国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(04) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(4)

        四

 朧月《おぼろづき》の深夜で、往来《ゆきき》の人はなく、犬の吠え声がずっと遠くの、露路の方から聞こえて来た。お筒持ちの小身の武士達の長屋町なので、道幅なども狭かった。
 新八郎の姓は小糸、年は二十八歳で、身分は旗本の次男であり、独身の部屋住みであった。当時少しずつ流行して来た蘭学に趣味を持ち、苦心して読みにかかっていた。平賀源内か、前野良沢かについて学ぼうか、それとも長崎へ行って、通辞に従い、単語でも覚えようかなどと、そんなことを考えてもいた。
 五百石の旗本の伜《せがれ》なので、随分裕福で、わがままであった。女も好き酒も好き、それに年齢《とし》からも来ているのであろう、猟奇的の性格の持ち主であった。戸ヶ崎熊太郎の門下であって、剣道では上手の域に達してもいた。
 毎年長崎から甲必丹《キャピタン》蘭人が通辞と一緒に江戸へ来て、将軍家に拝謁した。その逗留所を客室と云い、その客室では蘭人が携さえて来た舶来品を並べて諸人に見せた。天気験器《ウェールガラス》、寒暖験器《テルモメートル》、震雷験器《ドンドルガラス》、暗室写真鏡《ドンクルカームル》、等々――そんなものが陳列された。杉田玄伯だの桂川甫周だの、中川淳庵だのがよく見に行った。で、新八郎も見に行った。そうして誰にも負けず好奇心を募《つの》らせた。
 欧羅巴《ヨーロッパ》における拷問器具――姦通をした女に冠せたという、「驢馬仮面」と十字軍の戦士連が出征に際して、その妻妾の貞操を保護するために、その妻妾連の局部へまとわせたという鉄製の「貞操帯」を見た時変な気がした。狂人のような好奇心に猟り立てられたのである。
「こういう種類の品物、まだまだありましょうな?」
 と大通辞の吉雄幸左衛門へ訊いた。
「さよう、沢山あります。そうして江戸へも持って来ました。がそれはご懇望によりある方面の貴顕へ献じました」
 こう幸左衛門は答えた。
(是非見たいものだ)
 新八郎はこう思ったが、誰に献じたのか解らなかったので、その人を尋ねて見ることは出来なかった。しかし彼は訊いて見た。
「どなたへご献上なさいましたので?」
「甲必丹《キャピタン》カランス殿にお訊きなされ」
 こう云って幸左衛門は笑って取り合わなかった。甲必丹には容易に逢うことが出来ず、出来ても言葉が解らず話すことが出来なかったので、新八郎の希望《のぞみ》はとげられそうもなかった。
(惨忍ではあるが何んと誘惑的の器具なのだろう? 是非見たいものだ)
 新八郎はそう思った。
 今もそのことを思いながら歩いているのである。それにしても何故彼はそうした器具に興味を持ったのであろう? 彼の愛人であったお篠という女が彼を裏切って、ある幕府の権臣の妾になったことが原因であった。
(是非あの女に逢って見たい、逢ってああいう器具を使用させて見たい)
 これが希望《のぞみ》なのであった。その女は町医者千賀道有の娘で、随分美しい女であった。二年の間睦《むつ》み合い、相当の武士の養女として、そこから嫁として新八郎のもとへ来ることに話がきまってさえいた。
 ところが不意に女はいなくなった。
 で、新八郎は道有を責めて、女をどこへやったかと訊ねた。
「あるお方の側室《そばめ》に差し上げました。しかし、その方の何方であるかは申し上げられません。また、申し上げたとしても、貴所にはどうもなりますまい。御大老伊井中将直幸様さえ頭の上がらないお方なのですから」
 これが道有の返辞であった。
 女の行った先が、素晴らしい権臣であることだけは間もなく証明された。町医者であった道有が、その後恐ろしいような出世をしたのであるから。すなわち侍医法眼となり、浜町に二千坪の屋敷を持つようになったのであるから。
 お篠がそういうようになって以来、新八郎は楽しまなかった。しかるに間もなく水茶屋の娘でお品という女が、お篠と顔立ちが似ているところから、新八郎の心を引くこととなり、新八郎はお品と睦んだ。がどうだろうそのお品も、二、三日前に松本伊豆守へ、用人の手から引き上げられてしまった。小間使いという名義の下に、どうやら妾にされたようであった。
 お篠は派手な性質で、贅沢することが出来るのだったら、自分から進んで貴顕権門の、妾になるような女であった。
 しかしお品の方はそうではなかった。こまやか[#「こまやか」に傍点]なつつましい情緒を持ち、ささやかな欲望に満足し、愛する男を一本気に愛する。――そう云ったような性質の女であった。
 でお篠が自分を見捨てて権門の妾になったという、そういうことを知った時、新八郎は憎悪を感じた。
 しかしお品が同じ身の上になったと、お品の母親によって聞かされた時、新八郎は可哀そうなと思った。が、どっちみち新八郎の心は、慰めのないものとなったのである。
 そういう新八郎の眼の前に、お高祖頭巾を冠った女が、今忽然と現われて、謎めいた言葉をかけたのである。
(この女は何者なのであろう? ……どうして俺の身の上や、お品やお篠の身の上について、見通しのようなことを云うのであろう?)
 疑惑を持たざるを得なかった。
(もう少し突っ込んで訊いて見よう)
 こう新八郎は思い付いて、その女の方へ近寄ろうとした。
 と、その女は歩き出した。
「ご婦人」
 と新八郎は声をかけた。しかしその時にはもうその女は、そこの横手に延びている小広い横丁へはいっていた。
「しばらく」
 と新八郎も横丁へはいった。が、すぐに「おや」と云った。女が四人の男達に、前後を守られていたからである。
(そうか)
 と新八郎はすぐに思った。
(女は一人ではなかったのだ。以前《まえ》から男達があそこにいて、あの女を警護していたのだ)
(いよいよ不思議な女ではある)



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