国枝史郎「大鵬のゆくえ」(22) (おおとりのゆくえ)

国枝史郎「大鵬のゆくえ」(22)

    諸侯の乗り物陸続として来たる

 和泉守と紋太郎とは役向きの相違知行の高下から、日頃交際《まじわり》はしていなかったが、顔は絶えず合わせていた。というのは和泉守が家斉公のお気に入りでちょくちょく西丸へやって来てはご機嫌を窺《うかが》って行くからで、西丸書院番の紋太郎とは厭でも自然顔を合わせる。殊には和泉守は学問好き、それに非常な名奉行で、在職年限二十一年、近藤守重の獄を断じて一時に名声を揚げたこともあり、後年冤《えん》によってしりぞけられたが忽ち許されて大目附に任じ、さらに川路聖謨《かわじせいばく》と共に長崎に行って魯使《ろし》と会し通商問題で談判をしたり、四角八面に切って廻した幕末における名士だったので、紋太郎の方では常日頃から尊敬してもいたのであった。
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いぎりすもふらんすも皆里言葉たびたび来るは厭でありんす
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 和泉守の狂歌であるがこんな洒落気《しゃれけ》もあった人物《ひと》で、そうかと思うと何かの都合で林大学頭が休講した際には代わって経書を講じたというから学問の深さも推察される。
「さあ方々《かたがた》部署におつきなされ」
 和泉守は命を下す。
「はっ」と云うと与力同心一斉にバラバラと散ったかと思うと闇に隠れて見えなくなり、後には和泉守と紋太郎と和泉守を守護する者が、四五人残ったばかりである。
「藪氏、此方《こなた》へ」
 と云いながら和泉守は歩き出した。
「ここがよろしい」と立ち止まったのはさっき紋太郎が身を忍ばせた門前の大榎の蔭である。
 と、その時、空地の彼方《あなた》、遙か西南の方角にあたって一点二点三点の灯が闇を縫ってユラユラ揺れたが次第にこっちへ近寄って来た。
 近付くままによく見れば一挺の駕籠を真ん中に囲んだ二十人余りの武士の群れで、写山楼差して進んで行く。やがて門前まで行き着くとひた[#「ひた」に傍点]とばかりに止まったが、二声三声押し問答。ややあって門がギーとあく。駕籠も同勢も一度に動いてすぐと中へ吸い込まれた。
 後は森閑と静かである。
 と、和泉守が囁いた。
「上州安中三万石、板倉殿の同勢でござるよ」
「ははあ、さようでございますかな」紋太郎はちょっと躊躇《ためら》ったが、「それに致しても何用ござってそのように立派な諸侯方がこのような夜陰に写山楼などへおいで遊ばすのでござりましょう」
「それか、それはちと秘密じゃ」
 和泉守は笑ったらしい。「見られい。またも参られるようじゃ」
 はたして遙かの闇の中に二三点の灯がまばたいたがだんだんこっちへ近寄って来る。やはり同じような同勢であった。真ん中に駕籠を囲んでいる。門まで行くと門が開き忽ち中へ吸い込まれた。
「犬山三万五千石成瀬殿のご同勢じゃ」
 和泉守は囁いた。それから追っかけてこういった。「大御所様二十番目の姫満千姫君《まちひめぎみ》のお輿入《こしい》れについては、お噂ご存知でござろうな?」
「は、よく承知でござります」
「上様特別のご愛子じゃ」
「さよう承わっておりまする」
「お輿入れ道具も華美をきわめ、まことに眼を驚かすばかりじゃ」
「は、そうでございますかな」
「今夜のこともやがて解ろう。……おおまたどなたかおいでなされたそうな」
 はたして提灯を先に立て一団の人数が粛々と駕籠を囲繞《とりま》いて練って来たが、例によって門がギーと開くとスーッと中へ消え込んだ。
「あれこれ柳生但馬守様じゃ」
 云う間もあらず続いて一組同じような人数がやって来た。



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