国枝史郎「大鵬のゆくえ」(20) (おおとりのゆくえ)

国枝史郎「大鵬のゆくえ」(20)

    深夜の写山楼

 明日ともいわずその日の夕方、藪紋太郎は邸を出て、写山楼へ行くことにした。
 当時写山楼の在り場所といえば、本郷駒込林町で、附近に有名な太田ノ原がある。太田道灌の邸跡でいまだに物凄い池などがあり、狐ぐらいは住んでいる筈だ。
 さて紋太郎は出かけたものの本所割下水から本郷までと云えばほとんど江戸の端《はし》から端でなかなか早速には行き着くことが出来ない。それで途中から駕籠に乗ったがこの駕籠賃随分高かったそうだ。
 本郷追分で駕籠を下りた頃にはとうに初夜《しょや》を過ごしていた。季節は極月《ごくげつ》にはいったばかり、月も星もない闇の夜で雪催いの秩父颪《おろし》がビューッと横なぐりに吹いて来るごとに、思わず身顫いが出ようという一年中での寒い盛り。……
「好奇《ものずき》の冒険でもやろうというには、ちとどうも今夜は寒過ぎるわい」
 などと紋太郎は呟きながら東の方へ足を運んだ。郁文館中学から医学校を通りそれから駒込千駄木町団子坂の北側を過《よぎ》りさらに東北へ数町行くと駒込林町へ出るのであるがもちろんこれは今日の道順《みち》で文政末年には医学校もなければ郁文館中学もあろう筈がない。そうして第一その時代には林町などという町名なども実はなかったかもしれないのである。
 一群れの家並を通り過ぎ辻に付いてグルリと廻ると突然広い空地へ出たが、その空地の遙か彼方《あなた》にあたかも大名の下邸のような宏荘な建物が立っていた。
 これぞすなわち写山楼である。
「うむ、ずいぶん宏大なものだな」
 紋太郎はそこで立ち止まりそっと四辺《あたり》を見廻した。別に悪事をするのではないが由来冒険というものはどうやら悪事とは親戚と見え同じような不安の心持ちを当人の心へ起こさせるものだ。
「さてこれからどうしたものだ? ……まずともかくももう少し写山楼へ接近して周囲《まわり》の様子から探ることにしよう」
 ――で、紋太郎は歩き出した。
 初夜といえば今の十時、徳川時代の十時といえば大正時代の十二時過ぎ、ましてこの辺は田舎ではあり人通りなどは一人もなく写山楼でも寝てしまったか燈火《ともしび》一筋洩れても来ない。
 厳《いか》めしい表門の前まで来て紋太郎は立ち止まった。
「まさかここからは忍び込めまい。……それでもちょっと押して見るかな」
 で、紋太郎は手を延ばし傍《そば》の潜門《くぐり》を押して見た。
「どなたでござるな?」と門内からすぐに答える声がした。「土居様お先供ではござりませぬかな? しばらくお待ちくだされますよう」
 しばらくあって門が開いた。
 もうその頃には紋太郎は少し離れた榎《えのき》の蔭に身を小さくして隠れていたが、
「土井様と云えば譜代も譜代下総《しもうさ》古河で八万石大炊頭《おおいのかみ》様に相違あるまいが、さては今夜写山楼へおいでなさるお約束でもあると見える。……それにしてもさすがに谷文晁《たにぶんちょう》、たいしたお方を客になさる」
 驚いて様子を見ていると、門番の声が聞こえて来た。
「何んだ何んだ誰もいねえじゃねえか。こいつどうも驚いたぞ。ははアさては太田ノ原の孕《はら》み狐めの悪戯《いたずら》だな」
「どうしたどうした、え、狐だって?」相棒の声が聞こえて来る。「気味が悪いなあ、締めろ締めろ!」
 ギ――と再び門の締まる陰気な音が響いたが森然《しん》とその後は静かになった。
 で、紋太郎はそろそろと隠れ場所から現われたが、足音を盗み塀に添い裏門の方へ歩いて行った。
 裏門も厳重に締まっている。乗ずべき隙などどこにもない。



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