国枝史郎「大鵬のゆくえ」(29) (おおとりのゆくえ)

国枝史郎「大鵬のゆくえ」(29)

    西丸の大廊下

 旧記によれば上覧芝居は二十八日とも記されているが、しかし本当は二十五日で、この時の西丸の賑やかさは「沙汰の限りに候《そろ》」と林大学頭が書いている。
 朝の六時から始まって夜の十一時に及んだといえば、十七時間ぶっ通しに四つの芝居が演ぜられたわけ、仮りに作られた舞台花道には、百目蝋燭が掛け連らねられ、桜や紅葉の造花から引き幕緞帳《どんちょう》に至るまで新規に作られたということであるから、費用のほども思いやられる。正面桟敷《さじき》には大御所様はじめ当の主人の満千姫様《まちひめさま》、三十六人の愛妾達、姫君若様ズラリと並びそこだけには御簾《みす》がかけられている。その左は局《つぼね》の席、その右は西丸詰めの諸士達《しょさむらいたち》の席である。本丸からも見物があり、家族の陪観が許されたのでどこもかしこも人の波、広い見物席は爪を立てるほどの隙もなかった。
 ヒューッとはいる下座の笛、ドンドンと打ち込む太鼓つづみ、嫋々《じょうじょう》と咽ぶ三弦の音《ね》、まず音楽で魅せられる。
 真っ先に開いたは「鏡山《かがみやま》」で、敵役《かたきやく》岩藤の憎態《にくてい》で、尾上《おのえ》の寂しい美しさや、甲斐甲斐しいお初の振る舞いに、あるいは怒りあるいは泣きあるいは両手に汗を握り、二番目も済んで中幕となり、市川流荒事の根元「暫《しばらく》」の幕のあいた頃には、見物の眼はボッと霞み、身も心も上気して、溜息をさえ吐く者があった。
 団十郎の定光が、あの怪奇《グロテスク》な紅隈《べにくま》と同じ怪奇の扮装で、長刀《ながもの》佩いてヌタクリ出で、さて大見得を切った後、
「東夷南蛮北狄《ほくてき》西戎西夷八荒天地乾坤《けんこん》のその間にあるべき人の知らざらんや、三千余里も遠からぬ、物に懼《お》じざる荒若衆……」
 と例の連詞《つらね》を述べた時には、ワッと上がる歓呼の声で、来てはならない守殿の者まで自分の持ち場を打ち捨てて見に来るというありさまであったが、この時裏の楽屋から美しい腰元に扮装した若い役者が楽屋を抜け西丸の奥へ忍び込んだのを誰一人として知った者はなかった。

 楽屋を抜け出した小次郎は、夜の西丸の大廊下を、なるだけ人に見付けられぬよう灯陰《ほかげ》灯陰と身を寄せて、素早く奥へ走って行った。
 一村一町にも比較《くら》べられる、無限に広い西丸御殿は、至る所に廊下があり突き当たるつど中庭があり廊下に添って部屋部屋がちょうど町方の家のように整然として並んでいる。
 廊下を左へ曲がったとたん、向こうから来た老武士とバッタリ顔を見合わせた。
「ごめん遊ばせ」
 と声を掛けスルリ擦り抜けて行こうとした。
「あいやしばらく」
 と背後《うしろ》からその老武士が声を掛けた。
「どなたでござるな? どこへおいでになる?」
「はい妾《わたくし》はお霜と申し、秋篠局《あきしののつぼね》の新参のお末、怪しいものではございませぬ」
「新参のお末、おおさようか。道理で顔を知らぬと思った。で、どちらまで参られるな?」
「はい、お局《つぼね》まで参ります」
「秋篠様のお局へな?」
「はい、さようでございます」
「それにしては道が違う」
「おやさようでございましたか。広い広いご殿ではあり、新参者の悲しさにさては道を間違えたかしら」
「おおおお道は大間違い、秋篠様のお局は今来た廊下を引き返し、七つ目の廊下を左へ曲がり、また廊下を右へ廻ると宏大もないお部屋がある。それがお前のご主人のお部屋だ」
「これは有難う存じました。どれそれでは急いで参り……」
「おお急いで参るがよい。……ところで芝居はどの辺だな?」
「ただ今中幕が開いたばかり、団十郎の定光が連詞《つらね》を語っておりまする。早うおいでなさりませ」いい捨てクルリと方向《むき》を変えた。

「様子を見りゃあお留守居役か、いい加減年をしているのに、男か女かこの俺の見分けが付かねえとは甘え奴さ……秋篠というお局が満千姫様のご生母でそこのお部屋に何から何までお輿入れ道具が置いてあるそうな。信輔筆の六歌仙、在原業平《ありわらのなりひら》もそこにある筈だ……五つ六つこれで七つ。よし、この廊下を曲がるんだな」
 七つ目の廊下を左へ曲がり、尚先へ走って行った。と、最初《とっつき》の廊下へ出た。それを今度は右へ曲がるとはたして立派な部屋がある。
「むう、これだな、どれ様子を」
 板戸へピッタリ食い付いて一寸ばかり戸をあけたが朱塗りの蘭燈《らんとう》仄かに点り夢のように美しい部屋の中に一人の若い腰元が半分《なかば》うとうと睡りながら種彦らしい草双紙を片手に持って読んでいた。
「よし」と呟くとスーと開け部屋の中へ入り込んだ。
 ハッと気が付いて振り返ると、
「どなた?」腰元は声を掛けた。
「はい妾《わたし》でございます」
 小次郎はスルスルと近寄ったがパッと飛びかかって首を掴み、持って来た手拭いで猿轡《さるぐつわ》。扱帯《しごき》を解いて腕をくくり傍《そば》の柱へ繋《つな》いだが、奥の襖を手早く開けた。
 グルリと見廻したがツカツカとはいり、
「どうやらここではないらしい」
 奥の襖をまたあけた。
 と、現われたその部屋の遙か奥の正面にあたって何やら大勢蠢《うごめ》く物がある。
「や、人か?」
 と仰天したが、普通の人間でもないらしい、あるいはキリキリと一本足で立ちあるいは黒髪を振り乱し、または巨大な官女の首が宙でフワフワ浮いている。
「ワッ、これは! 化物《ばけもの》だア!」
 思わず声を筒抜かせたがハッと気が付いて口を蔽い、
「千代田の城に化物部屋。おかしいなア」
 と見直したが、「ブッ、何んだ! 絵じゃねえか!」
 部屋一杯の大きさを持ち黄金《こがね》の額縁で飾られた百鬼夜行の絵であった。
「この絵がここにある上は六歌仙の軸もなくちゃならねえ」
 見廻す鼻先に墨踉あざやかに、六歌仙と箱書きした桐の箱。
「有難え!」
 と小脇に抱え忽ち部屋を飛び出したが、出合い頭に行き合ったのは五十位の老女であった。
「其許《そもじ》は誰じゃ?」
 と呼びかけられ、
「秋篠様のお末霜」
 云いすて向こうへ行こうとする。
「何を申す怪しい女子! かく申すこの妾《わし》こそ秋篠局のお末頭、其許《そもじ》のようなお末は知らぬ」
「南無三!」
 とばかり飛びかかり、顎を下から突き上げた。「ムー」と呻いて仆れるのを板戸をあけてポンと蹴込みそのまま廊下を灯蔭《ほかげ》灯蔭と表の方へ走って行く。……

 ちょうどこの時分紋太郎は彦根の城下を歩いていた。彼はひどくやつれていた。
「俺の旅費もいよいよ尽きた。……しかも未だに駕籠の主も馬の荷物の何んであるかも、突き止めることが出来ないとは。……俺は今に乞食になろう……乞食になろうが非人になろうが、思い立ったこの願い、どうでも一旦は貫かねばならぬ」
 勇猛心を揮い起こし駕籠の後を追うのであった。京都、大坂、兵庫と過ぎ、山陽道へはいっても駕籠と馬とは止まろうともしない。須磨、明石と来た頃には、文字通り紋太郎は乞食となり、口へ破れた扇をあて編笠の奥から下手な謡《うたい》を細々うたわなければならなかった。

 こうして道中で年も暮れ、新玉《あらたま》の年は迎えたが、共に祝うべき人もない。
 九州の地へはいっても駕籠と馬とは止まろうともしない。
 かくて二月の上旬頃長崎の町へは着いたのである。
 遙かにも我来つるかな……思わず彼は呟《つぶや》いて涙を眼からこぼしたがもっともの感情と云うべきであろう。
 駕籠と馬とはゆるゆると出島の方へ進んで行く。
 蘭人居留地があらわれた。駕籠はそっちへ進んで行く。
 こうして鉄門と鉄柵とで厳重によろわれた洋館が一行の前へ現われた時、一行は初めて立ち止まった。自《おのず》と門が左右に開き十数人の出迎えがあらわれた。駕籠と馬とがはいって行く。
「ああ蘭人か」
 と呟いて紋太郎がぼんやり佇んだ。
 もう四辺《あたり》は夕暮れて、暖国の蒼い空高く円い月が差し上った。
 その時一人の侍が門を潜ってあらわれた。
「ちょっとお尋ね致します」
「何んでござるな?」と立ち止まる。
「只今ここへ駕籠と馬とがはいりましたように存じますが?」
「おおはいった。ここの主人じゃ」
「そのご主人のお姓名は?」
「ユージェント・ルー・ビショット氏。阿蘭陀《オランダ》より参った大画家じゃ」
「どちらよりのお帰りでござりましょう?」
「江戸将軍家より招かれて百鬼夜行の大油絵を揮毫《きごう》するため上京し、只今ようやく帰られたところ」
「二頭の馬に積まれたは?」
「ビショット氏発明の飛行機じゃ」
「は、飛行機と仰せられるは?」
「大鵬《おおとり》の形になぞらえた空飛ぶ大きな機械である。十三世紀の伊太利亜《イタリア》にレオナルド・ダ・ビンチと名を呼んだ不世出の画伯が現われた。すなわち飛行機を作ろうと一生涯苦労された。それに慣《なら》ってビショット氏も飛行機の製作に苦心されついに成功なされたが、またひどい目にもお逢いなされた。多摩川で試乗なされた節吹矢で射られたということじゃ。……いずれ大鳥と間違えて功名顔に射たのであろう世間には痴《たわ》けた奴がある。ワッハハハ」
 と哄笑したが、
「私は長崎の大通詞丸山作右衛門と申す者、ビショット氏とは日頃懇意、お見受けすればお手前には他国人で困窮のご様子、力になってあげてもよい。邸は港の海岸通り、後に訪ねて参られるがよい」
「泥棒!」
 とその時ビショット邸からけたたましい声が響いて来たが、潜門《くぐり》を蹴破り飛び出して来たのは見覚えのある貧乏神で、小脇に二本の箱を抱え飛鳥のように駆け過ぎた。

 奈良宝隆寺から西一町、そこに大きな畑があり、一基の道標《みちしるべ》が立っていた。
 今、日は西に沈もうとして道標の影が地に敷いている。
 そこを二人の若者が鍬でセッセと掘っている。
 掘っても掘っても何んにも出ない。
 二人は顔を見合わせた。
「どうもおかしい」
 といったのは、他ならぬ坂東三津太郎である。
「ほんとにこいつ[#「こいつ」に傍点]変梃だ」こういったのは小次郎である。
「もう一度お眼《め》を洗おうぜ」
「よかろう」
 というと、二人一緒に、ドンとそこへ胡坐《あぐら》をかいた。
 二人の前には六歌仙が、在原業平《なりひら》、僧正遍昭、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀、小野小町、こういう順序に置いてあったが信輔筆の名筆もズクズクに水に濡れている。
「六つ揃わば眼を洗え。――さあさあ水をかけるがいい」
「承わる」
 と小次郎は、傍《そば》の土瓶を取り上げた。
 六歌仙の眼へ水を注ぐ。と、不思議にも朦朧《もうろう》と各※[#二の字点、1-2-22]の絵の右の眼へ一つずつ文字が現われた。
 業平の眼へは「宝」の字が、遍昭の眼へは「隆」の字が、喜撰の眼へは「寺」の字が、黒主の眼へは「西」の字が、康秀の眼へは「一」の字が、そうして最後に小町の眼へは「町」という字があらわれた。
「やはりそうだ。間違いはない。――宝隆寺西一町。――この通りちゃアんとあらわれている。……そうしてここは宝隆寺から西一町の地点なんだ」
 貧乏神の扮装《みなり》をした坂東三津太郎はこう云うと元気を起こして立ち上がった。



[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送