国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(32) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(32)

        三

「何を?」と貝十郎は不愉快そうに訊いた。
「私と三保子様との恋三昧をでさあ」
「…………」
「旦那、邪魔をしちゃアいけませんぜ」
「貴様は誰だ!」
「鏡太郎って者だ!」
(ふうん、こいつが鏡太郎なのか)改めて貝十郎は鏡太郎を見た。
 ベロッとした顔、ベロッとした姿、――そういう形容詞が許されるなら、鏡太郎はそういう顔と姿の、持ち主と云わなければならなかった。つまり甞めたような人間なのであった。甞めたように額がテカテカしており、甞めたように頤がテカテカしていた。衣裳などでもテカテカ光っていた。都会の軟派の不良青年――と云ったような仁態であった。しかし太々しい根性は、部厚の頬や三白眼の眼に争い難く現われていた。
(ははあこいつ色悪だな)と貝十郎はすぐに思った。(こいつに比べると隼二郎の方が、まだしも感じがいいと云える。――どっちがいったい悪党なんだろう? ちょっと見当がつかなくなった。江戸にいると俺は見透しなんだが、田舎へ来るとそういかなくなる。田舎は性に合わないと見えるぞ)
「旦那」と鏡太郎が嘲笑うように云った。「ただのお武家さんじゃアなさそうですね。それにお前さんあの女に、特別の興味を持ったようですね。が、ハッキリ云って置く、手を引いた方がようござんしょうと。……鷺ノ森へ来たお前さんだ、征矢野の家のお客なんだろうが、あの女へチョッカイは出さない方がいい」
「うるさい下司《げす》だな、何を云うか!」
「何を、箆棒《べらぼう》、怖いものか」
「行け!」
「勝手だ」
「白痴者《たわけもの》め」
 云いすてて貝十郎は先へ進んだ。
(まるで俺の方が脅されたようなものだ)苦笑せざるを得なかった。(幸先必ずしもよくないぞ)
 その時彼の背後《うしろ》の方から梟《ふくろう》の啼き声が聞こえて来た。つづいて雉《きじ》の啼き声がした。呼び合い答え合っているようである。
(これはおかしい)と思いながら、貝十郎は振り返って見た。灌木の傍らに男女がいた。一人は例の鏡太郎であり、もう一人は見知らない女であって、髷の一所《ひとところ》が夕日を受けて、白く光っているのが見えた。

 征矢野家の客間は賑わっていた。大勢の客がいるのである。その中に貝十郎もいた。
「これはようこそおいでくださいました。ずっとお通りくださいますよう。主人も喜ぶでございましょう。皆様お集まりでございます」
 宏大な征矢野家の表門まで、貝十郎が行きつくや否や、袴羽織の家人が出て来て、こう云って貝十郎を案内しようとした。
「いや、拙者は、何も当家に。……単にこの辺へ参ったもので……」
 当惑して貝十郎はこう云ったが、家人は耳にも入れなかった。待っていた客を迎えるようにして、貝十郎を客間へ通した。
 その客間には貝十郎よりも先に、大勢の客が集まっていたし、貝十郎の後から、幾人かの客が、招じられてはいって来た。
 征矢野家の客間は賑わっていた。
(これまでのところ俺の負けだ)貝十郎はキョトンとした心で、むしろ憂欝と不安とを抱いて、柱へ背をもたせ座布団を敷き、出された酒肴へ手をつけようともせず、彼の左右で雑談している、人々の話をぼんやりと聞き、その合間にそんなことを思った。(これまでのところ俺の負けだ。何から何まで意表に出られる)
「ともかくも先代は人物でしたよ」
 修験者らしい老人が、盃を口から離しながら、隣席《となり》の商人らしい男に云った。「衰微していた征矢野家を、一時に隆盛にしたのですからな。修験道から云う時は『狐狗狸変様蒐珍宝』――と云うことになりますので」
「さようで」と商人はすぐに応じた。「商法の道から申しますと、十ぱい[#「ぱい」に傍点]買った米の相場が、一夜で十倍に飛び上がったようなもので」
 するとその隣りに坐りながら、いいかげんに酔っているところから、相手があったら言葉尻でも取って、食ってかかろうと構えている、博徒《あそびにん》らしい若者がいたが、
「一時に金持ちになるような奴に、善人なんかありませんや。その証拠にはここの先代だって、あんな死に態《ざま》をしてしまった。罪ほろぼしというところで、毎年命日がやって来ると、当代の主人がこんなように諸人接待のご馳走をするが、それだけ引け目があるって訳さね」



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