国枝史郎「鸚鵡蔵代首伝説」(02) (おうむぐらかえくびでんせつ)

国枝史郎「鸚鵡蔵代首伝説」(2)

首を洗う姉

 それから、草の上へ、さもさも疲労《つかれ》たというように、両脚を投げ出して坐っている、菊弥を見下したが、
「では菊弥様、妾《わたし》もう一度貴郎《あなた》様にお目にかかることでしょうよ。……そうして一度は、その愛くるしい……」
「斬るぞ!」
 キラリと白い光が、新酒のように漲《みなぎ》っている夕陽の中に走った。菊弥が三寸ほど抜いたのである。とたんに、女は走って、二人を蔽うようにして繁っている、背後の樺の林の中へ走り込んだ。でも、そこから振り返ると、
「醒ヶ井《さめがい》のお綱《つな》は、やるといったこときっとやるってこと、菊弥様、覚えておいで」

 婢《おんな》に案内され、薄暗い部屋から部屋、廊下から廊下へと、菊弥は歩いて行った。
「このお部屋に奥様はお居ででございます」と云いすてて、婢が立ち去った時、菊弥は、古びた襖の前に立っていた。
 菊弥は妙に躊躇されて、早速には襖があけられなかった。姉とはいっても、嬰児《みずこ》の時代に別れて、その後一度も逢ったことのない姉のお篠《しの》であった。
(どんな人だろう?)という懸念が先立って、懐しいという感情は起こらなかった。
(いつ迄立っていても仕方がない)
 こう思って菊弥は襖を開けた。
 しばらく部屋の中を見廻していた菊弥は、「あッ」と叫ぶとベッタリ襖を背にして坐ってしまった。
 この部屋は、宏大な納谷家の主家の、ずっと奥にあり、四方を他の部屋で包まれており、それに襖が閉めきってあるためか、昼だというのに、黄昏《たそがれ》のように暗かった。部屋の中央《まんなか》の辺りに一基の朱塗りの行燈《あんどん》が置いてあって、熟《う》んだ巴旦杏《はたんきょう》のような色をした燈の光が、畳三枚ぐらいの間を照らしていた。
 その光の輪の中に、黒漆ぬりの馬盥《ばたらい》が、水を張って据えてあり、その向こう側に、髪を垂髪《おすべらかし》にし、白布で襷をかけた女が坐っていた。そうして脇下まで捲れた袖から、ヌラヌラと白い腕を現わし、馬盥で、生首を洗っていた。生首はそれ一つだけではなく、その女の左右に、十個《とお》ばかりも並んでいた。いずれも男の首で、眼を閉じ、口を結んでいたが、年齢《とし》からいえば、七八十歳のもあれば、二三十歳、四五十歳、十五六歳のもあった。首たちは、燈火《あかり》の輪の中に、一列に、密着して並んでいた。その様子が、まるで、お互い生存《いき》ていた頃のことを、回想し合っているかのようであった。光の当たり加減からであろうが、十七八歳の武士の首は、鼻の脇からかけて口の横まで、濃い陰影《かげ》を、筋のように附けていたので、泣いてでもいるように見えた。
 女は、菊弥が入って来て、「あッ」と叫んで、ベッタリ坐っても、しばらくは顔を上げずに、額へパッと髪をかけたまま、馬盥に俯向き、左の手で生首の髻《もとどり》を掴み右の手の鬱金《うこん》の巾《きれ》で、その生首を洗っていた。
 菊弥は、全身をワナワナと顫わせ、見まい見まいとしても、生首へ、わけても、女の洗っている生首へ眼を引かれ、物も云えず、坐っていた。
 やがて女は顔を上げ、つくづくと菊弥を眺めたが、
「菊弥かえ」と云った。
「は、はい、菊弥でございます。……あ、あなた様は?」
「お前の姉だよ」
「お、お篠お姉様?」
「あい」
「お、お姉様! それは? その首は?」
「代首《かえくび》だよ」
「か、代首? 代首とは?」
「味方の大将が、敵に首を掻かれ、胴ばかりになった時、胴へ首を継いで葬るのが、戦国時代のこの土地の習慣だったそうな。……その首を代首といって、前もってこしらえて置いたものだそうだよ」
「まあ、では、その首は、本当の首ではないのでございますか?」
「本当の首ではないとも。木でこしらえ、胡粉《ごふん》を塗り、墨や紅で描き、生毛を植えて作った首形なのだよ」
「でも、お姉様、どうしてそんな首形が、いくつもいくつも、お家に?」



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