国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(02) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(2)

        二

(どうにも今は変な時世だ。物を贈るにも流行がある。以前には岩石菖が流行《はや》ったっけ)
 以前に田沼主殿頭が、病床に伏したことがあった。病気見舞いのある大名が、主殿頭の家臣に訊ねた。
「この頃は田沼主殿頭殿には、何をご愛玩でございますかな?」と。
「岩石菖をご愛玩でございます」
 するとそれから二、三日が間に、岩石菖の贈物が、大きい座敷二つを埋めて、田沼家へ到来したそうである。
(ところが今では『ままごと』だ。……われもわれもと『ままごと』を贈る)
 貝十郎は歩きながら、苦笑せざるを得なかった。
(これも仕方がないのだろう、贈賄《わいろ》という風習はな。……長崎奉行が二千両、御目附が一千両と、相場さえ立っているのだからな。……贈った方が得なんだからな。……贈賄をする。役にありつく。今度は自分が収賄をする。贈賄の額よりも十倍も百倍も、多額のものを収賄する。……贈った方が得なんだからな。……それにさ世間のそうした風習に、一人逆らって超然としていると、旧弊というので仲間っ外れにされる。そのあげくに迫害される。そればかりかそのあげくには、あいつばかりがこんな時世に、廉潔を保っているなんて、途方もない売名家だ。逆行して名を売ろうとしているのだ。あいつこそ本当は悪党だと悪党から悪党視されることになる。……だからさ時には岩石菖だの『ままごと』をお贈りした方がよろしい。……もっとも俺には出来ないがな。……出来ない俺には別の処世法がある、踏晦《ふみさら》して遊蕩に耽けることさ。……どれ水茶屋へでも出かけて行こう)
 こうして貝十郎は浅草まで来た。
 江戸一番の盛り場で、四季に人出が多かった。「あづま」という水茶屋があって、そこの前まで歩いて来た時、五十年輩の侍が、暖簾《のれん》を刎ねて出るのが見られた。顔にあばた[#「あばた」に傍点]があって下品であったが、衣裳や腰の物は高価の物ずくめで、裕福の身分を思わせた。
(おやあれは三浦作右衛門だ)
 貝十郎はニヤリとした。
(松本殿の用人の、ああいう人までが水茶屋女に、興味を持つようになったのかな。……ああでもないと四畳半! その四畳半趣味に飽きると、こうでもないと水茶屋の牀几へ、腰を下ろすようなことになる)
 こんなことを思いながら、貝十郎は見送った。と、その時、「あづま」の門へ、姿を現わした女があった。へへり頤、二重瞼、富士額、豊かな頬、肉厚の高い鼻。……そういう顔をした女であって、肉感的の存在であったが、心はそれと反対なのであろう。全体はかえって精神的であった。
(ここの娘のお品だな、相いも変らず美しいものだ)
 貝十郎はそう思ったが、
(待てよ! ふうん、お品の顔!)
 で、何やら考え込んだ。そういう貝十郎が見ているとも知らず、お品は何んとなく愁わしそうな様子で、暮れて行く空を仰いでいたが、にわかに活々《いきいき》と眼を躍らせた。
 向こうから一人の若侍が、お品に向かって笑いかけながら、足を早めて来たからであった。貝十郎は若侍を見た。それからお品の顔を見た。
(そうか)
 と思いあたったような様子であった。
(新八郎氏がお品に通う! これはありそうなことだわい)
 その若侍とお品とが、もつれるような姿をして、暖簾の奥へ引っ込んだのを見すてて、貝十郎は歩き出した。
 思案に耽っている様子であった。冷雨の降った後である。盛り場も今日は比較的に寂しく、それに夕暮れになっていたので、家々では店を片付け出していた。
 しかし一所《ひとところ》に大公孫樹《いちょう》があって、そこだけには人が集まっていた。居合抜きの香具師《やし》の薬売りで、この盛り場の名物になっている、藤兵衛という皮肉な男が、口上を述べているからであった。
 この藤兵衛には特技があった。彼のお喋舌《しゃべ》りを聞こうとして、集まって来る人達の中に、知名の人や名士がいると、早速その人の名を揚げて、その人の癖や特色を、揶揄《やゆ》したり褒めたりすることであった。
「大変なお方がお立ち寄りになった。これは大和屋文魚様で! 蔵前の札差し、十八大通のお一人! 河東節の名人、文魚本多の創始者、豪勢なお方でございますよ。が、その割に花魁《おいらん》にはもて[#「もて」に傍点]ず、そこでかえって稼業は繁昌、夫婦別れもないという次第! 結構至極ではありますが、私の薬をお飲みになったら、もて[#「もて」に傍点]ないお方ももて[#「もて」に傍点]ようというもの! それ精力が増しますのでな。……これはこれは平賀源内様で、ようこそお立ち寄りくださいました。が、どうして平賀様には、奥様をお貰いなさいませんので。それにさいったい平賀様には、何が本職でございますかな? 本草学者か発明家か、それとも山師か蘭学者か? お医者衆なのでございますかな。……」
 ――などと云うような類であった。
 今も彼は十五、六人の、暇そうな見物に取り巻かれ、気忙《きぜわ》しそうに喋舌っていた。
「近来流行《はや》る『ままごと』の中へ、この売薬を一袋、どうでも入れなければ嘘でござんす! 名に負う蘭人の甲必丹《キャピタン》から、お上へ献上なされようとして、わざわざ長崎の港から、江戸まで持って参った薬で! 人参などは愚かのこと、四目屋の薬など愚かのことで! 利きます利きます非常に利きます! 一粒飲めば胸もとが躍る、二粒飲めばこめかみ[#「こめかみ」に傍点]に汗、三粒飲めばワクワクする。四粒五粒と飲んで行くうちに、悉皆《しっかい》我慢が出来なくなる。さて一袋飲んだとする、この世がかの世か、かの世がこの世か、見境いのないことになり、うっちゃって置けば鼻血が出る。捨てっ放なしにして置けば、……もうこの後は云われない。……やッ」
 とにわかに藤兵衛は云って、一方へ眼を走らせた。それからまたも喋舌り出した。
「ご大層もない人がお立ち寄りなされた! この節世上にお噂の高い『館林様』がお立ち寄りなされた! 深編笠、無紋のお羽織、紫柄のお腰の物、黙って道を歩かれても、威厳で人が左右へ除ける! お供はいつもお一人で……おやいけない、行っておしまいなさる!」
「館林様? ふうん、そうか」
 公孫樹《いちょう》の蔭に佇んでいた、十二神《オチフルイ》貝十郎は呟きながら、右手の方へ眼をやった。
 いかさま深い編笠を冠り、黒の衣裳に無紋の羽織、紫の紐で柄を巻いたきゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]な大小を穏かに差し、袴なしの着流しで、塗り下駄を穿いた二十八、九歳の、貴人のように威厳のある武士が三十五、六の大兵の武士を、後に従えて人の群から離れ、町の方へ静かに歩きつつあった。
(こういう俗悪の世になると、ああいう神聖な人物も出る。反動的とでも云うのだろう)
 貝十郎はこう思いながら、雀色になった夕暮れの中に、消え込んで行くその人の姿を、尊いもののように見送ったが、やがて藤兵衛へ近寄って云った。
「これ、薬を一袋くれ」
 買った薬を懐中し、貝十郎は歩き出した。
(お篠という女が側室《そばめ》に上がった。……お篠という女に似た女が、盛んに変な狂人《きちがい》になる。……『ままごと』という変わった道具。……松本伊豆守が頻《しき》りに使う、……お品という娘がお篠に似ている。……松本伊豆守の用人がお品の店へ出入りをする。……一月十五日に『ままごと』が、伊豆守の邸へ届けられる。……新八郎氏がお品の情人《いろ》。……藤兵衛の売っていたこの薬? ……玄伯老にでも訊ねてみよう)
 蘭医杉田玄伯の家へ、貝十郎がはいって行ったのは、初夜を過ごした頃であった。



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