国枝史郎「鸚鵡蔵代首伝説」(06) (おうむぐらかえくびでんせつ)

国枝史郎「鸚鵡蔵代首伝説」(6)

鸚鵡蔵

 その夜のことであった。菊弥は、鸚鵡蔵の前に立っていた。
 月のある夜だったので、巾の広い、身長の高い――普通の蔵の倍もありそうな鸚鵡蔵は、何かこう「蔵のお化」かのように、朦朧と照っている月光の中に、その甍《いらか》を光らせ、白壁を明るめて立っていた。白壁づくりではあったが、その裾廻りだけが、海鼠《なまこ》形になっていて、離れて望めば、蔵が裾模様でも着ているように見えた。正面に二段の石の階段があり、それを上ると扉であった。扉は頑丈の桧の一枚板でつくられてあり、鉄の鋲が打ってあり、一所に、巾着大の下錠が垂らしてあった。納谷家にとって一方ならぬ由緒のある蔵なので、日頃から手入れをすると見え、古くから伝わっている建物にも似合わず、壁の面には一筋の亀裂さえなく、家根瓦にも一枚の破損さえもなさそうであった。
 菊弥は、扉の前にしばらく佇んでいたが(声をかけてみようかな?)と思った。でも、姉の眼や家人の眼を盗んで、こっそり見に来たことを思い出し、止めた。知れたら大変だと思ったからである。
(手ぐらい拍ってもいいだろう)
 そこで彼は手を拍った。少年の鳴らす可愛らしい拍手の音が、二つ三つ、静かな夜の空気の中を渡った。と、すぐに全く同じ音が、蔵の面から返って来た。
(あ、ほんとうに、お蔵が返辞をしたよ。まったく鸚鵡蔵だ)
 日光の薬師堂の天井に、狩野某《なにがし》の描いた龍があり、その下に立って手を拍つと、龍が、鈴のような声を立てて啼いた。啼龍といって有名である。
 が、要するにそれは、天井の構造から来ていることで、幽かな音に対しても木精《こだま》を返すに過ぎないのであって、そうしてこの鸚鵡蔵も、それと同一なのであったが、無智の山国の人達には、怪異《ふしぎ》な存在《もの》に思われているのであった。
 菊弥は鸚鵡蔵が鸚鵡蔵の証拠を見せてくれたので、すっかり満足したが、すぐに、少年の好奇心から、昼間嘉十郎の話した「飯食い地蔵」のことを思い出した。
(どんな地蔵かしら、見たいものだ。嘉十郎の持って行った飯をほんとうに食べたかしら?)
 そこで菊弥は、蔵を巡って、その裏手の方へ歩いて行った。蔵の裏手は、蓬々と草の茂った荒地で、遥か離れたところに、孟宗竹の林が立ってい、無数の巨大な帚でも並べたようなその竹林は、梢だけを月光に薄明るく色づけ、微風《そよかぜ》に靡いていた。そうして暗い林の奥から、赤黄色い、燈明の火が、朱で打ったように見えて来ていた。
(あそこに地蔵様の祠があるんだな)
 そこで菊弥はその方へ足を向けた。と、その時、蔵の右手から人の足音が聞こえてきた。
(しまった)と菊弥は思った。
(手を拍ったのを聞き付けて、誰か調べに来たのだ)
 目つかっては大変と、菊弥は左手の方へ逃げかけた。するとその方からも人の足音が聞こえてきた。
(どうしよう)
 眼《め》を躍《おど》らせて四方を見廻した菊弥の眼に入ったのは、蔵の壁に沿って、こんもりと茂っている漆らしい藪であった。
(あそこへ一時身をかくして……)
 そこで菊弥は藪の陰へ走り込み、ピッタリと壁の面へ身を寄せた。
「あッ」
 菊弥の身は蔵の中へ吸い込まれた。
 壁の一所が切り抜かれてい、菊弥が身を寄せた時、切り抜かれた部分の壁が内側へ仆れ、連れて、菊弥の体が蔵の中へ転がり込んだのであった。
「あッ」
 再度声をあげたのは、蔵の闇の中から手が延びて来て、菊弥の胸倉を掴んだからであった。
「何奴!」と叫ぼうとした口を、別の手が抑えた。
 菊弥の体の上に馬乗りになった重い体の主は、切り抜かれた壁の口から、幽かに差し込んで来た外光に照らした顔を、菊弥の顔の上へ近づけた。
「あッ」と声は出なかったが、菊弥は、抑えられている口の中で叫んだ。その顔が、お綱の顔だったからである。峠で、昨日、自分をとらえて挑戯《からか》った、「醒ヶ井のお綱」の顔だったからである。
「うふ!」とお綱は、薄い、大形の唇から、前歯をほころばせて笑ったが、強い腕の力で、菊弥をズルズルと蔵の奥へ引き摺って行き、依然として馬乗りになったまま、今は、外光さえ届いて来ない闇の中で、囁くように云った。
「菊弥! ナーニ、本名を云やアお菊か菊女だろう! 手前、女だからなア! うふ、いかに男に姿やつしていようと、この綱五郎の眼から見りゃア――そういう俺らア男さ! ナニ『醒ヶ井のお綱』だって! 箆棒めえ、そいつア土蔵破《むすめし》としての肩書だア。……この綱五郎の眼から見りゃア、一目瞭然、娘っ子に違えねえ!」



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