国枝史郎「怪しの者」(6) (あやしのもの)

国枝史郎「怪しの者」(6)

      七

 相変らず菰をかむり、竹の杖をつき、面桶《めんつう》を抱《かか》えた、乞食のわたしが、庄内川の方へ辿って行きましたのは、それから五日後の夜のことでした。
 化け物屋敷の前まで来ました。
 一町四方《ちょうしほう》もある、宏大なお屋敷は、樹木と土塀とで、厳重に囲《かこ》まれておりまして、外から見ますると、内部《なか》の建物《たてもの》は、家根さえ見えないほどなのでございます。
 しばらくわたしは土塀について、お屋敷の周囲をまわりました。と、東側の小門《こもん》から小半町《こはんちょう》ほど距たった辺に、こんもりした林がありました。それをわたしは眺めやりましたが(あれ[#「あれ」に傍点]に任《ま》かせて置けば大丈夫さ)と、こう心中で思いまして、そのまま先へ進んで行きました。足場のよいところまでやって来ました。そこでわたしは木立へ登り、そこから土塀の頂《いただき》へ登り、お屋敷の構内へ飛び下りました。構内の土塀近くに茂っているのは、松や楓《かえで》や槇《まき》や桜の、植え込みでございました。
(塀外の木立ちと高い厚い土塀と、そうして内側のこの植え込みとで、こう厳重に鎧《よろ》われたんでは、屋敷内で何を企てようと、外からは見えもしなければ聞こえもしない。ましてその上に化け物屋敷などという、気味の悪い噂を立てておいたら、近寄ろうとする人はないだろう。)[#「近寄ろうとする人はないだろう。)」は底本では「近寄ろうとする人はないだろう。」]
 そんなことをわたしは思いながら、植え込みをわけて進んで行きました。と行く手から大勢の人声や、物を打つ音や物を切る音やが、潮の遠鳴りのように聞こえ、燈《ひ》の光なども見えて来ました。不意にその時人声が、此方《こなた》へ近づいて参りましたので、わたしは藪《やぶ》蔭へ身をかくしました。
「見慣れない奴でありましたよ」
「外から忍び込んだ人間らしい」
「どうあろうとさがし出して捕えねば……」
 それは二人のお侍さんでした。
「居た!」
 とその中の一人が、わたしを目付けて叫び、手取りにしようとしてか組みついて来ました。(やむを得ない)と思って、わたしは竹の杖を突き出しました。もちろん急所へあて[#「あて」に傍点]たんで。かすかに呻き声をあげたばかりで、そのお侍さんは倒れてしまいました。
「曲者《くせもの》!」
 この人は斬り込んで来ました。
 でもその人も倒れてしまいました。
 わたしの突き出した竹の杖が、うまく鳩尾《みぞおち》へはまった[#「はまった」に傍点]からで。
(ナーニ半刻《はんとき》のご辛棒で。自然と息を吹き返しまさあ)
 わたしは先へ進んで行きました。
 でもわたしは気が気ではありませんでした。あの鶴吉という男が、わたしのように土塀を乗り越えて、屋敷内にはいり込んだということは、わたしにはわかっておりましたが、愚図愚図しているうちに目的を遂げて、この屋敷から脱け出されたら、一大事と思ったからです。
 わたしは先へ進んで行きました。
 すると「誰だ!」という声が起こり、つづいて「わッ」という悲鳴が起こり、すぐに「曲者!」と喚《わめ》く声が聞こえ、つづいて「わッ」という悲鳴が聞こえ、さらに逃げてでも行くらしい、けたたましい足音が聞こえましたが、またもや「わッ」という悲鳴が聞こえ、その後は寂然《しん》となってしまいました。
(凄《すご》いな。三人殺《や》った! 彼奴《きゃつ》だ!)
 とわたしは走って行きました。
 そうして間《ま》もなくわたしは、厳重な旅の仕度をし、黒い頭巾で顔をつつんだ、鶴吉と呼ぶ例の男と、木立ちの中で刀を構えていました。そうですわたしも竹杖《たけづえ》仕込みの刀を、ひっこ抜いて構えたのです。
 わたしたちの足許にころがっているのは、三人の武士の死骸《しがい》でした。みんな一太刀で仕止められていました。
(凄い剣技《てなみ》だ、油断するとあぶない)
 わたしは必死に構えました。
 と、鶴吉は月の光で、わたしの姿を認めたらしく、
「なんだ、貴様、乞食ではないか。……しかし、……本当の乞食ではないな。……宣《なの》れ、身分を!」
「そういう貴様こそ身分を宣れ! 庄内川からこの屋敷へ、大水《たいすい》を取り入れるために作り設けた、取入口を探ったり、行き倒れ者に身を※[#「にんべん+悄のつくり」、第4水準2-1-52]《やつ》して、船大工の棟領持田の家へはいり込み、娘をたぶらかして秘密を探ったり、最後にはこの屋敷へ忍び入り、現場を見届けようとしたり……」
「黙れ! 此奴《こやつ》、それにしてもそこまで俺の素性を知るとは?……さては、汝《おのれ》は、……もしや汝は※[#疑問符感嘆符、1-8-77]」
「…………」
「隠密《おんみつ》ではないかな? どこぞの国の?」
「…………」
「ものは相談じゃ、いや頼みじゃ、同じ身分のものと見かけ、頼む見遁《みのが》してくれ」



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