国枝史郎「鴉片(あへん)を喫む美少年」(3) (あへん)

国枝史郎「鴉片(あへん)を喫む美少年」(3)



「これ迄喫ったことはないのですか?」
「鴉片を喫うのは今日がはじめてです」
「なるほどそれでは煉れないはずだ。……がそれなら鴉片なんか喫わない方がいいのですがね」
「こんな大戦争を起こす程にも、みんな喫いたがる鴉片なのですから、私も喫いたいと思いましてね」
「そう、誰もがそう云ったような、誘惑を感じて喫いはじめ、喫ってその味を知ったが最後、みすみす廃人となるのを承知で、死ぬまで喫うのが鴉片ですよ。……全く御国の人達と来ては、鴉片中毒患者ばかりです」
「御国の人? 御国の人ですって? ……では貴郎《あなた》は外人なのですか?」
(しまった!)と僕は思ったよ。
 とうとう化けの皮を現わしてしまった。
 友よ! 僕はね、八年もの間、この支那の国に住んでいるので、言葉も風俗も何も彼も、すっかり支那人になりきることが出来、誰にも滅多に疑われなかったのに、自分からこの日は底を割ってしまい「お国の人」なんて云ってしまったのさ。
 これには自分ながら愛想を尽かしたが、たとい身分を宣《なの》ったところで、害になることもなかったので、
「実は僕は日本人なのです」
 こう云ってから漂流したことや、ずっとそのまま支那にとどまり、支那人生活をしていることなどを、すっかりあけすけ[#「あけすけ」に傍点]に話したものさ。
「日本の武士?」と宋思芳は、ひどく好奇心に煽られたように云い、それからそれといろいろのことを――日本の武士は任侠的で、人に頼まれるとどんなことでも、引き受けるというが本当かとか、日本の武士は剣道に達していて、強いというが本当かとか、そんなことを質問した。
 で、僕はみんな本当だと、そう云って宋思芳に答えてやった。
 宋思芳はひどく考え込んだが、
「英国のやり口をどう思いますか?」と訊いた。
「勿論正当のやり口ではないね」
 こう僕は答えてやった。
「グレーという英国人をご存じですか?」
「司令官ゴフの甥にあたる、参謀長のグレーのことなら、戦争以来耳にしています」
「大変もない怪物でしてね、あの男一人を殺しさえしたら、こう迄も清国は負けないのですよ。大胆で勇敢で智謀があって、まだ壮年で好色淫蕩で、女惚れさえするのです。でもエリオットとは仲が悪いのです」
 そう宋思芳少年は云った。
「エリオットはどっちのエリオットなのです?」
 そう僕は訊いて見た。
「水師提督の方のエリオットです」
 水師提督エリオットは、この上海の英国領事の、もう一人のエリオットの親戚なのだが、鴉片戦争が始まるや否や、印度及び喜望峰の兵、一万五千人を引率し、軍艦二十六隻をひきい、大砲百四十門を携え、定海《じょうかい》湾、舟山《しゅうさん》島、乍浦《チャプー》、寧波《ニンポー》等を占領し、更に司令官ゴフと計り、海陸共同して進撃し、呉淞《ウースン》を取り、上海を奪い、その上海を根拠とし、揚子江を堂々溯り、鎮江《チンチャン》を略せんとしている人間なのさ。
 グレーというのは英軍切っての、謂うところの花形で、毀誉褒貶いろいろあるが、人物であることは疑いなく、この男の参謀戦略によって、英軍は連戦連勝し、清国は連戦連敗しているのさ。
 僕達二人は鴉片を喫わず、永いことそんなような話をした。
 その翌夜も翌々夜も、僕達二人は同じ鴉片窟で逢った。
 宋思芳はだんだん鴉片を煉るに慣れ、追々鴉片の醍醐の味に、沈湎《ちんめん》するように思われた。
 僕はしばしば宋思芳に向かって、どういう素性の人間なのか、どこにどんな家に住んでいるのか、家族にどういう人達があるかと、そんなことを訊いて見たが、彼はいつもうまく逃げて、話をしようとはしなかった。
 ところが次第に変な調子になった。
 と言うのは宋思芳が僕に対して、思慕の情愛を示し出したのさ。
 女が男を恋するような情を。
 僕は同性恋愛者ではない。が、宋思芳が前に云った通りの、世にも珍しい美少年だったので、そういう彼のそういう情愛が、僕には不自然に感ぜられなかった。



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