国枝史郎「怪しの者」(7) (あやしのもの)

国枝史郎「怪しの者」(7)

      八

「礼には何をくれる」わたしはこう言ってやりました。
「ナニ礼だと、礼がほしいのか?」
「ただで頼《たの》まれてたまるものか」
「なるほどな、もっともだ。……かえって話が早くていい。……何がほしい、なんでもやる。」[#「何がほしい、なんでもやる。」」は底本では「何がほしい、なんでもやる。」]
「調べた秘密をこっちへ吐き出せ」
「…………」
「抑《おさ》えた材料《ねた》を当方へ渡せ」
「…………」
「江戸まで連れて逃げようとする生き証拠を俺の手へ返せ」
「チェッ、要求《のぞみ》はそれだけか」
「もう一つ残っている」
「まだあるのか、早く言え!」
「汝《おのれ》この場で消えてなくなれ」
「ナ、なんだと?」
「汝《おのれ》に生きていられては都合が悪いと言っているのだ」
 疾風迅雷とでも形容しましょうか、怒りと憎悪《にくみ》とで斬り込んで来た、鶴吉の刀の凄《すさま》じかったことは! あやうく受け流し、わたしは木立ちの中へ駈け込みました。そのわたしを追いかけて来る、鶴吉の姿というものは、さながら豹《ひょう》でしたよ。
(駄目だ)とわたしは観念しました。(俺の手では仕止められない)
 松の木を盾として、鶴吉の太刀先を防ぎながら、わたしは大音に呼びました。
「お屋敷の方々お出合い下され、江戸柳営《りゅうえい》より遣《つか》わされた、黒鍬組《くろくわぐみ》の隠密が、西丸様お企《くわだ》ての秘密を探りに、当屋敷へ忍び込みましてござる! 生かして江戸へ帰しましては、お家の瑕瑾《かきん》となりましょう! 曲者はここにおりまする、お駈けつけ下され!」
 声に応じて四方から、おっ取り刀のお侍さんや、鋸《のこぎり》や槌《つち》を持った船大工の群れが、松明《たいまつ》などを振り照らして、わたしたちの方へ駈けつけて来ました。その先頭に立っておりましたのが、西条勘左衛門様でございましたので、
「あなた様の太刀先をひっ[#「ひっ」に傍点]外《ぱず》して、庄内川へ飛び込んだ男が、隠密の此奴《こやつ》でございます。川がないから大丈夫で。今度こそお討ちとりなさりませ」
「そういう貴様《きさま》は……や、いつぞやの晩……」
「あれは内証《ないしょ》にしておきましょうよ。お味方同志でございますから」
 言いすてるとわたしはお屋敷の建物の方へ、一散に走って行きました。

 やるべき仕事をやってしまうと、わたしは引っ返して来ました。屋敷の門が開《あ》いていました。で、わたしは走り出ました。
 何が門外にあったでしょう?
 東側の小門から、小半町ほどはなされている林の中から、人声が聞こえ、松明《たいまつ》の火が射しているのです。
 わたしはそっちへ走って行きました。
 そこでわたしの見たものといえば、垂《たれ》を下《さ》げた一梃《いっちょう》の駕籠《かご》の前に、返り血やら自分の血やらで、血達磨《ちだるま》のようになりながら、まだ闘士満々としている、精悍《せいかん》そのもののような鶴吉が、血刀を右手にふりかぶり、左手を駕籠の峯へかけ、自分の前に集まっている尾張藩の武士や、持田八郎右衛門の弟子の、大勢の船大工たちを睨《にら》んでいる、凄愴《せいそう》とした光景でした。
「かかれ、汝等《おのれら》、かかったが最後だ!」
 と、嗄《しわが》れた声で、鶴吉は叫びましたっけ。
「かかったが最後駕籠の中の女は、俺が一刀に刺し殺す!……持田八郎右衛門の娘を殺す! かかれたらかかれ!」
 船大工たちは口惜しそうに、口々に詈《ののし》りました。
「畜生、鶴吉!」
「恩知らず!」
 ――しかし棟領の秘蔵の娘を、人質にとられているのですから、かかって行くことはできませんでした。西条様はじめお侍さんたちも、刀を構えて焦心《あせ》っているばかりで、どうすることもできませんでした。というのは持田八郎右衛門は、船大工の棟領とはいいながら、立派な藩の御用番匠《ごようばんしょう》であり、ことには西丸様の今度のお企ての、大立物でありますので、その人の娘にもしも[#「もしも」に傍点]のことがあったら、一大事だと思ったからで。
 しかしわたしは遠慮しませんでした。大声で言ってやりました。
「今だ、お小夜坊《さよぼう》、やっつけな!」



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