国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(01) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(1)

    ままごと狂女


        一

「うん、あの女があれ[#「あれ」に傍点]なんだな」
 大髻《たぶさ》に黒紋付き、袴なしの着流しにした、大兵の武士がこういうように云った。独り言のように云ったのであった。
 そこは稲荷堀の往来で、向こうに田沼主殿頭《とのものかみ》の、宏大の下屋敷が立っていた。
「世上で評判の『ままごと女』のようで」
 こう合槌を打つものがあった。旅姿をした僧侶であった。
「つまり狂人《きちがい》なのでありましょうな」
 これも単なる問わず語りのように、こう呟いた人物があった。笈摺《おいずる》を背負った六部であった。と、その側に彳《たたず》んでいた、博徒のような男が云った。「迫害されて成った狂人なのでしょうよ」
「『ね、もう一度ままごと[#「ままごと」に傍点]をしようよ』こう云って市中を狂い廻るなんて、おお厭だ、恥ずかしいことね」
 すぐにこう云う者があった。振り袖を着た町娘で、美しさは並々でなかったが、どこかに蓮《はす》っ葉なところがあった。
「それが一人や二人でなく、この頃月に幾人となく、ああいう狂人の出て来るのは、変だと云えば変ですなあ」
 こう云ったのは総髪物々しく、被布《ひふ》を着た一人の易者であった。冷雨《ひさめ》がにわかに降り出したので、そこの仕舞家《しもたや》の軒の下に、五人は雨宿りをしたものと見える。
 今も冷雨は降っていた。その冷雨に濡れながら、髪を乱し衣紋を乱した、若い美しい狂人の娘が、田沼家の前を行ったり来たりしていた。
「ね、もう一度ままごと[#「ままごと」に傍点]をしようよ」
 そう喚く声がここまで聞こえた。が、間もなく姿が消えた。裏門の方へでも[#「でも」は底本では「ても」]行ったのであろう。
 パラパラと不意に降って来て、しばらく経つとスッと上がる。これが冷雨《ひさめ》の常である。冷雨が上がった。
「へい皆様、ご免くだすって」
 易者が最初にこう声をかけて、軒下から往来へ出た。
「それじゃ私も」
「では拙者も」
 などと云いながら五人の者は、つづいて軒下から往来へ出た。そういう様子を少し離れた、これも軒下に佇《たたず》んで、雨宿りをしていた三十五、六歳の武士が、狙うようにして見守っていたが、
「またあいつら何かをやり出すな」
 言葉に出して呟いた。それから首を傾げるようにしたが、
「どうもそれにしてもお篠という女が、あのお方の側室《そばめ》にあがって以来、あのお方のやり方が変になられた。……どっちみちお篠に似た女の狂人《きちがい》が、こう輩出したのではやり切れない」
(よし、一つ調べてやろう)
 その日の夕方のことであったが、神田三崎町三丁目の、指物店山大の店へ、ツトはいって来た侍があった。雨宿りをしていた侍である。
「主人はいるかな、ちょっと逢いたいが」
「へい、どなた様でいらっしゃいますか?」
 店にいた小僧が恐る恐る訊いた。
「十二神《オチフルイ》貝十郎と云うものだ」
 主人の嘉助が奥から飛んで来た。
「これはこれは十二神《オチフルイ》の殿様で。……」
「ああ主人か、訊きたいことがある。この頃『ままごと』がよく出るようだが」
「へい」と嘉助は小鬢を掻いた。
「諸方様からご注文でございますので」
「どんな方々から注文があるか、ひとつそれを聞かしてくれ」
「かしこまりましてございます」
 それから主人は名を上げた。松本伊豆守から五個、赤井越前守から三個、松平正允《まさすけ》から二個、伊井中将から一個、浜田侍従から一個。……等々であった。
「なるほど」
 と貝十郎は苦笑いをしたが、
「いずれも立派な方々からだな。……ところで松本伊豆守様からが、一番注文が多いようだが、この頃にご注文があったかな?」
「へい、一月の十五日までに、是非とも一つ納めるようにと、ご用人の三浦作右衛門様から。……」
「一月の十五日、ふうんそうか」
 尚二つ三つ訊ねてから、貝十郎は山大を出た。



[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送