国枝史郎「大鵬のゆくえ」(19) (おおとりのゆくえ)

国枝史郎「大鵬のゆくえ」(19)

    秘密の端緒をようやく発見

「いいや違う。穢《きたな》い老人だ」
「何を旦那様おっしゃることやら。ええとそれからそのお方がこういうものを置いてゆかれました。旦那様へ上げろとおっしゃいましてね」
 云い云い三右衛門の取り出したのは美しい一枚の役者絵であった。すなわち蝶香楼国貞筆、勝頼に扮した坂東三津太郎……実にその人の似顔絵であった。
「貧乏神が役者絵をくれる。……どうも俺には解らない」
 紋太郎は不思議そうに呟いたが、まことにもっとものことである。

「お役付きにもなりましたし、お役料も上がりますし、せめて庭などお手入れなされたら」
 用人三右衛門の進めに従い、庭へ庭師を入れることにした。
 紋太郎自《みずか》ら庭へ出てあれこれ[#「あれこれ」に傍点]と指図をするのであった。
 ちょうど昼飯の時分であったが、紋太郎は何気なく庭師に訊いた。
「ええ、そち達は商売がら山手辺のお邸へも時々仕事にはいるであろうな?」
「はい、それはもうはいりますとも」
 五十年輩の親方が窮屈そうにいったものである。
「つかぬ[#「つかぬ」に傍点]事を訊くようだが、百畳敷というような大きな座敷を普請したのを今頃《このごろ》どこかで見掛けなかったかな?」
「百畳敷? 途方もねえ」親方はさもさも驚いたように、「おいお前達心当りはないかな? あったら旦那様に申し上げるがいい」
 二人の弟子を見返った。
「へえ」といって若い弟子はちょっと顔を見合わせたが、
「実は一軒ございますので」
 長吉というのがやがていった。
「おおあるか? どこにあるな?」
「へえ、本郷にございます」
「うむ、本郷か、何んという家だな?」
「へい、写山楼と申します」
「写山楼? ふうむ、写山楼?」紋太郎はしばらく考えていたがにわかにポンと膝を打った。
「聞いた名だと思ったが写山楼なら知っている」
「へえ、旦那様はご存知で?」
「文晁《ぶんちょう》先生のお邸であろう?」
「へえへえ、さようでござりますよ」
「※[#「睫」の「目」に代えて「虫」、80-14]叟無二《しょうそうむに》、画学斎、いろいろの雅号を持っておられるが、画房は写山楼と名付けられた筈だ。……ふうむ、さようか、写山楼で、さような大普請をなされたかな。……えっと、ところで、その写山楼に、痩せた気味の悪い老人が一人住んではいないかな?」
「さあそいつは解らねえ。何しろあそこのお邸へは、種々雑多な人間がのべつ[#「のべつ」に傍点]にお出入りするのでね」――職人だけに物のいい方が、飾り気がなくぞんざい[#「ぞんざい」に傍点]である。
「おお、そうであろうそうであろう。これは聞く方が悪かった。……文晁先生は当代の巨匠、先生の一顧《こ》を受けようと、あらゆる階級の人間が伺向するということだ」
「へえへえ旦那のおっしゃる通りいろいろの人が参詣します。武士《りゃんこ》も行くし商人《あきんど》も行くし、茶屋の女将《おかみ》や力士《すもうとり》や俳優《やくしゃ》なんかも参りますよ。ええとそれからヤットーの先生。……」
「何だそれは? ヤットーとは?」
「剣術使いでございますよ」
「剣術使いがヤットーか、なるほどこれは面白いな」
「ヤットー、ヤットー、お面お胴。こういって撲りっこをしますからね」
「それがすなわち剣術の稽古だ」
「それじゃ旦那もおやりですかね?」
「俺もやる。なかなか強いぞ」
「えへへへ、どうですかね」
「こいつがこいつが悪い奴だ。笑うということがあるものか」
 などと紋太郎は職人相手に無邪気な話をするのであったが、心のうちにはちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]とこの時一つの目算《もくろみ》が出来上がっていた。



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