国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(41) (オチフルイかいじゅうろうてがらばなし)

国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」(41)

        四

「結構なことではございますが。……」我輩は故意《わざ》と皮肉に云った。「先に立って進むはよろしゅうございますが、さて背後《うしろ》を振り返って見て、従《つ》いて来る者のないのを見た時、寂しさ一層でございましょう」
「馬鹿な」と館林様は一笑した。「裏切られたらと云うのだろうが、わし[#「わし」に傍点]の部下にはそんな者はいない。裏切り者など一人もいない」
 振り返って見ると灯火の光が、まだ丸田屋の夏別荘の、大広間から射していた。浪人達は飲んでいるのである。一晩飲み明かすに相違ない。
 私達は丘を下りた。それから街道を左へ曲がり、さらに左へ空地を横切った。月見草の花が咲いていて、早生まれの松虫が鳴いていた。少し行くと松林であり、松林の中に家があった。みよし屋の賃貸しの寮なのである。寮には灯火《ともしび》が点いていなかった。が、人声は聞こえていた。
「館林様なんかいいかげんなものさ」不意に声高に云う者があった。「甘いお方さ、大甘者さ!」
 館林様は足を止めた。すぐに我輩は館林様へ云った。
「あなた様のお噂をしております。つまらない手合でございましょう、お気にかけてはいけません。さあさあ先へ参りましょう」
 しかし館林様は動かなかった。と、別の声が聞こえて来た。
「要するにあのお方は人形なのさ。看板と云ってもいいかもしれない。俺らを使っているなどと、あのお方は思っていられるようだが、その実あのお方こそ俺達六人に、あやつられ[#「あやつられ」に傍点]ておいでなさるんだからなあ」
「そうとも」と別の声がした。「あのお方が俺達を贔屓《ひいき》にしている、――と云うことが知れているので、俺ら相当悪事をしても、お官《かみ》では目こぼし手加減をしてくれる」
「そうだそうだ」と別の声がした。「要するにあのお方は丸袴《がんこ》の子弟さ。自惚《うぬぼれ》の強い貴公子なのさ。自分の力を自分で過信し、勝手に幻影を描いている方さ。……名古屋の富豪を呼びつけて金を出せと偉そうに仰せられたが、出す奴なんかありゃアしないよ」
「今夜集まって来た浪人者なんか、食いも慣らわないご馳走を食い、かつてなかった待遇を受け、いい気持ちに大言壮語して館林様を讃美しているが、明日になって自分の古巣へ帰ると、古巣の生活を後生大事に守り、館林様が事を挙げたって、一人だって従いて行きはしないよ」
「俺らにしてからがそうだろう、神道徳次郎、火柱夜叉丸、鼠小僧外伝、いなば[#「いなば」に傍点]小僧新助、女勘介、紫紐丹左衛門、こう六人揃っていたって、心からあのお方に従いて行こうと、そう思っている者はないのだからなあ。……女勘介、お前はどうだ? お前の方の仕事はどうなっている?」
「ああ俺らの例の仕事か、俺らあいつは止めてしまった。丸田屋が寝返りを打った場合、苦しめてやる手段として、一人息子の珠太郎を、誘拐して監禁してしまえという、館林様の吩咐《いいつ》けだったので、そのつもりで骨を折ったんだが、こういう仕事には飽き飽きしている俺だ。投げ出してしまったよ、止めてしまったよ」
 館林様の体が顫え、片手が刀の柄にかかった。で、我輩は急いで云った。
「浜の方へでも参りましょう、海など見ようではございませんか」
「うん」
 と館林様は云われたが、尚体は顫えていた。それでもとうとう歩き出した。浜にも海にも変わったことはなかった。ただ寂しいばかりだった。

 翌朝《あくるあさ》とも云わずその夜のうちに、館林様は大野を去られた。一人で、寂しく、飄然と、裏切られた先駆者の悩みを抱いて。

 翌日の晩みよし屋の本店で、蔦吉を招んで我輩は飲んだ。
「お前の八人芸、巧いものだな」
「お役に立って何よりでした」
「よく六人の無頼漢《ならずもの》どもの、声の特徴を真似したものだ」
「それでも妾《わたし》はハラハラしました。殿様から教えられた白《せりふ》といえば、あそこ[#「あそこ」に傍点]までしかなかったのですから。あれから先が入用《いる》ようなら、どうしたものかと思いましてね」
「あれはあれだけでよかったのだった」
「それにしても妾には不思議でならない。誰もいないあんなみよし屋の寮で、六人の声色を使うなんて」
「お前にあそこへ行って貰う前に、三人の男が住んでいたのだ。そうして他にもう三人の男が――そいつらは人目に立たないように、他の貸し別荘にバラバラになって、めいめい住んでいたのだが、時々あそこへ集まって、よくないことを企んでいたのさ。が、そいつらはお前が行く前に、あわてて引き上げて行ってしまった。引き上げさせたのは俺なのだがな」
「妾、芸当をやりながら、障子の隙から見ていました、大変品のあるお武家様が、あなた様と連れ立っておいでなさいましたのね」
「あのお方へお聞かせしたかったのさ、そのお前の芸当をな」

 これは後から聞いたことだが、富豪と浪人とを呼び寄せて、館林様が事を起こそうとした、――その事というのは謀反などではなく、穏かな政策に過ぎなかったそうだ。
 荻生徂徠が云っている。
「浪人は元来武士なれば町人百姓の業もならず、渡世すべき様なければ、果ては様々の悪事を仕出すものなり、これを生かす法は、その浪人仕官の頃百石取り以上なれば、たとい幾千石に至るとも、地方にて知行五十石ずつ下され、やはりその土地に差し置かれ郷士とすべき也、されば十万石の家潰れても、公儀へ八万石ほど奉りて余の二万石を件《くだん》の郷士の領とすべし。五十石を不足と思い、他所へ立ち去る人は心次第たるべし。ただ、諸士の流浪を不憫に思し召して如此《かくのごとく》なし給わば、莫大のご仁政なるべし」
 こう徂徠は云っている。しかし公儀では採用しなかった。そこでそれだけの金や米を、大富豪から出させることによって、浪人の生活を安穏にしてやろう――その実行を名古屋からやろう。と云うのが館林様の計画だったそうだ。
 そうとは我輩は知らなかったので、それにお町奉行の依田様から、館林様が名古屋へ行かれて、何やら大事をやられるらしい。尾張は御三家の筆頭で、公儀にとっては恐ろしいお家だ。そこで大事を起こされてはたまらぬ。と云って他領だから江戸町奉行としては、どうにも策の施しようがない。ついてはその方個人として出かけて館林様の行動を監視し、もし出来たら邪魔をするがよいと、こういう吩咐《いいつけ》を受けたので、ああいう行動をとったのだが、今ではかえって後悔している。そういう館林様の目的だったら、邪魔をするどころか賛成をして、あべこべにお助けしたものを。
 が、我輩としては館林様から、あの六人の無頼漢どもを、離間させたことだけはよかったと今でも心を安んじている。頭領とも云うべき館林様が、それだけの大事業をしておられるのに、潮湯治客の金や持ち物を、こそこそ盗むというような、小さい盗心を蔵している輩を、附けて置くのはよくないからな。
 館林様には六人男どもが、本当に自分を裏切ったものと思い、爾来彼らを近付けなかったそうだよ。



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