国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(11) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(11)

        十一

 この頃三人の男女の者が、主屋《おもや》から廻廊の方へ歩いていた。
「伊豆殿、私《わし》はこう思うので、音物《いんもつ》は政治の活力だとな」こう云ったのは六十年輩の、長身、痩躯《そうく》、童顔をした、威厳もあるが卑しさもあり、貫禄もあるが軽薄さもある、変に矛盾した風貌態度を持った、気味のよくない侍であった。主人田沼主殿頭なのである。「私はな、日々登城して、国家のために苦労いたし、一刻として安き時はござらぬ。ただ退朝して我が家へ帰った時、邸の長廊下を埋めるようにして、諸家から届けられた音物類が、おびただしく積まれてあるのを見て、はじめて心の安きを覚え、働こうという勇気が起こりましてござるよ」
「ごもっとも様に存じます」こう合槌を打ったのは、後からついて来た四十年輩の侍で、眉細く口大きく、頬骨の立った狡猾らしい顔と、頑丈な体とを持っていた。他ならぬ松本伊豆守なのである。「音物《いんもつ》はお贈りする人の心の、誠の現われでございますれば、眺めて快く受けて楽しいよろしきものにございます」
「金銀財宝というものは、人々命にも代えがたいほどに、大切にいたすものではござるが、それらの物を贈ってまでも、ご奉公いたしたいという志は、お上に忠と申すもの、褒むべき儀にございますよ」
「御意《ぎょい》、ごもっともに存じます。志の厚薄は、音物の額と比例いたすよう、考えられましてございます」
「彦根中将殿は寛濶でござって、眼ざましい物を贈ってくだされた。九尺四方もあったであろうか、そういう石の台の上へ、山家の秋景色を作ったもので、去年の中秋観月の夜に、私の所へまで届けられたが、山家の屋根は小判で葺いてあり、窓や戸ぼそ[#「ぼそ」に傍点]や、板壁などは、金銀幣をもって装おってあり、庭上の小石は豆銀であり、青茅数株をあしらった裾に、伏させてあったほうぼう[#「ほうぼう」に傍点]は、活きた慣らした本物でござったよ」
「その際私もささやかな物を、お眼にかけました筈にございます」
「覚えておる、覚えておる」主殿頭は笑いながら、いそがしそうに頷いた。「小さな青竹の籃の中へ、大鱚《おおきす》七ツか八ツを入れ、少し野菜をあしらって、それに青柚子《ゆず》一個を附け、その柚子に小刀を突きさしたものであった」
「その小刀と申しますのが……」
「存じておる、存じておる、柄に後藤の彫刻の、萩や芒をちりばめた、稀代の名作であった筈だ」
 薄縁《うすべり》の敷かれた長廊下には、現在諸家から持ち運ばれた無数の音物が並べられてあった。屏風類、書画類、器類、織物類、太刀類、印籠類、等々の音物であった。そういう音物類を照らしているのは、二人の先に立って歩いている、女の持っている雪洞《ぼんぼり》の火であった。紅裏を取り、表は白綸子《しろりんず》、紅梅、水仙の刺繍《ぬいとり》をした打ち掛けをまとったその下から、緋縮緬《ひぢりめん》に白梅の刺繍をした裏紅絹の上着を着せ[#「着せ」は底本では「記せ」]、浅黄縮緬に雨竜の刺繍の幅広高結びの帯を見せた、眼ざめるばかりに妖艶な、二十歳ばかりの女であって、主殿頭の無二の寵妾、それはお篠の方であった。唇が蜂蜜でも塗ったように、ねばっこく艶々と濡れ光っている。紅で染めた紅い唇であって、淫蕩《いんとう》の異常さを示していた。
「さあ参ろうではございませぬか、妾と同じ顔をした、お品様がお待ちかねでございます」
 お篠の方はこう云ったが、その声には惨忍な響きがあった。



[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送