国枝史郎「怪しの館」(12) (あやしのやかた)
国枝史郎「怪しの館」(12)
十二
とはいえ今日の眼から見れば、洋風の書斎に過ぎないのではあるが。
壁の一方にドアがあり、壁の一方に窓があり、巨大な書棚が並んでおり、書物がギッシリ詰まっており、数脚の椅子と卓とがあり、洋燈が卓の上に燃えており、それに照らされて青磁色をした、床の氈《かも》が明るんでおり、同じ色をした窓掛けが、そのひだ[#「ひだ」に傍点]にかげをつけており、高い白堊の天井の、油絵の図案を輝かせている。――というまでに過ぎなかった。
とはいえ時代は文政である。所は江戸の郊外である。そういう時代のそういう所に、こういう部屋のあるということは、かなり驚いてもよいことであった。
さらに驚くべきものがあった。
とはいえそれとて一口にいえば、一枚の張り紙に過ぎないのではあるが――だがその張り紙に書かれてある、四ツの箇条書きを見た人は、非常に驚くに相違ない。
時計の真下、振子の下に、張り紙は張ってあるのであった。
「八分前だ!」
呻くような声! 琢磨の口から出たのである。
と、島子の声がした。
「こちらをお向きなさいまし」
だが琢磨はまたいった。
「四分前だ! もうすぐだ!」
「こちらをご覧なさいまし。きっと見ることが出来ましょう! 私の肌を!」
やっぱり琢磨呻くようにいう。
「三分前だ! もうすぐだ! そうしたら解放されるだろう!」
あせった島子の声がした。
「あなたは見ることが出来ましょう! 私の肌を!」
だがまた呻くように琢磨がいった。
「後二分だ! 後二分だ」
同じく呻くように島子がいう。
「ご覧なさりませ! ご覧なさりませ! 白い私を! 真っ白い私を!」
「後一分!」
「素裸体《すはだか》の私!」
だが、その時音がした。
十二時を報ずる時計の音!
同時に庭から声がした。声というより悲鳴であった。しかも断末魔の悲鳴であった。しかも二人の悲鳴であった。
同時に寝台からも声がした。これもやっぱり悲鳴であった。やはり断末魔の悲鳴であった。
ギーッ! 音だ! ドアが開いた。
「あなた!」
「娘か!」
「いいえ葉末!」
「葉末というのか?」
「あなたの花嫁!」
ひらかれたドアから現われたのは、花嫁姿の葉末であった。
「おいで!」
と琢磨、手をひろげた。
で、葉末と三蔵琢磨、はじめてやさしく抱擁した。
その時壁からヒラヒラと、床の上へ落ちたものがある。
四ヵ条を記した張り紙である。
風かないしは幽霊の手か? どっちかがその紙を壁から放し、床の上へ落としたに相違ない。
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