国枝史郎「大鵬のゆくえ」(23) (おおとりのゆくえ)

国枝史郎「大鵬のゆくえ」(23)

    塀へ掛けた縄梯子

「信州高島三万石諏訪因幡守様ご同勢」
「ははあさようでござりますかな」
 おりからまたも、一団の人数闇を照らしてやって来たが百人あまりの同勢であった。
「藪氏、あれこそ毛利侯じゃ」
「長門国《ながとのくに》萩の城主三十六万九千石毛利大膳大夫様でござりますかな」
「さよう。ずいぶん凛々《りり》しいものじゃの長州武士は歩き方から違う」
 間もなく毛利の一団も写山楼の奥へはいって行った。
 追っかけ追っかけその後から幾組かの諸侯方の同勢が、いずれも小人数の供を連れ、写山楼差してやって来た。
 五万八千石久世《くぜ》大和守。――常州関宿の城主である。喜連川《きつれがわ》の城主喜連川左馬頭――不思議のことにはこの人は無高だ。六万石小笠原佐渡守。二万石鍋島熊次郎。二万千百石松平左衛門尉。十五万石久松隠岐守《おきのかみ》。一万石一柳銓之丞《せんのじょう》。――播州小野の城主である。六万石石川主殿頭。四万八千石青山大膳亮《だいぜんのすけ》。一万二十一石遠山美濃守。十万石松平大蔵大輔。三万石大久保佐渡守。五万石安藤長門守。一万千石米津啓次郎。五万石水野大監物。そうして最後に乗り込んで来たは土居大炊頭利秀公で総勢二十一頭《かしら》。写山楼へギッシリ詰めかけたのであった。
 やがて全く門が締まると、ドーンと閂《かんぬき》が下ろされた。
 後はまたもや森閑として邸の内外音もない。
「いったいこれからどうなるのかしら?」
 紋太郎には不思議であった。町奉行直々の出張《でばり》といい諸侯方の参集といい捕り物などでないことはもはや十分解っていたが、それなら全体何事がこの邸内で行われるのであろう? こう考えて来て紋太郎は行き詰まらざるを得なかった。
「上は三十七万石の毛利という外様の大名から、下は一万石の譜代大名まで、外聞を憚っての深夜の会合。いずれ重大の相談事が執行《とりおこな》われるに相違あるまいが、さてどういう相談事であろうか? 密議? もちろん! 謀反の密議?」
 こう思って来て紋太郎はゾッとばかりに身顫いしたが、
「いやいや治まれるこの御世《みよ》にめったにそんな事のある訳はない。その証拠には町奉行和泉守様のご様子が酷く悠長を極わめておられる」
 その時、和泉守が囁いた。
「藪氏、藪氏、こちらへござれ」
 裏門の方へ歩いて行く。
 裏門まで来て驚いたのは、さっきまで闇に埋ずもれていた高塀の内側が朦朧と光に照らされていることで、その仄かな光の色が鬼火といおうか幽霊火といおうか、ちょうど夏草の茂みの中へ蝋燭の火を点したような妖気を含んだ青色であるのが特に物凄く思われた。
「梯子を掛けい」
 と和泉守が、与力の一人へ囁いた。
「はっ」というと神谷というのがつかつか[#「つかつか」に傍点]と前へ進んだが、手に持っていた一筋の縄を颯《さっ》と投げると音もなくタラタラと高塀へ梯子が掛かる。いうまでもなく縄梯子だ。
「よし」というと和泉守はその縄梯子へ手をかけたが、身を浮かばせてツルツルと上がる。
 しばらく邸内を窺ったが、やがて地上へ下り立つと、
「藪氏、ちょっとご覧なされ、面白いものが見られます」
「は、しかし拙者など。……」
「私が許す。ご覧なさるがよい」
「それはそれは有難いことで。しからばご好意に従いまして」
「おお見られい。がしかし、驚いて眼をば廻されな」
「は」といったが紋太郎、無限の好奇心を心に抱き一段一段縄梯子を上の方へ上って行った。
 間もなく塀頭《へいがしら》へ手が掛かる。ひょい[#「ひょい」に傍点]と邸内を覗いて見て「むう――」と思わず唸ったものである。



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