国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(09) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(9)

        九

 ここの往来も月光を受けて、紗のような微光に化粧されている。そうして靄《もや》が立っている。
 ずっと向こうを例の行列が、その月光と靄とを分けて、ずんずん先へ進んで行く。その後から館林様と家来とが、話し合いながら進んで行く。それを新八郎はつけて行った。
 館林様の上品端正な、両の肩が月の光を浴びて、仄《ほの》かに銀のように白っぽくおぼ[#「おぼ」に傍点]めき、肩の上に山形に載っている、編笠があたかも異様に大きい、一片の花の弁のように見えた。こうして町々を通り抜けた。
 と、行く手に余りにも宏壮な、大名の下屋敷が立っていた。
 そこの裏門まで行った時である。例の行列が開いた扉から、呑まれるように吸い込まれた。で、後は静かとなって、人の姿は見られなかった。しかしその時その門の前で、大きく笑う笑声がした。
 見れば館林様とその家来とが、門の前に立っていた。が、やがて引っ返して来た。そうして木蔭に身を隠していた、新八郎の横手を抜けて、元来た方へ帰って行った。
(稲荷堀の田沼侯の屋敷の前で、館林様には大笑なされた。あのお方の目的はとげられたという訳さ。……何故笑ったか知らないが、笑っただけでも痛快だ)
 新八郎はこう思いながら、木蔭から姿を現わした。
(ところで俺はこれからどうしたものだ?)
 家へ帰るより仕方がなかった。
(いろいろと変わった人間に逢い、いろいろ変わった事件に逢った。無駄な一夜だったとは云われない)
 彼は満足した心持ちで、元来た方へ引っ返そうとした。しかしその時木立の蔭から、こう云う声が聞こえて来たので、引っ返すことは出来なかった。
「中へはいってごらんなされ。さよう、田沼侯のお屋敷の中へ! せめてお屋敷の庭へなりと。……貴殿がおはいりになられるようなら、拙者ご案内をいたすでござろう」
 十二神《オチフルイ》貝十郎の声であった。
「十二神《オチフルイ》氏、そこにおられたのか」新八郎はテレたように云った。「田沼侯のお屋敷へはいれと云われる、何んの必要がありましてかな?」
「『ままごと』の中に何があるか、献上箱の中に何があるか、貴殿お知りになりたくはないので?」尚も木蔭から貝十郎は云った。「貴殿の恋人お品殿が、松本伊豆守に引き上げられた。その松本伊豆守が、献上箱と『ままごと』とを仕立てて、たった今田沼侯の屋敷へはいった。二品は賄賂《まいない》の品物でござる。ところで、世上にはこう云う噂がござる。人形と称して生きた美女を献上箱の中へ入れ、好色の顕門へ納《い》れるという噂が。……」
「それでは今の献上箱の中に。……」
「お品殿がはいっておられようも知れぬ」
「行こう!」
「行かれるか?」
「屋敷の中へはいろう!」
「ご案内しましょう。おいでなされ」
 老中田沼侯の下屋敷の庭へ、外から忍んで入るというようなことは、考えにも及ばない不可能事のように、今日では想像されるけれど、あながちそうでもないのであって、鼠小僧というような賊は、田沼以上の大大名、細川侯の下屋敷の、奥方のおられる寝所へさえ、忍び込んだことさえあるのであった。
 貝十郎は風変わりの、しかも素晴らしい技倆を持った、聡明で敏捷な与力であった。田沼家の案内など、知っているのであろう。新八郎の先に立って、木立を抜けて先へ進んだが、やがて田沼家の横手へ出た。ひときわ木立が繁っていて、その繁みに沿いながら、田沼家の土塀が立っていた。
「この辺最も手薄でござる」
 こう囁《ささや》くと貝十郎は、立ち木の一本へ手をかけて、足で土塀を蹴るようにした。と、彼の姿はもうその時には、土塀の上に立っていた。そうしてその次の瞬間には、土塀から邸内へ飛び下りていた。新八郎も同じようにして、田沼家の邸内へ飛び下りた。



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