国枝史郎「赤格子九郎右衛門」(2) (あかごうしくろうえもん)

国枝史郎「赤格子九郎右衛門」(2)

     二

 その翌日のことであるが、利休は秀吉に謁を乞うた。二度の不思議を物語ってから、斯う云って彼は付け加えた。
「最初は狐狸かとも存じましたなれど、殿下お手付けの名器を恐れず、悠然茶を立てた振舞いは、大胆過ぎて正しく人間、恐らく無双の忍術家と、目星をつけましてござりますが……」
「解った」と秀吉は性急に云った。「草を分けても探がし出し、引捕らえて罰せずばなるまいぞ!」
「あいや暫らく」と夫れを聞くと、利休は急いで手を揮った。「ちと浅慮かと存ぜられまする」
「なに、浅慮じゃ? この秀吉を!」
「過言はお許し下さいますよう。名に負う左様な不敵の人間、まして術者とござりますれば、不礼を咎めて罪するよりも、恩を掛けてお味方に付け……」
「何かの役に立てろと云うか?」
「仰せの通りにござりまする」
「利休、今日より茶を止めい!」
「え?」と驚いて眼を見張る。
 すると秀吉はカラカラと笑い、
「何も驚くことは無いわ。器量ある男と云った迄じゃ。茶を止めて采配を握ったなら、如水ぐらいには成れようも知れぬ。よいよい其方の言葉に従い、其奴捕えて幕下として細作なんどに使うとしょうぞ」
 斯うして翌日から諸方に向かって不敵の術者捜索の為めの多勢の人数が配られた。そして其結果見付け出されたものこそ、この物語の主人公、赤格子と後年字名を呼ばれた梶原九郎右衛門教之であった。
 此時、九郎右衛門は十五歳、産れは九州天草島、郡領房雪の末子であった。
 豊公歿後、仕を辞し、徳川氏の代になってからは、彼は陸上に望を断ち、海に向かって発展した。即ち博多の大富豪島井宗室の大参謀となり、朝鮮、呂宋、暹羅、安南に、御朱印船の長として、貿易事業を進めたのである。
 彼は復《また》居合の名人であった。それに就いて一つの逸話がある。

「一人の老いた侍が静かに歩いて居りました、深編笠で顔を隠し其上俯向いて居りますので顔は少しも解りませんが強健な姿から推察ると偉貌の持主に相違ありません。黒紋附に細身の大小、緞子《どんす》の袴を穿いた様子は何《ど》うして中々立派なものです。千石以上の旗本の先ず御隠居という所です。が夫れにしてはお供が無い。
 慶安四年の卯月の陽がカンカン当たっている真昼の事で自由に身動きが出来ないほど浅草奥山の盛場は人で立て込んで居りました。其侍は忙かず急がず其中を歩いて行くのでした。
 其時行手から人波を分けて侍が三人遣って参りましたが打見た所御家人か小禄の旗本と云ったようながさつ[#「がさつ」に傍点]な人品でございます。やがて人波に揉まれながら双方の侍は行き違いましたが、どうしたものか不図其時、編笠を冠った其侍がその編笠へ左手《ゆんで》を掛けヒョイと空の方へ向きました。と、其空に物化でもいて彼に逼るのを払うかのように左手をバラバラと振ったものです。そして殆ど夫《そ》れと同時に右手《めて》が突然胸元まで上がり、何かピカリと閃めいたかと思うと一刹那掛声が掛かりました。
「えい」でも無ければ「ヤッ」でも無い。それは、「カーッ」という掛声です。
 その掛声の鋭いことは、歩いていた人達が立ち止まった程です。一体「か」という此音は喉的破裂の音と云って舌の後部を軟口蓋に接し一気に破裂させる鋭い音ですが不思議のことには剣道の方では殆ど此音を用いません。いずれ理由はあるのでしょう。
 ところが雑踏の浅草境内の加之《しかも》真昼間往来中でこの掛声が掛かったのです。そうして何んと不思議な事には、いまし方迄歩いていた編笠を冠った其侍の姿が、見えなくなったではありませんか。つまり掛声が掛かると一緒に姿が見えなくなったのです。そうして胆の潰れることには朱に染まった三人の武士が斃れているではありませんか。三人ながら只一刀に脳天を割られているのでした。
 この白昼の兇変は瞬間に江戸中に伝わりまして大変な評判になりました。その侍こそ怪いというので南北町奉行配下の与力や、同心岡引目明まで、揃って心を一つにして其詮策に取り掛かかりましたが一向手掛かりもありません。
 旗本や御家人や勤番侍などへ夫れと無く探り入れても見ましたが、香ばしいこともありません。かいくれ目星が付かない中にどんどん日数が経って行って一月余りも経ちました。其の時、全然同じ一手段で夫れも立派な旗本が一人、芝の御霊屋《おたまや》の華表《とりい》側で切り仆されたではありませんか。
 そうして矢張り切手の侍は何処へ行ったものか姿は見えず、「カーッ」と掛けた掛声ばかりが、往来の人の耳の底に残って居るばかりでありました。
 江戸の治安を司る町奉行の驚きは何《ど》んなだったでしょう。以前にも優して厳重に兇徒の行方を探がされたことは云う迄も無いことで厶《ござい》ます。併し依然として行方が知れぬ。そして遂々永久に行方が知れなかったので厶ます。とは云え世人の噂に依れば、これこそ赤格子九郎右衛門が、怨みある敵を討ち果たしたので、その神速の行動は即ち忍術の奥儀でありその精妙の剣の業は即ち居合の秘術であると。
 噂は事実でございました。九郎右衛門の死後その手記に、その事実が記されてあったそうです。」[#「そうです。」」は底本では「そうです。」]



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