どこから逃げ込みましたかな?」
「黒板塀を飛び越えてな。お庭先へ逃げ込みました」
「それは何かの間違いでござろう。……拙者今までその庭先で吹矢を削っておりましたが、決してさような賊の姿など藉《か》りにも見掛けは致しませぬ」
「そんな筈はない!」
 と威猛高に、専斎は怒声を高めたが、
「お気の毒ながらお邸内を我らにしばらくお貸しくだされ。一通り捜索致しとうござる!」
「黙らっせえ!」
 と紋太郎、いつもの柔和に引き換えて一句烈しく喝破した。「たとえ隣家の誼《よし》みはあろうとそれはそれこれはこれ、かりにも武士の邸内を家探ししようとは出過ぎた振る舞い! そもそも医師は長袖《ながそで》の身分、武士の作法を存ぜぬと思えば過言の罪は許しても進ぜる。早々ここを立ち去らばよし、尚とやかく申そうなら隣家の交際《つきあい》も今日限り、刀をもってお相手致す! 何とでござるな! ご返答なされ!」
 提《さ》げて出た刀に反《そり》を打たせ、グッと睨んだ眼付きには物凄じいものがあった。文は元より武道においても小野二郎右衛門の門下として小野派一刀流では免許ではないが上目録まで取った腕前、体に五分の隙もない。
 魂を奪われた専斎が家人を引き連れ呆々《ほうほう》の態《てい》で、自分の邸へ引き上げたのは、まさにもっともの事であるがその後ろ姿を見送ると、さすがに気の毒に思ったか、ニヤリ紋太郎は苦笑した。
「これは少々嚇しすぎたかな。いやいや時にはやった方がいい。陽明学の活法じゃ」
 ……で、クルリと身を飜《ひるがえ》し自分の部屋へはいって行った。
 貧乏神の姿が見えない。
「おやおやいつの間にか立ち去ったと見える」
 用人三右衛門がはいって来た。
「おお三右衛、聞くことがある。貧乏神はどこへ行かれたな?」
「へ? 何でございますかな?」
「ここにおられたお客様だ」
「ああそのお方でござりますか。さっきお帰りになられました。綺麗な小粋《こいき》な若いお方で」
「え? なんだって? 若い方だって?」
「はいさようでございますよ」



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