国枝史郎「大鵬のゆくえ」(27) (おおとりのゆくえ)

国枝史郎「大鵬のゆくえ」(27)

    団十郎と三津五郎

 文化文政天保へかけて江戸で一流の俳優と云えば七代目団十郎を筆頭とし仁木弾正《につきだんじょう》を最得意とする五代目松本幸四郎、市川男女蔵《おめぞう》、瀬川菊之丞、岩井半四郎は云うまでもなく坂東三津五郎も名人として空前の人気を博していた。
「三津五郎《やまとや》さん、おいでかな」
 ある日こう云って訪ねて来たのは七代目市川団十郎であった。
「これはこれは成田屋さんようこそおいでくだされた。さあさあどうぞお上がりなすって」
「ごめんよ」
 といって上がり込んだがこの二人は日頃から取り分け仲がよいのであった。
「えらいことが持ち上がってね」団十郎《なりたや》は煙草を吹かしながら、「上覧芝居を打たなくちゃならねえ」
「上覧芝居? へ、なるほど」三津五郎《やまとや》はどうやら腑に落ちないらしく、「へえどなたのご上覧で?」
「それがさ、西丸の大御所様」
「ははあなるほど、これはありそうだ」
「満千姫《まちひめ》様のお輿入れ、これはどなたもご存知だろうが、一旦お輿入れをなされては容易に芝居を見ることも出来まい、それが不愍《ふびん》だと親心をね、わざわざ西丸へ舞台を作り、私達一同を召し寄せてそこで芝居をさせようという、大御所様のご魂胆だそうだ」
「大いに結構じゃありませんか。……で、もうお達しがありましたので?」
「ああ、あったとも、葺町《ふきちょう》の方へね」
「そりゃ結構じゃございませんか」
「云うまでもなく結構だが、さあ出し物をどうしたものか」
「で、お好みはございませんので?」
「そうそう一つあったっけ、紋切り形でね『鏡山』さ」
「ナール、こいつは動かねえ。……ところで、ええと、後は?」
「こっちで随意に選ぶようにとばかに寛大《おおまか》なお達しだそうで」
「へえ、さようでございますかな。かえってどうも困難《むずかし》い」
「さあそこだよ、全くむずかしい。委せられるということは結構のようでそうでない」
「いやごもっとも」
 といったまま三津五郎はじっと考え込んだ。と、不意に団十郎《なりたや》はいった。
「家の芸だが『暫《しばらく》』はどうかな?」
「なに『暫《しばらく》』? さあどうでしょう」
「もちろん『暫《しばらく》』は家の芸だ。成田屋の芸には相違ないが、出せないという理由もない」
「えい、そりゃ出せますとも。しかし皆さん納まりましょうか?」
「私もそれを案じている」
「私もそれが心配です」
「といって私は是非出したい。……あなたさえ諾《うん》といってくれたら」
「さあ」
 といったが三津五郎は応とも厭ともいわなかった。
 ここは金龍山瓦町で、障子を開けると縁側越しに隅田川が流れている。
 ぽかぽか暖かい小六月、十二月十二日とは思われない。
 ははアさては成田屋め俺を抱き込みに来おったな。――こう三津五郎は思ったが別に腹も立たなかった。「これはいかさま成田屋としては『暫《しばらく》』を出しても見たいだろう。文政元年十一月に親父白猿《はくえん》の十三回忌に碓氷《うすい》甚太郎定光で例の連詞《つらね》を述べたまま久しくお蔵になっていたのだからな。その連詞《つらね》が問題となり鼻高の幸四郎がお冠《かんむり》を曲げえらい騒ぎになりかけたものだ。なるほど、それを持ち出して上覧に入れようということになるとまたみんな大いに騒ぐかもしれない。しかし成田屋は父にも勝る珍らしい近世の名人だ。利己主義とそして贅沢《ぜいたく》が疵《きず》と云えば、大いに疵であるが大眼に見られないこともない。……それに俺とはばか[#「ばか」に傍点]に懇意だ。抱き込まれてもいいじゃないか」――悧巧者の三津五郎は、早くもここへ気が付いた。



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