国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(39) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(39)

        二

 足芸をする若い女太夫、一人で八人分の芸を使う、中年増の女太夫、曲独楽《きょくごま》を廻す松井源水の弟子、――などというような芸人を、一緒に集めて打っている小屋で、都会ではとうてい見ることの出来ない、大変もないイカモノ揃いなのだが、そこは田舎のことなので、毎夜繁昌していたものさ。
 潮湯治というのは海水を浴びて、病気を癒すというのが一つ、水泳自慢に泳ぐことによって夏の暑さを忘れるというのが一つ、……遊山半分の贅沢な人の、贅沢な療治そのものなのだから、夜などは無聊に苦しんでいる。そこでそんなような見世物が掛かって、繁昌をする次第なのさ。
 木戸番の老爺《おやじ》が番台の上に坐って、まねき[#「まねき」に傍点]の口上を述べていた。
「八人芸の真っ最中で、見事なものでございますよ。足で胡弓を弾くかと思うと、口で太鼓の撥《ばち》をくわえ、太鼓を打つのでございますからな。その間に片手で三味線を弾き、片手で鉦《かね》を打つんでさあ。その太夫が年増でこそあれ、滅法美しい仇《あだ》者なのですからなあ。……団十郎の声色であろうと、菊五郎左団次の声色であろうと、声色であったらどんな声色でも、一度耳にしたら使って見せる――と云う器用な太夫さんでもあるので。……八人芸の真っ最中、さあさあはいってごらんなされ。……」
 しかし老爺はすぐ黙ってしまった。その時一人の年増女が、小屋の口から現われて、
「とんちき[#「とんちき」に傍点]、何んだよ、おかしくもない、八人芸は済んだじゃアないか、今は独楽《こま》の曲廻しだよ」
 こう伝法に云ったからさ、その女が八人芸の女太夫の、蔦吉という女なのさ。
「おい、蔦吉」
 と呼びかけてやった。
「ちょっと来てくれ、訊きたい事がある」
「おや、十二神《オチフルイ》の殿様でしたか」
 我輩は蔦吉を物の蔭へ呼んだ。
「どうだ、大概は大丈夫か」
「はい、大丈夫でございます」
「八人芸のお前なんだからな」
「とんだものがお役に立ちまして。……」
「相手は六人だから訳はあるまい」
「癖を取るのは訳はないんですが、六人が一緒に集まって、話しているところへぶつかる[#「ぶつかる」に傍点]のが大骨折りでございました」
「一緒に住んでいないのだからな」
「みよし屋の寮だけがまあまあ[#「まあまあ」に傍点]で」
「だから俺が教えたのさ。三人住んでいるのだからな」
「娘ッ子が難物でございましたよ」
「そうだったろう、大いに察しる」
「いつご用に立てますので?」
「大体明日の晩だろう」
「さようでございますか、よろしゅうございます」
 こんなことで我輩は蔦吉と別れた。
 我輩は好奇《ものずき》の人間なので、こういう蔦吉といったような、やくざ[#「やくざ」に傍点]な芸人には知己《しりあい》があり、手なずけることも出来たのさ。
 それから我輩は浜の方へ行った。海は波が高かった。桟橋などもきしん[#「きしん」に傍点]でいた。で浜には幾艘かの小舟が、引き上げられて置かれてあった。月があったので明るかったが、それだけに波と波とがぶつかり[#「ぶつかり」に傍点]、白泡立つのが物凄く見えた。
 我輩は北の方へ渚《なぎさ》づたいに歩いた。
 渚は湾をなしていて、その行き止まりが岩の岬で、それを廻ると潮湯治場外になり、潮湯治場外の海はわけても荒く、そこで泳ぐ者はめったになかった。我輩はそっちへ歩いて行った。岬を越して向こう側へ下り、しばらく様子を窺った。
 と、松の林の中から、云い争う声が聞こえて来、やがて一人の若い女が、逃げるようにして走り出して来た。
 と、五人の男の姿が、松林の外側へ現われ出た。
「困った奴だなあ、止せばいいのに」
「あんな姿であんなことをして、人に見られたらどうするのだ」
「病気のように好きなんだからなあ、潮湯治っていうやつ[#「やつ」に傍点]をよ。どうにもこうにもやり[#「やり」に傍点]切れない」
「それも毎晩やるんだからなあ」
 五人の男達は話し合っていた。
 松林の中から燈が見えていた。貸し別荘のみよし屋の寮が、その松林の中にあって、そこでともして[#「ともして」に傍点]いる灯火なのさ。
 我輩は娘の様子を見ていた。と、どうだろう女だてらに、渚《なぎさ》まで行くと着物を脱ぎ、全裸体《すっぱだか》になって海へ飛び込み、抜き手を切って泳ぎ出したじゃアないか。
 それも素晴らしい泳ぎぶりなのだ。
 今も云ったとおりこの辺の海は、潮湯治場の外なので、波が荒くて危険なのだ。ところどころに岩さえあって、うっかりすると岩の角へ、叩き付けられることさえある。それだのに娘は恐れ気もなく、島田の髷を濡らさないように、乳から上を波から出し、グングン沖の方へ泳いで行くのだ。
 月がそいつを照らしている。白い肩、白い頸《うなじ》、白い腕、白い脛、時々ムックリと持ち上がって見える。月がそいつを照らすのだ。
 だが間もなく見えなくなった。遙かの沖へ泳いで行ったからさ。五人の男も見えなくなった。みよし屋の寮へ帰って行ったのだ。我輩はしかし帰らなかった。もう少し見てやろうと思ったからだ。
 四半刻ぐらいも経っただろうか、人魚の姿が見えて来た。渚を目がけて例の娘が、沖から泳いで帰って来たのだ。潮から上がって渚《なぎさ》に立って、手拭いで体を拭き出した時、さすがの我輩も変な気持ちがしたよ。
 な、女は全裸体《すっぱだか》なのだ。月がそいつを照らしているのだ。グーッと手拭いで体を拭く。そんな時女は羞《はず》かし気もなく、片足を上へ持ち上げるのだ。とうとう我輩は呟いてしまった。
「この様子をあの男へ見せてやらなければならない」と。
 衣裳をまとうとみよし[#「みよし」に傍点]屋の方へ、娘は走って行ってしまった。

「十二神《オチフルイ》、お前何んに来たのだ」
 翌日の晩のことだったよ、館林様がこんなように云って、我輩の席へやって来られた。
「丸田屋と深い縁故でもあるのか」
「さようで」と我輩は云ってやった。「丸田屋とは趣味の友でございます」
 事実それに相違ないのだ。我輩は役目こそ与力であれ、いわば身勝手自由勤めの身分で、肝心の役より蔵前の札差しなどと、吉原へ行って花魁《おいらん》を買ったり、蜀山人や宿屋飯盛などと、戯作や詩文の話をしたりして、暮らす日の方が多いのだ。ところで丸田屋は俳人なので、かなり以前から懇意にしていて、我輩が名古屋へ来るごとに、立ち寄っては話し合っていた。で今年もやって来たのさ。そうして大野の潮湯治場の、丸田屋の夏別荘へも一再ならず、客としてこれまでも来たことがある。で、今年もやって来たのさ。
「私などよりも館林様こそ、どうして丸田屋の夏別荘などへ、おこしなされたのでございますか!」我輩はこう云って逆襲してやった。
「俺は部屋住みで自由の身分だ。それに天下に知己《しりあい》がある。どこの何者を訪ねようと、少しも不思議はないではないか」
「これは御意《ぎょい》にございます」我輩は心から頷《うなず》いて云った。
 と云うのはこの人は将軍家の遠縁、元の老中の筆頭の、松平右近将監武元卿の庶子で、英俊で豪邁な人物で、隠れた社会政策家で、博徒や無頼漢や盗賊の群をさえ、手下にして使用するかと思うと、御三家や御三卿のご連枝方と、膝組みで話をすることだって出来る――そういう人物であるのだからな。
「これは御意にございます」――で、そう云ったというものさ。
「十二神《オチフルイ》!」
 と、すると館林様は、不意に鋭い口調をもって、こう我輩を呼びかけたものだ。
「この席にいる客人を、お前、何んとか思わないかな?」
「はい、いいえ、別に何んとも。……」
 云い云い我輩は座を見廻した。善美を尽くした丸田屋の、夏別荘の大広間には、二十人あまりの客があって、出された酒肴を前にして、湧くような快談に耽っていたが、その客人はいずれも男で、女は雑っていなかった。
(はい、いいえ、別に何んとも。……)事実我輩はこういうように答えた。がしかしこれは嘘なのだ。何んとも思わないどころではない、いずれもとんでもない客ばかりなのだからな。身分と姓名とを挙げて見よう。
 生駒家の浪人永井忠則(今は大須の講釈師)、最上家の浪人富田資高(今は熱田の寺子屋の師匠)、丹羽家の旧家臣久松氏音(今は片端のにわか神官)、那須家の浪人加藤近栄(今は鷹匠町の町道場の主)、土方家の浪人品川長康(今は虚無僧として一所不住)、大久保家の旧家臣高橋成信(今は七ツ寺の大道売卜者)、青山家の浪人西郷忠英(今は寺町通りの往生寺の寄人)、桑山家の浪人夏目主水(今は大道のチョンガレ坊主)、久世家の旧家臣鳥井克己(今は大須の香具師《やし》の取り締まり)、石川家の浪人佐野重治(今は瑞穂町の祭文かたり)、小笠原家の旧家臣喜多見正純(今は博徒の用心棒)、植村家の浪人徳永隣之介(今は魚ノ棚の料理人)、堀家の旧家臣稲葉甚五郎(今は八事の隠亡の頭《かしら》)、小堀家の浪人笹山元次(今は瀬戸の陶器絵師)、屋代家の旧家臣山口利久(今は常滑《とこなめ》の瓦焼き)、里見家の旧家臣里見一刀(今は桑名の網元の水夫《かこ》)、吉田家の浪人仙石定邦(今は車町の私娼《じごく》宿の主人《あるじ》)



[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送