国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(37) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(37)

        八

 しかし貝十郎は部屋の中へはいって、隼二郎を探そうとはしなかった。この時またも庭の方から、女と男の叫び声が、逼迫して聞こえて来たからであった。で、貝十郎は飛び出して行った。月光の中でお豊と猪之助とが――諸人接待の馳走の席で、憎々しい反抗的態度と言葉とで、征矢野家の先代の悪口を、憚らず云っていたごろつき[#「ごろつき」に傍点]のような男――その猪之助とが格闘していた。と、前方から一つの人影が、二人目がけて走って来た。
「鏡ちゃん! いいところへ! 早く来ておくれ!」
「姉さん! あぶない! ……おのれ猪之助!」
「何を、こいつら! 邪魔をするな!」
 二人の格闘が三人となった。貝十郎は走って行こうとした。悪酔いがいまだに醒めなかった。足が云うことを聞かなかった。
「わッ」「斬ったな!」「態《ざま》ア見やアがれーッ」「あれーッ! 皆さん! 来てくださいヨ――!」
 一人が地上へぶっ倒れた。と、つづいてもう一人倒れた。そこから一人が走り出して来た。
「待て!」と貝十郎は身を挺して、走って来た猪之助を遮《さえぎ》ろうとした。体が云うことをきかなかった。
「邪魔だ! こいつも!」
 ドッとぶつかっ[#「ぶつかっ」に傍点]た。よろめいた貝十郎の横をすり抜け、土蔵づくりの建物の中へ、猪之助は一散に走り込もうとした。と、赤い一点の火が、花の蕾のような形を取って、建物の入り口から現われた。扉がその背後《うしろ》で閉ざされている。
「ね、叔父様はお仕事中よ、ですからはいっちゃアいけませんの」
 焔の立っている蝋燭を持ち、その光に顔を輝かせ、佇んでいる娘がそういうように云った。それは他ならぬお三保であった。隣りの部屋に眠っていたところ、庭での騒ぎが起こったので、驚いて様子を見に来たものらしい。処女らしい美しさが驚きのために、純粋性を増して見えた。唇がポッとひらいている。眼が大きくひらいている。
「ああ、あなた猪之助さんね。……どうなさいました、匕首など持って。……」
「…………」
 静が動を制したらしい。猪之助は呆然として突っ立っていた。

 地下室は決して暗くはなかった。
 明るい燈火《ともしび》に照らされて、その地下室の上にある部屋――隼二郎の部屋の舶来の、いろいろの外科の道具よりも、もっといろいろの外科の道具が、卓や棚に備えつけられてあった。そうしてその地下室の一所に、立派な柩が二つ置かれてあり、その中に二つの骸骨が研究材料のように置かれてあった。
 そうしてその側の机によって、庭に騒ぎなどあろうとも知らず、隼二郎が手紙を読んでいた。それは古びた手紙であって、諸人接待の日が来るごとに、読むことに決めている手紙であった。
「弟よ、私は自殺をする。私は家を興そうとして、物質ばかりに齷齪《あくせく》した。そうしてそのため二人の人をさえ殺した。一人は大金を持っていたからだ。一人は私の犯罪を知って、恐喝をしに来たからだ。自責のために私は死ぬ。私が縊死をした松の木の下を、試みに掘って見るがよい。二つの骸骨が出るであろう。私の殺した二人の人の骨だ。……お蔭で私は財を貯えた。お前に善用して貰いたい。私と違って学究のお前だ。その方面で尽くしてくれ。娘を頼む、三保を頼む」

 後日貝十郎は人に語った。「征矢野周圃といえば木曽の蘭医で、骨格の研究では最も早く、よい文献を出している人で、その方面では有名なのだそうです。隼二郎がつまり周圃なのです。例の二つの骸骨で、実地研究をしたのだそうです。お豊という女は悪人ではなく、周圃が江戸にいた頃から、周圃を愛していた女なので、周圃が木曽へはいってからは、家政婦として入り込んで来て、周圃の研究を助けながら、周圃と夫婦になろうとしたのです。ところが周圃は真面目なので、姪のお三保に婿を取るまでは、夫婦にならないと云っていたのです。そこでお豊は弟を呼び寄せ――鏡太郎というのはお豊の弟で、これも大した悪人ではなく、軟派の不良の少年だったのですが、弟とは云わずに附近に住ませ、お三保とくっつけ[#「くっつけ」に傍点]ようとしたのです。お三保が誘惑に応じないので、誘拐しようとまでしたのです。だが可哀そうに鏡太郎もお豊も、猪之助に切られたのが基となって、間もなく死んでしまいました。猪之助ですか、ありゃア解りません。二つの骸骨の縁辺《みより》なのか、秘密を知っていて強請《ゆす》りに来たものか、その辺ハッキリ解りません。素ばしっこく逃げてしまいましてね、その後行方《ゆくえ》が解らないのです。……どっちみち私は田舎は嫌いだ。田舎へ行くと目違いをします。……征矢野家の先代の罪悪を、あばけば発くことは出来るのですが、そんな必要はありませんでした。隼二郎氏が真面目にやっているのですから、浄罪的な立派な仕事ですよ」



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