国枝史郎「鸚鵡蔵代首伝説」(05) (おうむぐらかえくびでんせつ)

国枝史郎「鸚鵡蔵代首伝説」(5)

飯食い地蔵

 翌日菊弥は庭へ出て陽を浴びていた。
 寛文四年五月中旬のさわやかな日光《ひ》は、この山国の旧家の庭いっぱいにあたっていた。広い縁側を持った、宏壮な主屋を背後にし、実ばかりとなった藤棚を右手にし、青い庭石に腰をかけ、絶えず四辺《あたり》から聞こえてくる、老鶯《うぐいす》や杜鵑《ほととぎす》の声に耳を藉し、幸福を感じながら彼は呆然《ぼんやり》していた。納屋の方からは、大勢の作男たちの濁声《だみごえ》が聞こえ、厩舎《うまごや》の方からは、幾頭かの馬の嘶《いなな》く声が聞こえた。時々、下婢や下男が彼の前を通ったが、彼の姿を眼に入れると、いずれも慇懃に会釈をした。彼を、この家の主婦の弟と知って、鄭重に扱うのであった。
(いいなあ)と菊弥は思った。
(これからわし[#「わし」に傍点]はずっとここで生長《おおきく》なるのだ。そうしてここの家督を継ぐのだ。これ迄は、父親のない、貧しい浪人者の小倅として、どこへ行っても、肩身が狭かったが、もうこれからはそんなことはないのだ)
 こんなことを思った。
 と、この時、昨日《きのう》、主屋の奥の部屋で、姉が代首《かえくび》を洗っていた時、襖の間に立って、姉に話しかけた男が――後から姉から聞いたところによれば、嘉十郎と云って、この納谷家を束ねている、大番頭とのことであるが、――その嘉十郎が片手に、皿や小鉢を載せた黒塗の食膳を持ち、別の手に、飯櫃《めしびつ》を持って、厨屋《くりや》の方から、物々しい様子で歩いて来た。
「嘉十郎や、そんなもの、どこへ持って行くのだえ?」と菊弥は、嘉十郎が自分の前へ来た時声をかけた。
 少年の好奇心からでもあったが、下婢ならともかく大番頭ともある嘉十郎が、そんな物を持って、昼日中物々しく、庭など通って行くので、何とも不思議に堪えられなかったからでもあった。
 嘉十郎は足を止めたが、
「へい、これは菊弥お坊ちゃまで。……これでございますか、これは『飯食い地蔵様』へお供えする昼のお斎《とき》でございますよ」
「飯食い地蔵? 飯食い地蔵って何だい?」
「お坊ちゃまは、江戸から参られたばかりで、何もご存知ないでしょうが、飯食い地蔵と申しますのは、大昔から、この納谷家に祭られておる地蔵様のことでございましてな、お蔵の裏手……」
「お蔵って、鸚鵡蔵のことかい」
「ご存知で。これはこれは。へい、さようでございます、その鸚鵡蔵の、裏の竹藪の中に、安置されてあるのでございますがな、朝、昼、晩と、三度々々お斎を供えなければなりませんので。それが納谷家に伝わる、長い間の習慣《しきたり》で」
「地蔵様がお斎を食べるのかい?」
「さようでございます」
「嘘お云いな」
「あッハッハッハッ。……いずれは野良犬か、狐か狸か、乞食《ものごい》などが食べてしまうのでございましょうが、とにかくお斎は毎日綺麗になくなります」
「飯食い地蔵。……見たいな」
「およしなさいまし。あの方角へは、まずまずおいでにならない方がよろしゅうございます」
「お姉様も、昨日《きのう》、そんなことを云ったよ。鸚鵡蔵の方へは行かない方がいいって」
「さようでございますとも、魔がさしますで」
 行過ぎる嘉十郎のうしろ姿を見送りながら、菊弥は、鸚鵡蔵の由縁《いわれ》を、一番最初に自分へ話してくれた、お綱という女のことを思い出した。その女は、彼が目差す川路の郷を、目の下に見ることの出来る峠まで辿りついたので、安心し、疲労た足を休めているところへ、突然、樺の林の中から出て来て、からかった女であった。
(あの女何者だろう?)
(鸚鵡蔵だけは是非見たいものだ)



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