国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(40) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(40)

        三

 ざっとこういう輩《やから》なのだ。取り潰された大名達の遺臣、つまり浪人ばかりなのだ。
(昨夜は名古屋の富豪連を招いて、その席で館林様は話をされた。訓諭と懇願とを雑えたような話を。しかるに今夜は浪人連を招いて、慰撫と激励の話をされた。仲介役が丸田屋の主人だ。……警戒しないでいられるものか)我輩は心からそう思ったよ。
「十二神《オチフルイ》!」と館林様がまた言われた。「お前浪人をどう思うな?」
「は、どう思うとおっしゃいますと?」
「社会的に見てどう思うか?」
「…………」
「浪人とは失業知識階級の謂《いい》だ。……社会の中間に浮動している群だ」
「…………」
「一番危険な連中だ」
「…………」
「時代の宗教、時代の道徳、幕府の強圧や迫害に屈せず、食って行けないという事実の下に、浪人という浪人の、あるいは潜行的にあるいは激発的に、押し進んで行く目標といえば、政治的革命という一点なのだ。由井正雪の謀反事件も、天草島原の一揆事件も、その指導者は浪人群だった。別木、林戸の騒擾事件から、農村に起こった百姓一揆の、指導者もおおかた浪人者なのだ。そういう危険の浪人者が、今非常に多くなっている。将来益※[#二の字点、1-2-22]多くなるだろう。何故というに大名取り潰し政策を、幕府が固執しているからだ。徳川が天下を取って以来、二百年近くになっているが除封減禄された大名の数、三百をもって数えることが出来る。石高にして二千万石、一万石の大名から、二百人の浪人は出る。と、これまでに四十万人の、浪人が出ていることになる。さてこれらの浪人に対して、幕府はどういう処置をとっているか?『他所ヨリ牢人者(浪人者の事)参リ所有度由申候ハバ吟味ノ上、御断申可シ』――追っ払ってしまえと達《たっし》を出している。『近年村々ヘ浪人体ノモノ参、合力ヲ乞、ネだりヶ間敷儀申モノ数多有之候間、右体ノモノ召捕候ハバ、直ニ訴可』――合力もするな、捕えて突き出せ、こう残酷に命じているのだ。こう残酷にあつかわれては、浪人といえどもたまらない。とはいえどうしても生きて行かなければならない。そこでとうとう対抗上『近来浪人体ノ者所々ヘ大勢罷越《まかりこし》、村方ノ手ニ難及《およびがたく》、会難儀候段相聞候』というように、多勢が一緒にかたまって、押し借りをするようになってしまい、『近年諸国在々浪人体ノモノ多ク徘徊イタシ、頭分、師匠分抔ト唱、廻場、留場ト号シ、銘々、私ニ持場ヲ定、百姓家ヘ参リ合力ヲ乞』というように、合力を乞う持ち場をさえ、定めるようになってしまい、甚しいのに至っては『近来浪人共、槍鉄砲等ヲ大勢シテ持歩、在々所々ニ於テ及狼藉』――と云うようになってしまった。……槍鉄砲を持ち歩くに至っては、内乱の萠《きざし》と云ってもよい。が、それはそれほどまでに、失業知識階級の――浪人者の心境が、荒《すさ》んで来ているという証拠であり、それほどまでに浪人者の、生活が苦しくなって来た。――と云うことの証拠でもある。……ではそういう浪人者の群を、少なくとも安全に生活させてやる、そういう政策を立つべきではないか。どうだな十二神《オチフルイ》、そうは思わぬかな?」
 云われて我輩は一言もなかった。それに相違ないのであるから。我輩は閉口して黙ってしまった。
「十二神《オチフルイ》!」と館林様は叱るように云われた。「お前、このわし[#「わし」に傍点]を尾行《つ》けて来たのだろう。江戸から尾張へ! つけて[#「つけて」に傍点]来たのだろう」
「…………」
「邪魔をするな、このわし[#「わし」に傍点]の仕事を!」
「…………」
「お前も掻《か》い撫《な》での与力ではなく、物の解った人間の筈だ。邪魔をするな、わし[#「わし」に傍点]の仕事を!」

 よい時刻だと思ったので、館林様に挨拶をして、酒宴の席を脱け出して、我輩は庭の方へ忍んで行った。と、木蔭に人影が見えた。我輩は故意《わざ》と咳をしてやった。と、一つの人影が、周章《あわ》てて向こうへ逃げて行った。後に残ったもう一つの影が、家の中へ走って行こうとするのへ、「珠太郎殿」と声をかけて、我輩はそっちへ寄って行った。
「お小夜殿と相談がまとまりましたかな」
 珠太郎は黙ってうな[#「うな」に傍点]垂れてしまった。
「浜の方へでも行って見ましょう」
 で、我輩は先に立って歩いた。
 もう話してやってもいいだろう――こう我輩は思ったので、それから思い切ってぶちまけ[#「ぶちまけ」に傍点]てやった。
「そうです私がこの土地へ来た、最初の日のことでありましたよ、あなたのとこの夏別荘へ、まだお訪ねをしない前でした。潮湯治の様子を見ようと思って、浜へ行って茶店へ立ち寄ったものです。すると一人の美しい娘が、潮湯治客の金や持ち物を、巧みに抜き取るじゃアありませんか。ひどい娘だと睨んでおりますとね、一人の若者がその娘を、見初めてしまったじゃアありませんか。これは困ったと思いましたよ。と云うのは不幸なその若者を、元から私が知っていたからです。……他でもありませんあなたなのです。そうして娘はお小夜なのです」
 珠太郎がにわかに興奮して、恐ろしい勢いで食ってかかるのを、我輩は笑いながら黙殺してやった。
(もうこれ以上云うことはない。これからはただ見せるまでだ)つまりこんなように思ったからだ。
 浜へ出ると風が吹きつけて来た。わけても強い風であって、波頭が次々に無数に砕けて、見渡す限り月の海上は、白衣の亡者が踊っているようであった。
 我々は北の方へ歩いて行った。そうして岩の岬を越えた。珠太郎は恐ろしく不機嫌でもあれば、どうしてこんな変な方角へ、連れて来られたのか不可解だと、そう思っているようなところがあった。が、我輩には考えがあるので、説明してもやらなかった。
 海の方へ少し突き出して、その裾が窪んで穴をなしている、そういう岩があったので、その穴の入り口へ腰を下ろし、我々はしばらく休むことにした。と云っても我輩から云う時は、ここで休むということが、予定の行動になっていたのだが。……
 真夏ではあったが夜は涼しく、それに馨《かぐ》わしい磯の香はするし、この辺に多く住んでいる鵜が、なまめかしく啼いたり羽搏きをしたりして、何んとも云えない風情であった。
 が、我輩は待っていた。早く彼女が来ればよいと。すると松林の方角から、砂を踏む音を幽《かす》かに立てて、こっちへ走って来る足音がした。足音は岩の辺で止まったが、またすぐに聞こえて来た。どうやら岩の上へ上るらしい。ややあって衣摺《きぬず》れの音がした。
「珠太郎殿、海の方をご覧」
 放心したように考え込んでいる、珠太郎へ我輩は小声で云った。
「素晴らしいものが見られますよ」
 不承不承に珠太郎は、海の方へ眼をやった。もちろん我輩も海の方を見た。と、その二人の視界の中へ、真っ白の物が躍り込んで来た。我々の頭上の岩の頂から、素裸体《すっぱだか》のお小夜が海へ向かって飛び込みをやった形なのさ。
 水音! 飛沫《しぶき》! 水底へ消えた彼女! が、すぐに浮き出して、泳いで行く島田髷と肩と腕!
「あッ、お小夜だ! お小夜だお小夜だ!」
「さよう、お小夜です。大変なお小夜です。……帰って来るまで見ていましょう」
 かなりの時間が経った時、彼女、お小夜は帰って来た。ヌックリと海から陸へ上がり、ノシノシと岩へ上がって行こうとした。
「オイ勘介! 女勘介!」
 隠れ場所から身を現わしながら、こう我輩は声をかけてやった。
「ここにお前の情夫がいるんだ。何んて馬鹿な真似をやらかすんだ。……素裸体《すっぱだか》とは呆れたなあ。……珠太郎殿、お解りですか、あいつは女ではありませんよ。……オイ――勘介、女勘介、他の連中にも云ってやれ、まごまごみよし屋の寮なんかにいるなと! ……」

 同じ夜我輩は館林様を連れ出し、月夜を賞しながら彷徨《さまよ》った。
「誰かが先駆者にならなければいけない」
 館林様は我輩に説いた。
「貝を吹き旗差し物をかざし、進む者がなければいけないのだ。でなければいつまでも悪い浮世は悪い浮世のままで居縮《いすく》んでしまう」
「そこであなた様が先駆者となって、事を起こそうとなさいますので?」
「うん」と館林様は仰せられた。「まずそう云ってもいいだろう」



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