国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(16) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(16)

        二

 京橋の中ほどまで来た時である、彼女はすっかり疲労《つか》れてしまった。こんなに歩いたことがないからである。彼女はだるそうに足を止めた。
 と、彼女の左側に、一挺の駕籠が下ろされた。そこで彼女は振り返って見た。侍が手を上げて駕籠を指している。で、彼女は安心して、駕籠の中へ身を入れた。
 こうしてお島を乗せた駕籠が、三月の月に照らされながら、品川の方へ揺れて行く後から、袴なしの羽織姿の、その立派な侍が、大して屈托もなさそうに、しかし前後に眼を配って、油断を見せずに従いて行った。
 芝まで行った時であった、そこの横町から一人の旅僧が、突然現われて駕籠へ寄ろうとした。
「これ!」と侍が声をかけた。
 旅僧はギョッとした様子であったが、何も云わずに後へ下がった。その間に駕籠と侍とは、先へズンズン進んで行った。
 と、また横町から無頼漢のような、一人の男が飛び出して来た。
「これ!」
 とたった[#「たった」に傍点]それだけであった。駕籠と侍とは先へ進んだ。しかしまたもや横町があって、そこの入り口へまで差しかかった時、一人の武士と売卜者《うらないしゃ》とが、駕籠の行く手を遮《さえぎ》るようにして、その入り口から走り出た。
「これ!」と侍は声をかけた。「駕籠へさわるな! 俺を知らぬか! ……思うに恐らく今度の事件には『館林様』はご関係あるまい! やり方があまりに惨忍に過ぎる!」
 武士と売卜者とは黙っていた。その間に駕籠と侍とは進んだ。その駕籠と侍との遠退くのを、四人の者は一つに塊《かた》まり、残念そうに見送ったが、
「どうも十二神《オチフルイ》に出られたのではね」売卜者風の神道徳次郎が云って、テレ切ったように額を撫でた。
「それにちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]と見抜いておる」こう云ったのは武士姿の、紫紐丹左衛門であった。「館林様がご関係ないとね」
「せっかく浅草から狙って来たんだが」鼠小僧の外伝が――旅僧の姿をした男が云った。「ねっからこれでは始まらない」
「諦めるより仕方がないよ」こう云ったのは無頼漢《ならずもの》風の、稲葉小僧新助であった。「相手が十二神《オチフルイ》とあるからには、六人かかったって歯が立たねえ。まして今は四人だからな」

 この間もお島を乗せた駕籠と、与力十二神《オチフルイ》貝十郎とは、品川の方へ進んで行った。品川の一角、高輪の台、海を見下ろした高台に、宏大な屋敷が立っていて、大門の左右に高張り提灯が、二棹《さお》威光を示していた。
 その前まで来ると駕籠が止まり、お島が駕籠から下ろされた。
「こっちへ」
 と貝十郎は声をかけたが、潜《くぐ》りの戸を軽く打ち、開くのを待って内へはいった。で、お島も内へはいった。大門から玄関へ行くまでの距離も、かなりあるように思われた。
 宏大な屋敷の証拠である。
 訪《おとな》うと小侍が現われた。
「拙者十二神《オチフルイ》貝十郎でござる」
 すると小侍はすぐに云った。
「は、お待ちかねでございます。どうぞずっと奥の部屋へ」
 そこで貝十郎はお島を従え、玄関を上がって奥へ通った。長い廊下や鈎手の廊下や、いくつかの座敷が二人を迎え、そうして二人を奥へ送った。
 広い裏庭が展開《ひら》けていて、木立や築山や泉水などがあり、泉水の水が木洩れの月光に、チロチロ一所光っていた。その裏庭の奥まったところに、別棟の一軒の建物があって、長い廊下でつながれていた。
「こっちへ」と貝十郎はまたも云って、お島の先に立って進んで行った。



[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送