国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(33) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(33)

        四

(そうか)と貝十郎は胸に落ちた。(諸人接待の饗応だったのか。それで俺のような人間をも、有無を云わせず連れ込んだのか。……それはそれとしてこの家の先代には、何か犯罪があるらしいな)
 で、貝十郎は聞き耳を立てて、客人達の話を聞いた。
「一人の老人の旅の者が、何んでもこの家へ泊まったのだそうです」貝十郎のすぐ側《そば》に坐って、肴《さかな》をせせっていた村医者らしい、七十近い老人が、声をひそめて他聞を憚るらしく、自分の前に坐っている、これも六十を過ごしたらしい、寺子屋の師匠とでも云いたげの、品のある老人へ囁いた。「ところがそれっきり旅の者は、この家から姿を隠したそうで。つまりこの家から出ても行かず、またこの家におりもせず、消えてなくなったのだということで」
「さよう私もそんな話を、たしか若い頃に聞きましたっけ。その時以来この征矢野家は、隆盛に向かったということですな」寺子屋の師匠は相槌を打った。「ところがその後ずっと後になって、ごろつき[#「ごろつき」に傍点]のような人間が、この征矢野家へやって来て、先代を強請《ゆす》ったということですな」
「さようさようそうだそうです。親父《おやじ》を生かして返してくれ、それが出来なかったら財産を渡せ――こう云って強請《ゆす》ったということで」
「ところがその男もいつの間にか、姿が失《な》くなってしまったそうで」
「そこで私はこう思いますので」村医者らしい老人は云った。
「ここの屋敷を掘り返したら、浮ばれない無縁の二つの仏が、白骨となって現われようとね」
「まさにね」と寺子屋の師匠が云った。「と思うとここにあるご馳走なども、血生臭くて食えませんよ」
「先代が裏庭の松の木の枝で、首を縊って死んでいたのを、私は検屍をしたのでしたが、厭な気持ちがいたしましたよ」
「私は現在ここの娘の、お三保さんに読書《よみかき》を教えているのですが、どうも性質が陰気でしてな」
(なるほど)と貝十郎はまた思った。(そういう事件があったのか。ここの先代は悪人なのかもしれない)
(しかし)と貝十郎はすぐに思った。(田舎の旧家というような物には、荒唐無稽で出鱈目な事が、伝説のような形を取って、云いつたえられているものだから、そのまま信用することは出来ない)
 ――それにしても主人の隼二郎も、娘のお三保と接待の席へ、何故姿を見せないのだろう? このことが貝十郎を不思議がらせた。
 袴羽織の召使いや、晴衣をまとった侍女などが、出たりはいったりして酒や馳走を、次から次と持ち運び、酌をしたり世辞を振り蒔いたりしたが、隼二郎とお三保とは出て来なかった。燭台が諸所に置かれてあり、それの光が襖や屏風の、名画や名筆を華やかに照らし、この家の豪奢ぶりを示していた。
 客の種類は雑多であった。村の者もいれば隣村の者もおり、通りがかりの旅人もいれば、接待の噂を聞き込んで、馳走にあずかりに来たものもあった。僧侶の隣りに浪人者がいたり、樵夫《きこり》の横に馬子がいたりした。
「お武家様おすごしなさりませ。妾《わたくし》、お酌いたしましょう」不意に横から云うものがあった。
「うむ」と貝十郎はそっちを見た。
 いつの間にそこへ来ていたものか、山深い木曽の土地などでは、とうてい見ることの出来ないような、洗い上げた婀娜《あだ》な二十五、六の女が、銚子を持って坐っていた。三白眼だけは傷であったが、富士額の細面、それでいて頬肉の豊かの顔、唇など艶があってとけそうである。坐っている腰から股のあたりへかけて、ねばっこい蜒《うね》りが蜒っていて、それだけでも男を恍惚《うっとり》させた。
「これは……」と貝十郎は思わず云ったが、釣り込まれて盃を前へ出した。
「はい」と女は上手に注いだ。
 キュッと飲んで置こうとするところを、
「お見事。……どうぞ、お重ねなすって」
 云い云い女は片頬で笑い、上眼を使って流すように見た。
「では……」「はい」
「これはどうも」「駈け付け三杯、もうお一つ」「さようか」「さあさあ」「こぼれましたぞ」
「これは失礼。……ではその分を……」「え?」



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