国枝史郎「赤格子九郎右衛門の娘」(09) (あかごうしくろうえもんのむすめ)

国枝史郎「赤格子九郎右衛門の娘」(9)

この危難に三味線の音

 ――手紙の文字は尚つづく。
「……知らぬこととは云いながら兄妹契りを結ぶとは取りも直さず畜生道。二人ながら活きては居られず、かつは頭領《かしら》の命令《いいつけ》もあり、今宵忍んで妹めを打ち果たしましてござります。……」
 ここまで読んで来て卜翁は初めて意味が解ったと見え、手紙をクルクルと巻き納めた。それからお袖の側《そば》へ寄り静かに体を抱き起こした。
 もう呼吸《いき》は絶えている。
 卜翁は忠蔵を抱き起こした。
 と、忠蔵は眼を開けた。
「これ忠蔵」と忍び音に卜翁は耳元で呼ばった。
「様子は解った気の毒な身の上。卜翁の命を狙ったことも決して怨みには思わぬぞ。お袖は死んだ。お前も死ね」
「ああ有難う存じます」
「ただし一つ合点のゆかぬは、山屋を滅ぼした赤格子一家は其方《そち》の仇じゃ。しかるを何故その赤格子の一味徒党とはなったるぞ?」
「……知らぬが仏とは正しくこの事。存ぜぬこととは云いながら今日が日まで一家の仇赤格子の娘の手下となりうかうか暮らして居りましたこと残念至極に存じます」
「…………」
「妹お袖へお話し下されたお殿様のお話で初めて知りましてござります」
 この時、遥かの海上に当って、吹き鳴らすらしい法螺の音が、夜気を貫いて陰々と手に取るように聞こえてきた。
 一方、こなた離れ座敷では、お菊が、三味線を弾いている。
 と、遥かの海上にあたって法螺の音が響き渡った。
「あッ」と驚いて弾く手を止め、スックとばかり立ち上る。
 ボ――、ボ――、ボ、ボ、ボ――
 それは正しく仲間の合図だ、しかも敵に襲われたという非常を知らせる法螺の音だ。
「さては住吉の海上へ、商船《あきないぶね》に装わせ、碇泊《ふながか》りさせた毛剃丸《けぞりまる》、捕方共に囲まれたと見える。これはこうしてはいられない」
 パッと裳《もすそ》を蹴散らかしバタバタと縁へ走り出たがガラリと開けた雨戸の隙から、掛声もなく突き出された十手!
「南無三!」と、お菊は雨戸を閉じガッチリ閾《しきい》をおろして置いて、今度は窃と足音を忍ばせ、丸窓の側《そば》へ寄って行く。
 細目に障子を開けると同時に。
「ご用だ!」と鋭い捕手の声。
「もう不可《いけな》い。手が廻った」
 お菊は部屋へ帰って来ると、悪びれもせず端然と坐り、またも三味線を弾き出した。

 ドンドンドンドン。
 戸を叩く音が玄関の方から聞こえてくる。
 卜翁は忠蔵の死骸をお袖と一緒に寝かせて置いて自身玄関へ出て行った。
「何人《どなた》でござる?」と忍音に問う。
「西町奉行手付の与力、本條鹿十郎と申す者。至急ご主人に御意得たく深夜押して参ってござる。ここお開け下されい」
「それはそれはご苦労千万。拙者すなわち卜翁でござる」
 こう云いながら戸を開けた。
「いざこなたへ」と自分で導き、玄関脇の部屋へ通す。
「ご用の筋は?」と卜翁は訊いた。
「実は」と本條鹿十郎は、声を低く落しながら、
「住吉の海上におきまして海賊船を見付けましてござる」
 こう云って卜翁の様子をうかがう。
「何、住吉の海上で海賊船を見付けたとな。それは何よりお手柄お手柄。して勿論海賊船は取り抑えたでござろうな?」
「それが……」と本條鹿十郎は、云い悪《に》くそうに云うのであった。
「取り逃がしましてござります」
「なに逃がした? 逃がしたと仰有《おっしゃ》るか? 怠慢至極ではござらぬかな」
 志摩卜翁は嘲るように白髯を撫しながら云うのであった。
「しかし」と鹿十郎は自信あり気に、
「海賊船こそ取り逃がしましたが、主立った海賊を二三人召捕りましてござりますれば、そやつ等を窮命致しましたなら自ら行衛は知れましょう。この点ご心配には及びませぬ」
「左様か」と卜翁は素気なく、
「して拙宅を訪ねられたは何かご用のござってかな?」
「左様」と鹿十郎は云ったものの、どうやらその後を云いにくそうに暫くじっ[#「じっ」に傍点]と俯向いていたが、
「卒爾《そつじ》のお尋ねではござりますが、もしやお屋敷の召使中にお菊と宣るものござりましょうか?」
「お菊? お菊? いかにも居ります」
「実は」と鹿十郎は膝を進め、
「召捕りましたる海賊の口より確《しか》と聞きましたる所によれば、その女子こそ海賊船の頭領《かしら》とのことにござります」
「ははあなるほど。左様でござるかな」
 卜翁はいかにも平然と、
「それで訪ねてまいられたか?」
「はい追い込んで参りました」
「お菊は拙者の妾《めかけ》でござる」
「ははあ左様でござりますか」
 今度はかえって鹿十郎の方が一向平気でこう云った。



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