国枝史郎「鸚鵡蔵代首伝説」(01) (おうむぐらかえくびでんせつ)

国枝史郎「鸚鵡蔵代首伝説」(1)

仇な女と少年武士

「可愛い坊ちゃんね」
「何を申す無礼な」
「綺麗な前髪ですこと」
「うるさい」
「お幾歳《いくつ》?」
「幾歳でもよい」
「十四、それとも十五かしら」
「うるさいと申すに」
「お寺小姓? それとも歌舞伎の若衆?」
「斬るぞ!」
「ホ、ホ、ホ、斬るぞ、うるさい、無礼、なんて、大変威張るのね、いっそ可愛いいわ。……そうねえ、そんなように厳めしい言葉づかいするところをみると、やっぱりお武士《さむらい》さんには相違ないわね」
 女は、二十五六でもあろうか、妖艶であった。水色の半襟の上に浮いている頤など、あの「肉豊《ししむらゆたか》」という二重頤で、粘っこいような色気を持っていた。それが石に腰かけ、膝の上で銀張りの煙管を玩具にしながら、時々それを喫《す》い、昼の月が、薄白く浮かんでいる初夏の空へ、紫陽花《あじさい》色の煙を吐き吐き、少年武士をからかっているのであった。
 少年武士は、年増女にからかわれても、仕方ないような、少し柔弱な美貌の持主で、ほんとうに、お寺小姓ではないかと思われるような、そんなところを持っていた。口がわけても愛くるしく、少し膨れぼったい唇の左右が締まっていて、両頬に靨が出来ていた。それで、いくら、無礼だの、斬るぞだのと叱咤したところで、靨が深くなるばかりで、少しも恐くないのであった。玩具のような可愛らしい両刀を帯び、柄へ時々手をかけてみせたりするのであるが、やはり恐くないのであった。旅をして来たのであろう、脚絆や袴の裾に、埃《ほこり》だの草の葉だのが着いていた。
「坊ちゃん」と女は云った。
「あそこに見えるお蔵、何だか知っていて?」
 眼の下の谷に部落があり、三四十軒の家が立っていた。農業と伐材《きこり》とを稼業《なりわい》としているらしい、その部落のそれらの家々は、小さくもあれば低くもありして、貧弱《みすぼら》しかった。
 上から見下ろすからでもあろうが、どの家もみんな、地平《じべた》に食い付いているように見えた。信州伊那の郡《こおり》[#ルビの「こおり」は底本では「こうり」]川路の郷なのである。西南へ下れば天龍峡となり、東北へ行けば、金森山と卯月山との大渓谷《たに》へ出るという郷で、その二つの山の間から流れ出て、天龍川へ注ぐ法全寺川が、郷の南を駛《はし》っていた。川とは反対の方角、すなわち卯月山の山脈寄りに、目立って大きな屋敷が立っていた。高く石崖《いしがき》を積み重ねた上に、宏大な地域を占め、幾棟かの建物が立ってい、生垣や植込の緑が、それらの建物を包んでいるのであった。女の云った蔵というのは、それらの建物の中の一つであって、構内の北の外れに、ポツンと寂しそうに立っていた。白壁づくりではあったが、夕陽に照らされて、見る眼に痛いほど、鋭く黄金色に輝いていた。
 少年武士は、その蔵へ眼をやったが、
「何だか知っているかとは何じゃ、蔵は蔵じゃ」
「鸚鵡《おうむ》蔵よ」
「鸚鵡蔵? ふうん、鸚鵡蔵とは何じゃ?」
「お蔵の前へ行って、何々さーんと呼ぶんですの。するとお蔵が、何々さーんと答えてくれるでしょうよ」
「蔵が答える?」
「ええ、だから鸚鵡蔵……」
「馬鹿申せ」
「それでもようござんす、馬鹿申せッて、呼ぶんですの。するとお蔵が、馬鹿申せと答えてくれるでしょうよ。……納谷《なや》様の鸚鵡蔵ですものねえ」
「納谷様?」と少年武士は驚いたように、
「では、あれが、納谷殿のお屋敷か?」
「そうよ。でもどうしたのさ、親しそうに納谷殿なんて?」
「拙者、納谷殿屋敷へ参る者じゃ」
「まア、坊ちゃんが。……では、坊ちゃんは?」
「納谷の親戚《みより》の者じゃ」
「まあ」
「身共《みども》の姉上が納谷家に嫁しておるのじゃ」
「まあ、それでは、奥様の弟?」
「うむ」
「お姓名《なまえ》は?」
「筧菊弥《かけいきくや》と申すぞ」
「まあまあ、そうでしたかねえ」と云うと女は立ち上った。



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